ベトナムの後遺症 病める「タクシー・ドライバー」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

七十六年公開のこの「タクシー・ドライバー」には、狂気にいたる人間の

生々しい道程が、ロバート・デ・ニーロによって演じられている。

極平凡な表情の青年が、次第に狂気に取り付かれ、やがて悲劇的終末

を迎える頃には、頭髪はモヒカンに、そして病めるアメリカを体現したかの

ようなデ・ニーロの表情からは、全く救いがなく最後のジェスチャーで、本

来の笑顔を取り戻す・・・、破滅型人生を歩んだ青年の最後は哀しい・・・。



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http://www.youtube.com/watch?v=Lb3FepZtVxA

この映画、監督のニューヨーク底辺層の描き方が秀逸で皆生活観が

溢れている中で、この主人公だけが疎外感を一身にまとっている。

で、ベトナム帰還兵というものについては言及せず、都会の孤独で

青年が病んで行くってなことなのだが、だとしたらトラビィスは、相当な

数に上ってしまう。病んでいた心が、癒されぬまま再び病み始めた。

こっちの方がトラビィスの精神構造を理解しやすい。

信じられるものが自分のみの身勝手は、戦場でのやり取りからだったら

簡単に理解される。異常な状況からそれとは全く違った環境への適用は

辛いものがある。

フランス外人部隊、つまり傭兵に応募した人間が、平穏な生活から再び

傭兵に応募する気持ちに似ている・・・。

まぁ、都会の孤独で精神を病んでいっても、同じ状況にはまり込む人間は

いるものだ。だけにこの映画はインパクトのあるものとなったし、「英雄視」

するむきもある。それにしてもニューヨークとかの都会はジャズ、サックス

の音色が似合う。癒される音ってな感じになる。


http://www.youtube.com/watch?v=yc8RWBQW4DI

そのサックスでないロックのバックでの狂気も、これまた似合うものだ。

ボーカルの声も、アジテージ的あおりって考えると、合ってしまう。

まぁ、ファンにすれば無礼かも知れないので、これでやめてしまうが

ロックが持つアジテーションのパワーは、当時は受け入れていたもの

で、満足出来ない若者の代名詞だったわけでもある。

これすぐに削除されるんではないかと思う、その時はご容赦・・・。

それにしてもロバート・デ・ニーロでなかったら、この主人公はありえない

少しずれた感覚の持ち主の演技は、秀逸だ。

またとこかで、取り上げよう・・・。


                     だはこの辺で・・、またのお越しを・・・。