三分で見られる人生模様 「バス・ストップ」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

今から四十年前、こんな曲がヒットした。

「バス停留所」イギリスのバンド「ホリーズ」の曲である。



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http://www.youtube.com/watch?v=X5WfQp13O7g&mode=related&search =

この曲のモチーフに合わせた映像を、八十年代に甦らせた

動画がこれだが、何とも人生の縮図がこの停留所で行われ

ここで恋をし、伴侶を見つけ、子孫を残し、年老いて物思いに耽る

のも「バス・ストップ」てのが、たった三分の映像に押し込められている。

何しろ自分の息子が成長し、親父と同じようにラストでは、ここで恋が

始まるって輪廻転生ってな、終わり方は微笑ましくなる。

プロモーション・ビデオ並みの簡潔さの中に、一人の男の恋から始まり

さまざまな停留所を利用する人々の泣き笑いが聴こえてきそうだ。

歌詞は勿論恋の歌で「停留所で見かけた少女に一目ぼれする男の、

喜び悲しみで、アンブレラ(傘)が効果的に使われる。

映画のだらだらと長いシノップスよりは、何とも簡潔さが曲のテンポと

あっていて、今現在でも古さを感じない。

何より映像の時代背景がどんどん進んでいるのに、バス停留所は

若い時のまま「変わらない」まま、そこにある。

変わっていく人の気持ち、事象に流されることなく停留所はそこにある。

なんともほっと出来る動画であり、歌である。

「三丁目の夕日」並みのノスタルジィーと、微笑ましさには三分間が

貴重な体験となる。


               といったところで、またのお越しを・・・。

              
そうそう、リング切れになってしまっていたら、何を言っているか

さっぱり分からないと思いますので、その時はご容赦を・・・。