娯楽作品に隠した義憤の名手 セルジオ・コルブッチ | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

セルジオ・レオーネを取り上げると、どうしてももう一人のセルジオに目がいく。

「続荒野の用心棒」のセルジオ・コルブッチである。

で、レオーネが「荒野の用心棒」で大ヒットを飛ばし、これが「用心棒」のコピー

だったのだが、コルブッチも「ミネソタ無頼」にて、「坐頭市」をバクッた。

盲目のガンマンが活躍する物語だ。


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これの製作は六十四年で、「荒野の用心棒」と同時期で

この二人の監督が黒沢明や日本の映画に興味をもっていた

のが良くわかる。そしてどちらもそれを西部劇に応用したの

だが、低予算で面白い作品となれば知恵を絞らなければな

らないから、似通った設定でってのは否めない。

http://www.youtube.com/watch?v=Fz1_Fr4nudo

「続荒野の用心棒」も、棺おけを引きずる登場は知恵を絞った

アイデアが良かったが、ストーリー自体は、用心棒のコピーで

違ってたのがメキシコ、アメリカのならず者の強さである。

しかしここでもこの監督らしく、黒人を迫害する白人を思わせる

衣装をさせていて、それがバタバタ倒される皮肉が篭っている。


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六十七年公開の「さすらいのガンマン」の主人公は

インディアンという設定で、バート・レイノルズが演じている。

http://www.youtube.com/watch?v=A5luYz2c-QI

殺戮の方法も斧によるという、まぁ大胆なもので、肉体派の

レイノルズらしいアクションになっている。

ちなみに「荒野の用心棒」の時のオーデイションではイースト

ウッドとレイノルズが呼ばれていたが、イタリアということでレ

イノルズは下りている。そしてあの大ヒットで、こうしてマカロニ

に出演しているが、先見の明でもあれば・・・。


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六十八年公開作品「殺しが静かにやってくる」では、喉を切られ

話の出来ない主人公という設定である。

http://www.youtube.com/watch?v=pRwLDQTgZ1k

だけに主人公に科白はない。だけに顔の表情とか目の動きが

とても重要で、それらで感情を表現している。

主演は「男と女」のジャン・ルイ・トラツニアン、フランス人である。

うがった見方をすれば、イタリア語での科白を憶えないか、ヘタク

ソだから、こんな設定とも考えてしまう。

家族を殺され、喋ることが出来なくなった主人公は「復讐の鬼」と化

して、訪ね歩き、その仇を見つけ出し・・・。

そして相手の殺し屋役がクラウス・キンスキー、顔が神経質で悪役

をやらせると性格的にぴったりくる役者だ。

確か後年では、性格俳優として名の知れた作品に出ていたと思う。

この作品では冷酷無比な役を堂々と演じていて、フランスでは、感情

移入しすぎた観客からスクリーンに向って、物が投げつけられたらしい

それだけ観客から見ても、憎憎しい存在として際立っていた。

だけに手下をすべて片付け、後はボスのみが反対に返り討ちにあうラス

トに唖然とする。もっともキンスキーも保安官に撃ち殺されて、小さな村は

平穏が戻るのだから、一応のハッピー・エンドにはなる。

http://www.youtube.com/watch?v=a8VXJJIwDsY&mode=related&search =

とは違った結末があり、記憶が定かでないので、こちらもリンクしておくが

これだと、何だか憂鬱な気分のまま・・、想いだすと反吐が出た・・。

と、「続荒野の用心棒」以外の三本も、盲目、インディアン、喋れない男と

どこか既存の「西部劇」にない役柄の主人公である。

残酷描写と異質な主人公で、マカロニ・ウェスタンのコンセプトはこっちのセ

ルジオの方に傾いていったように思う。

レオーネの男くささと、ほんの少しずれたアウトロー達には、どれも湿った感

じが滲み、国籍不明な映画になっている気がする。

そして作品の底に「少し抜けているアメリカ人」の意識がある気がするのは、

考えすぎかしら?・・・。

この監督、レオーネと違って多作だ。で、次回があれば、そちらも取り上げたい

と、思っている。

              

                          ではこの辺で、またのお越しを・・・。