民話(人物) 赤ん坊になった八五郎
昔ある所に、爺様(じさま)と婆様(ばさま)がいたが、子供がおそく生まれたので、一人息子の八五郎はやっと十五になった。
両親に大へんかわいがられて育ち、親孝行者で、川さ行けば魚を獲って来るし、山さ行けばうまいなり物などを採って来ては両親に食べさせ、また一生懸命にかせいで親孝行していたが、やがて十七になり二十(はたち)にもなってくると立派な若者になったので、嫁をもらわねばという親たちの言に「まだ早い、それよりももっとがんばってかせいで親孝行しなければならない」と、三十、四十、になっても嫁をもらわない。そして五十になり、六十になり今は六十一の老人となり、親たちも亡くなっていた。
八五郎は親も兄弟も子供もない淋しい一人暮しをしていたが、ある時お伊勢参りを思い立ち、ヒシャクを腰にさして出かけた。
途中、殿様がお通りになるのに会った。殿様に「老人、どこへ行く」と尋ねられ、八五郎はこれまでの暮して来たことやこのたびお伊勢参りに行くために出かけて来た事を申し上げた。
そこで殿様は「神信仰はよいことだが、伊勢参りしたとて、ご利益はあるものでない、自分も子供がないので家内と二人で伊勢参りしたが、いまだに子供が出来ない。なんぎして伊勢参りするより家に帰ってゆっくり暮した方がよい」といわれたが、八五郎はどうしても行きたいと言ったら、殿様も「それでは気をつけてゆけよ。そして帰りには必ず、わしの屋形に寄れ」と言ってくれた。
遠い道のりを月日を重ねて旅を続け、やっと伊勢へついた。神参りをして、神主さんから有難いお話を聞いているうちに眠くなり、うとうと眠ったらしい。
目をさましたら手の中に丸い粒の薬のようなものを握っていた。これは一粒のめば年が二十若くなる薬だと聞かされ、有がたく頂戴して、また長い旅を続けて無事殿様のいる町まで帰って来た。
殿様から言われた事を思い出して屋形を尋ねたら、門番が旅によごれた服装のうすぎたない老人を通そうとしない。八五郎は行く時に殿様から言われた事を話して取り次いでもらおうとしても、仲々聞き入れてくれない。殿様が、この押問答を聞いていて中に入れてくれた。いろいろと旅の話をして、薬の事を話したら、殿様は珍しがり、「その薬をわしにくれないか」と言われるので一つ差し上げた。殿様がためしにそれを飲んでみたら、だんだん若くなって立派な若殿様になった。だが、奥方が年寄りなので嫌われて困ってしまった。そこで八五郎は気の毒になり奥方にも一つ上げて飲んでもらったら、若くきれいな奥方様になった。それを見た腰元や女中達もほしくなり、私にも、私にもと大勢集まって来た。あと三つしかないのに何十人もの女たちに囲まれて困った八五郎は、どうにもならなくて、残り三つをいっぺんに飲んでしまった。
いろいろと立派な料理をご馳走になり、殿様は、「さぞ つかれた事だろうと」と立派なふとんを敷かせてくれたので、早速寝て休んだ。
翌朝、日が高く昇っても八五郎は起きて来ないので、部屋へ行って見たが、八五郎はいない。どこへ行ったろうとあちこち捜してもいないので、また八五郎の寝ていた部屋に来てふとんをはいでみたら、八五郎がいなくて、生まれだての赤ん坊が寝ていた。八五郎が昨晩女たちにせがまれて困ってしまい一ぺんに三粒飲んでしまったので、年が六十も若くなり赤ん坊になってしまったのだ。
驚いた殿様は、よく考えてみると、これは自分たちが子供を欲しくて伊勢参りなどしているのを、神様が気の毒に思って子供を授けて下さったのだと思われ、神様のご利益だと、この八五郎赤ん坊をわが子として育て、立派な若様として幸せに育っていったという。
【私なりの解説】
阿仁町伝承民話第一集にある萱草地区に伝わる民話です。八五郎の腰にさしたヒシャクの意味は何なのか、殿様が若返ったら奥方は(エロい意味で)嬉しいのではないか、八五郎赤ん坊の頭の中は六十一歳の八五郎のままなのかが気になりました。

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