男の哀愁を暴力で描く「サム・ペキンパー」 その一 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

サム・ペキンパーという監督がいた。

兎に角、男臭さが映像から溢れてくる作品が多かったが、一貫して

男の暴力の背景と、ねじ伏せられる反発心を暴力に変えて、徹底的に

戦う、それが勝ち目のない戦いだったとしても・・・。

死してなお、魂はそれに殉じる。何とも言葉でいえない男の哀愁が、

その暴力場面に現れている・・・。




http://www.youtube.com/watch?v=KJMxGFco57Y&mode=related&search =

六十九年公開作「ワイルド・バンチ」ラスト・シーン 壮絶な撃ち合いで結局は

全滅なのだが、最初から無理な戦いを承知で望んでいる、日本ではこれを

「玉砕」と呼ぶ。


http://www.youtube.com/watch?v=ui1Mnvdj24I

六十二年公開作1「昼下がりの決闘」

西部劇としてペキンパーの本領が発揮される実質的デビュー作


http://www.youtube.com/watch?v=kexKFYX44lw

七十三年公開作「ビリー・ザ・キッド」

これが西部劇を撮った最後の作品となった。

これは西部劇と言うより、語り継がれたアウトローの物語なのだが

主演をクリス・クリフトファーソン、そしてリタ・クーリッジ、またボブ・ティラン

までも出ている。ペキンパーの作品好き達の作品。

もっとも内容はない。娯楽作品としての仕事に嫌気の指したペキンパーと

製作会社の確執で編集が他人であったのが原因。

まぁただここでは「天国の扉」ボブ・ディランの歌が聴ける。


西部劇の撃ち合いに、よりリアルな血しぶきやスローモーションを取り入れ

生死のはざまを極限まで高めたペキンパーの西部劇は、マカロニの残虐性

暴力性により緊迫感を与え、日本の時代劇とも共通する絵空事を排除して

いるから、西部劇にロマンや郷愁を抱くアメリカでは評価は低く、ヒット作とは

言いがたかったが、日本ではそのリアルな倒され方に現実的側面を見て、ヒ

ット作になった「ワイルド・パンチ」やはり男の美学に「座して死を待つより、死

地を彷徨い、野垂れ死」に美学を見出す侍という伝来の教えがあるからかも

知れない。もっともマカロニのそれと比較すると、やはり格段に生々しい撃ち

合いは大層な衝撃であったし、ここまでと見た時は思ったものだ・・・。

西部劇におけるペキンパーのリアルさが、より現代劇には生かされる。

それはエントリーを改めて、上げたいと思う。

                  といったところで、またのお越しを・・・。