「日本史上の人物にまつわるヘンなエピソード20選」という記事の紹介ネタの続きです。私のコメントや追加トリビアもお楽しみいただけると嬉しいです。
●明智光秀:鉄砲の名人だった! 100発撃って約7割を中心に当てる!
織田信長の下で立身出世した明智光秀ですが、彼は鉄砲の名人だったといわれます。信長に仕える前にはその射撃技術を認められ朝倉義景に召し抱えられました。『明智軍記』によれば、25間の距離(約46m)から狙い、100発撃って68発を的の中心に当てたそうです。
…モントリオール五輪クレー射撃日本代表だった、麻生太郎より凄腕かもしれません。
●源義経:小男で出っ歯だった!
鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟で、平家討伐に多大な戦功を挙げた悲劇のヒーローとして知られています。ドラマなどではイケメンの俳優さんが演じることが多いですが、実際の容貌については「色白で背は低く(150cmぐらいと推定あり)、出っ歯が目立った」ようです。
…史実どおりにすれば、義経役はナインティナイン岡村隆史かキングコング梶原雄太にオファーすることになります。
●紫式部:漢字を書けないふりをしていた!
『源氏物語』の作者として知られる才女ですが、その才能は幼少期から際立っていたようで、父親から「お前が男だったらなあ」と言われています。学問・文学は男のものだった時代だったので、宮中に仕えた彼女は目立たないよう「漢字も書けないふり」をしていたようです。
…「漢字書けな~い
」とか言っていると、小林麻耶や田中みな実みたいです。

●徳川家慶:「しょうが」がなくなったじゃん!
徳川家慶は、徳川家斉(11代将軍)の次男で、12代将軍です。徳川家斉は「しょうが」が大好きだったことで知られますが、家慶もまたしょうがが好物でした。ところが、水野忠邦の天保の改革で「ぜいたく品はいかん!」となり、将軍の食卓からしょうがが消えます。これにはさすがに怒ったそうです(笑)。
…家斉には16人の妻妾がいて、53人の子がいたそうです。精力絶倫の源は生姜ですか?
●豊臣秀吉:付けひげだった!
豊臣秀吉は、織田信長が本能寺の変で自刃した後、天下統一を成し遂げました。その肖像画はいくつかありますが、実は晩年のひげは付けひげなのです。戦国武将がひげを蓄えるのは当然という風潮でしたの、薄い秀吉はその点で苦労したのでしょう。
…秀吉は世継ぎがいなくて悩んだそうですから、男性ホルモンが少なかったのかもしれません。生姜食べましたか?
●伊達政宗:仙台城内にお酒の醸造所があった!
伊達政宗は趣味が料理という珍しい武将ですが、グルメの上にお酒も大好きでした。好きが高じたのでしょう、仙台城内に醸造所を設けています。凝り性な人だったようです。
…デビュー当時のタモリは片目にアイパッチをしていました。グルメに酒好きで凝り性だと、政宗とタモリはそっくりです。
●朝倉宗滴:タカの人工飼育・サケの養殖に取り組んだ!
越前の守護大名・朝倉氏の基礎を固めた戦国武将です。非常に先進的な人物で、人工孵化(ふか)して育てたタカを献上物に用いたり、サケの人工養殖に取り組んだといわれています。
…先進的な宗滴に「2位じゃダメなんですか?」と聞こうものなら、斬られます。
●大久保利通:漬物が大好きで食卓にたくさん種類がないと不機嫌になった!
大久保利通は近代日本の基礎をほとんど独力で差配した明治維新期の大宰相。大久保は大変なヘビースモーカーでもありました。
…大久保は紀尾井坂で不平士族によって暗殺され、47歳で亡くなります。漬物好きの塩分過多でヘビースモーカーだと、長生きはできなかったでしょうが。
●武田信玄:芋虫が苦手で大嫌いだった!
戦国最強といわれた武田軍団を率い、他国に恐れられた武田信玄。強面なキャラかと思いきやこういう面もあったのです。
…信玄のライバル、上杉謙信は男色家だったという説があります。強面な信玄が芋虫嫌いというギャップに、謙信は萌えまくったかもしれません。
●フランシスコ・ザビエル:琵琶法師をキリスト教に改宗させたことがある!
イエズス会の創設メンバーの一人で、日本に初めてキリスト教を伝えた人物として知られています。この琵琶法師はロレンソ了斎となり、彼もまた布教活動を行ったのです。
…ロレンソ了斎は、日本初のギタリストになれたかもしれません。ザビエルとバンド結成?