第八課 延喜帝ノ仁徳。 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

明治二十年発行の『普通讀本四編上』を紹介します。なお、読み易くするため、地の文は平仮名に統一し、文字化けを防ぐため、漢字は所々新字体に改めます。
 
   第八課 延喜帝の仁徳。
 
古より代々の天皇、徳政を施して、民庶を愛撫したまへる中にも、延喜の帝ほど、世に仁恕の深くましませし君はあらじ、今に至るまで、聖帝と稱へ奉ること、其故あることぞかし。帝或る冬の寒き夜に、親ら御衣を脱がせたまひければ、御前に侍ふ人々、異みて問ひ奉るに、宣まふには、今氣候酷だ寒し、朕が如き、九重の内に帷帳を襲子て坐する身さへ、猶ほいと堪へ難くこそ覺ゆるなれ、多かる天の下の貧しき者の中には、必ず凍えたる者も少なからじ、朕豈に獨り重子着て、身を温むるに忍びんやと、畏こくも其艱苦を親しく嘗みたまへり。天子は四海の君にして、萬民の父母なりという語こそあれ、斯く親しく民の艱苦を思ほし、嘗みたまふことこそ有がたけれ。我が國の臣民たる者は、唯我が身のみならず、祖先以來、皆歴朝の恩澤に浴せし者なれば、常に此上無き天恩を感戴して、其萬一に報い奉るの念を、寤寐にも忘るべからず。
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【私なりの現代語訳】
 
昔から代々の天皇が、徳のある政治を施すことで、庶民を可愛がってきた中でも、醍醐天皇ほど、たいそう情け深く思いやりのある君主はおらず、現在に至るまで、聖帝と呼ばれるのは、理由があるのですよ。醍醐天皇はある冬の寒い夜に、自ら服を脱いだので、周囲にいる人たちが、おかしいと思って理由を問うと、醍醐天皇が答えるには、「今の気候はとても寒く、私のような、宮中に帷帳(カーテン)を張って座っている身でも、なお我慢し難く感じるなら、多くいるこの世界の貧しい者の中には、必ず凍えている者も少なからずいて、私がどうして一人だけ厚着して、体を温めることにじっとしていられるだろうか(いや、できない)」と、畏れ多いことにその苦難を自ら味わってみたのです。天皇は世界の君主であり、全ての民の父母であるという言葉があっても、このように自ら民の苦難を思い、味わってみることは滅多にありません。我が国の臣民である者は、ただ自分自身だけでなく、祖先から、みんな歴代の天皇の恩恵を受けてきた者なので、いつもこの上ない天皇からの恩を感じて、万が一の時は恩に報いようという気持ちを、起きている時も寝ている時も忘れてはいけません。
 
【私の一言】
 
いかにも明治時代らしい「忠君報国」の思想を教育するものです。当時の天皇は今の天皇と異なり、(建前上は)強い政治的権限を有していましたから、今で言うところの「国の最高責任者」を自称する者に近いポジションでしょう。ところが、今の「国の最高責任者」は、困っている国民に寄り添うと口にしても嘘八百で、毎日のように高級料理を食べたり、休みを取れば別荘でゴルフ三昧だったりと、全く恩に報いようという気にならない愚物ですからね。
 
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