狂気が狂気を生み、恐怖が予知出来る・・・ | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

スティーブン・キング原作のホラー小説をスタンリー・キュブリックが

監督した八十年公開の映画。

完全主義者のキューブリックがホラーを撮ると、他の監督と一線をかし

語られるべき「狂気」が映像に表れてしまい、原作の持つ怖さとしての

「狂気」が、視覚の刺激で空恐ろしい化け物へと変貌する。


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http://www.youtube.com/watch?v=1BtH4vbhyH0&mode=related&search =

原作者キングが、なぜに映画化権をキューブリックに渡したのか・・・。

とても不思議な気になる映画である。

ホラーなのだから、観客が怖いと思える映像になるのは当然なのだが、

あの「キャリー」でも、人間の狂気は突如として起こるものでなく、その伏線が

結末に向かって盛り上がっていき、そしてラストには大抵恐怖を打ち消す安らぐ

場面がつきもの・・・。

だと思うのだが、この映画はそれらは一切排除され、狂気は狂気のまま薄暗く

終わっていく、何とも見終わった後、すっきり出来ないわだかまりと狂気の凄ま

じさだけが、脳裏に残ってしまう。

また狂気のジャック・ニコルソンが、顔の変形がより狂気を引き立てている。

で狂気ばかりで題名の予知能力の子供は、結局ただ逃げ惑うだけで狂気の前で

立ちすくんでいる。もっともホテルの異常性を訴えようにも、すべての人が狂気に

操られた時、救いはないだろう。

にしてもホテルが亡霊に操られ、そして人も・・・、狂気が生み出す狂気は見ている

人には、より以上に「怖い」気持ちにさせられる。

ただホラー映画という範疇では、この映画はそこから逸脱している気がする。

何より救いがない。

やはりゴシック・ホラー、ハマーの頑なさの手法が安心出来る。

しかし「残酷」「リアル」を好む人々にとっては、ぐいぐい映像を引き回すキューブリッ

クみたいなものの方が合う・・、ここらのギャップは埋めることは出来ないものかも・・。


               といったところで、この辺で、またのお越しを・・・。