
ミュージシャンのドリットマンは東ドイツで活躍していたが、反体制的であることから西ドイツに亡命せざるを得なくなる。妻子を残して東ドイツを立ち去る前に、母から父親の形見である貸金庫の鍵を預かった。父親も彼と同じように反体制のミュージシャンだったのだ。やがてドリットマンは、父がイギリスにいるらしいという情報をもとに、フランス人記者エマとともに現地へ向かうのだったが…(Yahoo!映画より引用)。1986年製作の英・西独・仏合作映画で、日本劇場未公開作品。監督はケン・ローチで、出演はゲルルフ・パナッヒ、ファビエンヌ・バーブ、ジークフリード・スタイナー、クリスティーン・ローズ。
まだドイツが東西に分裂していた時代の話です。東西ドイツ統一が1990年なので、その事件を歴史教科書でしか知らないという20代若者がいても、不思議ではありません。歴史の授業だと近現代史は時間切れになることが多いので、知らない若者もいるでしょう。その人たちには、本作の時代背景を理解してもらってから、鑑賞することをお勧めします。
西ドイツに亡命したドリットマン(ゲルルフ・パナッヒ)が、東側=社会主義国から西側=資本主義国へ来たことを街並みやカーラジオ放送だけで表現するのは、さりげないところが上品で良いです。説明的台詞など無くても、車窓からの景色を見るドリットマンの表情で十分に伝わります。
東ドイツの抑圧的な政治体制を批判する一方で、西ドイツ=資本主義国が説く「自由」の退廃や欺瞞も批判しています。レコード会社のパーティーで参加者がドラッグを吸引するシーンがあったり、記者会見を訪れた文化大臣の発言にドリッドマンが噛み付くシーンがあったりします。また、ドリットマンとエマ(ファビエンヌ・バーブ)はイギリスの道中で炭鉱閉鎖反対のデモ隊を見かけます。これらは自他ともに認める左翼であるケン・ローチ監督らしい姿勢です。
やがてドリッドマンは息子である正体を隠したままで父(ジークフリード・スタイナー)と再会しますが、そこに感動はありません。国家に人生を翻弄された老人の姿があっただけです。そして再会の翌日、父は自らの人生を「清算」します。
ドリッドマンは西ドイツに亡命しても、変わらずに反体制のミュージシャンであり続けます。彼にとって「音楽は抵抗そのもの」であり、それはイデオロギーに関係なく、国家という大きなものに向けられます。歌うことが彼の存在をかけた全てであるのです。本作を観ると、「音楽に政治を持ち込むな」という意見は甘ったれた戯言にしか思えなくなります。
★★★☆☆(2016年12月27日(火)インターネット配信動画で鑑賞)
ゲルルフ・パナッヒは本作で音楽も担当しているので、本職のミュージシャンなのでしょうか。