日本移民の辛く過酷な戦争体験「愛と哀しみの旅路」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

九十一年公開の映画「愛と哀しみの旅路」は、夢を求めてアメリカに移民していった

日本人の一世、二世達の、折からの太平洋戦争開戦における「敵国」として、アメリ

カの国籍を取得しているのにも係らず、「強制収容所」と名ばかりの場所への監禁・・・。



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http://www.youtube.com/watch?v=6Mc0UWpRRF4&mode=related&search =

この映画「愛と哀しみの旅路」の動画は、探したがなかった。

そこでフォート・マイナーというラップ・グループの歌う「kenji」を貼り付けた。

このグループに、マイク・篠田という日系人が在籍し、祖父・祖母の過酷な

生涯を歌にしたのが「ケンジ」である。

で、歌われている収容所が「愛と哀しみの旅路」の舞台となった「manzanar」

http://www.youtube.com/watch?v=gYtYy_9sZtE&mode=related&search =

今現在の収容所のあった場所には「白い慰霊塔」が建っている。

バックの歌は「いつも何度でも」

この映画は、イギリス人、アラン・パーカーが監督しているだけに、アメリカ

青年と日本人との哀しいくもある恋愛を主軸に置いてあるが、当時の日本人

移民の取り扱いや、人種差別をリアルにまた、これまでも偏見で描かれてき

た日本人を、より公平に描写している。

前作「ミシシッピィ・バーニング」で黒人の公民権運動での南部アメリカ白人の

差別の実態を鋭く描いた監督らしい・・・。

折りしも沖縄で「集団自決」の旧日本軍の強制の教科書からの削除撤廃の

抗議行動が行われていたが、さて移民の人達の扱いをみて、どう思うだろう。

何しろ南米へ移民していった沖縄の人々は多いが、戦争と同時にこの収容所

に集められ、敗戦後移住した地に戻されることなく、また日本にも帰されること

なく、生涯を終えている人達がいたのだ。

その差別といったら、精神がおかしくなり収容所で「自殺」する人が後を立たな

い状況で、そのためのあの「白い慰霊塔」が立っているといっても過言ではない。

この映画をあの集会に動員された高校生が見たら、どう見るのだろう。

自決を強制した悪い人で、同じ日本人を弾劾し、人種差別を徹底的に行なった

アメリカ人を知った時、日本も悪いがアメリカも悪い、あの戦争はすべきではな

かった。だから反戦を唱えよう・・・。

といったことで、正常な思考に戻ればいいが、植え付けたい思惑に翻弄されて、

あの反日をする中国人、朝鮮人と同じ思考に落ち込んでは、成長はなくなってし

まう。哀しみは哀しみであり、継続されてはならないものなのだが、今現在もそれ

は世界のどこかで継続している。

高校野球の秋期大会も延期して臨む集会とは、なんなのだ。

六十数年前の世界標準の愚行であり、そこから学ぶべきものもこの映画でも学

ぶものは詰まっている。過去は現在をよりよくするための素材であり、ユスリタカリ

の小槌ではない。

アメリカも、この収容所及び扱いについては、数年へてから正式な謝罪をしている

し、ロサンジェルスには、記念館もある。

そして沖縄にも記念館は相当数に上るはずである。

今現在の弾圧・圧制に苦しむものについての抗議ならわかるが、動員をかけてまで

集会を開く「全体主義」は、あの当時と何も変わらない心情の発露である。

それに疑問をもたず垂れ流す報道も、そこに思惑が見え隠れしそんなことに気づか

ずに参加する人々は、哀れでならない。

「ケンジ」でも聴いて、あちらにもこちらにも犠牲者はいたんだと、そこから成長しようと

する気持ちが大切であると、思うのだが・・・。


                          といったところで、またのお越しを・・・。