吟遊詩人と呼ぶべきか、あるいは貧しい農民や移動労働者の心の代弁者と
呼ぶべきか、ウディ・ガスリーの反骨精神溢れる半生を描いた映画がこの
「わが心のふるさと」である。
http://www.youtube.com/watch?v=MKHfyXguU6A&mode=related&search =
七十七年公開の作品で、デビット・キャラダィンがいい味を出して、ウッディ・
ガスリーを好演している。
唄歌いとしても、またその唄によって労働者、抑圧された貧困層を慰め歩く
主人公とその時代のアメリカが、忠実に描かれている。
後に第二の国歌と呼ばれる「我が祖国」は、淡々とした歌い方にこそ、肌に
沁み込んだ欺瞞や苦悩、貧困、食糧難等をしても「我が祖国」と呼びたい心情
が、聞くものも歌うものも共通してもっている意識なのだろう。
ここらにアメリカの底力があり、移民の国がいつしか世界の超大国と呼ばれる
までに成長した一因がありそうである。
翻って我が祖国「日本」と呼ぶ者が、どれくらいいるのだろう。
何しろ教育と言う名のもとに、「国歌、国旗」を認めない国籍不明者が跋扈する
国である。
確かにウッディ・カスリーは共産主義的労働者擁護で運動もしたが、国を捨て
ようとしたものではない。
だからこそ「君と僕の国」と呼びかけたのだ。
そしてその潮流がフォーク・ソングの底流をなし、どんどん拡がって影響を受け
る若者が増えていき、民主的な国家へと変貌していく原動力となっていく。
ここらに歌の持つ力もある。
放浪という名の見聞の大切さ「書を捨て、町に出よう」寺山修二が呼びかけた時
代は、それこそ「ボロキレ」並の服装の若者が、町に溢れた。
それらが去って、街は綺麗になり、「現実の喪失」した若者が跋扈する・・・。
ウッディに影響を受けたボブ・ディランが歌うように「時代は変わる」ものなのだろう
これからウッディ達が過ごした時代から、どれほど変わって行くものなのだろうか。
期待は出来ないだろうけど・・・。
といったところで、またのお越しを・・・。