六十年公開の「アラモ」は、西部劇の大御所、ジョン・ウェインが大金を叩いて
制作した渾身の作品である。
もっともジョンの思い入れと、観客動員は比例せず興行的には失敗・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=RjRzgyARR5M&mode=related&search =
「アラモ」ラストバトル・シーン パート一
http://www.youtube.com/watch?v=_jbAZSd3f24&mode=related&search
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「アラモ」ラストバトル・シーン パートニ
アメリカの歴史の中で「アラモの戦い」は、当時メキシコ領であったテキサス
の独立運動の象徴的存在であった。
アラモ砦でメキシコ軍を迎え撃つ精鋭は、百八十五名対するメキシコ軍は
七千名(ここらはとても数はいい加減で、先日あった沖縄の抗議集会参加
人員捏造と、ちょっくら似ていて、三千人とも五千人とも言われる)
まぁ、圧倒的人員の差は如何ともしがたく、全滅を余儀なくされる。
ただここの砦の惨状がテキサス白人の闘志に火をつけ、結局は独立を勝ち
取るのである。
勢いづくアメリカはより広大な土地を求めて、ニユーメキシコ、カリフォルニア
もアメリカの領地に変えてしまうおまけもつく・・・。
で、このアラモで活躍したのが、「ディビー・クロケット」歌にも歌われる男であ
るが、この男の活躍として映画は進んでいく。
主演はジョン・ウェイン、やりたくてやっているから溌剌と演じている。
ただ史実の出来事だが、このアラモ砦の全滅が「アラモを忘れるな」の合言葉
となって、その後の独立へと邁進していくことになる。
この合言葉は形を変えて「リメンバー・パールハーバー」として復活し、大戦を
鼓舞した原点であった。
まぁ戦争映画では、日本の奇襲となっているが、実際は情報を握った時の政府
がそれを握りつぶし、ハワイの犠牲を戦争へと国民を駆り立てたってのが、真相
だった。で、「アラモ」の合言葉が謳われることになった。
そういったところは、日本の性格では出来ない新興国ならではである。
何しろアメリカは、休むことなく戦争に荷担しつづけている国なのだから・・・。
話を「アラモ」に戻すと、ジョンはいき込んでつくり、アカデミーを狙っていた。
が、同じ年「アパートの鍵貸します」という映画にことごとく敗れ去っている。
やはり大勝利の映画でないと、当時としては国民的な支持を得られないのを如実
に現している。
もっとも日本人としてみていると「玉砕」の戦いは、何とも納得出来るのだから、
おかしなものである。
http://www.youtube.com/watch?v=Mjq7r2F_zRI&feature=related
「アラモ」の主題歌「グリーン・リーブス・オブ・サマー」
歌っているのは「ローハイド」のフランキー・レイン
こういうマイナー調な歌は、より日本では受けるのかも・・・。
といったところで、またのお越しを・・・。