日本史上の人物トリビア 前篇 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

日本史上の人物にまつわるヘンなエピソード20選」という記事を見つけたので、2回に分けて紹介します。私がコメントや追加トリビアを付けます。
 
●宮本武蔵:島原の乱に参加した!
宮本武蔵は不世出の剣法者で、生涯に60回以上決闘して無敗といわれます。しかし、史実としてその決闘について裏付けができているわけではありません。しかし、徳川方、水野勝成の客将として大阪の陣に、小笠原長次の後見として島原の乱に参加したのは史実です。剣法者同士の対決ではなく、このような戦役にも参加した人だったのです。
 
…巌流島の決闘では、先に潜伏させた弟子たちと佐々木小次郎をフルボッコにしたのが真相という説もあります。勝つためには手段を選ばぬ男です。
 
●一休宗純:マラリアで死亡!
「とんちの一休さん」のモデルとされる「一休宗純」は室町時代の僧侶です。飲酒・肉食も行う破天荒な人でしたが、死因も「マラリア」と変わっています。ただし、これは熱帯性のものではなく「三日熱マラリア」と推定されています。
 
…最期の言葉は「慌てない、慌てない。一休み、一休み」だったとのこと(嘘)。
 
●遠山景元:痔(じ)で苦しんでいました!
「遠山の金さん」のモデルとされる遠山景元は、北町奉行、南町奉行を務めた優れた人物でした(北町・南町両方を務めたことがあるのは異例)。景元は痔を患っていて、騎乗での登城が困難で、特別にかごで登城することを許可されています。
 
…罪人に桜吹雪を見せている一方で、自分の菊座(肛門)は大変なことになっていたわけですね。
 
●小野妹子:隋からの返書は百済で取られた!
小野妹子といえば、「日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや」という有名な文言の国書を携えて隋に行った人として知られています。『日本書紀』によれば、隋の煬帝からの返書は帰路、百済で百済人に奪われたとなっています。大事な返書が奪われたというのはヘンな話ですね。
 
…百済は現在の韓国です。日韓関係のこじれが、こんな古くからあったとは。
 
●森鴎外:「まんじゅう茶漬け」が好物!
夏目漱石と並び、明治の文豪といわれる森鴎外。『雁』『舞姫』などの作品で有名ですね。鴎外は極度の潔癖症で、野菜や果物も生で食べないという人でした。その鴎外が好きだったのが、四つに割ったまんじゅうをご飯の上に載せ、煎茶をかけて食べるまんじゅう茶漬け。意外とおいしいそうですが……。
 
…軍医だから、潔癖症は職業病みたいなものです。ちなみに泉鏡花も極度の潔癖症で、豆腐に「腐」の字が入っているのを嫌い、「豆府」と書いていたそうです。
 
●鼠小僧:盗んだ金は全く発見されず!
大名屋敷からお金を奪い、庶民にまいた義賊として知られていますが、これは講談などのうそです。鼠小僧は寛政年間に大名屋敷を専門に狙った窃盗犯で、本名は「次郎吉」といいます。取り調べで「10年間で3000両余りを盗んだ」と自供したのですが、自宅も質素で盗んだ金は発見されませんでした。
 
…鼠小僧次郎吉の墓石は、長年捕まらなかった幸運にあやかろうと、削って御守りにする人がいるそうです。清原は持ってなかったのでしょうか。
 
●世阿弥:幼名は「鬼夜叉」!
『風姿花伝』の作者として、現在に伝わる能の大成者として知られ、日本史の教科書には必ず登場しますね。わずか12歳のときの能舞台で足利義満に見いだされていますから、やはり天才だったのでしょう。それにしてもすごい幼名です。
 
…現代でも我が子に「悪魔」と名付けようとしたバカ親がいましたから。
 
●足利尊氏:全く死を恐れない!
室町幕府を開いた足利尊氏は、死を恐れることのない不思議な性格でした。合戦になって矢が雨あれらと降り注いでも、笑みさえ浮かべながら全く平気でした。これだけなら豪胆で済むのですが、戦局が不利になったらすぐに自害しそうになるなどして周囲を慌てさせています。どうも自分の生死に無頓着な人だったようです。
 
…世が世なら、サイコパスとか診断される、ヤベエ奴です。
 
●吉田兼好:ラブレターの代筆をしたせいで出禁に!
『徒然草』の作者として日本史上に残る才人ですが、『太平記』によれば高師直に頼まれて塩谷判官の妻宛てのラブレターを代筆したことになっています。代筆したラブレターは塩谷判官の妻に開封もせず捨てられ、そのため兼好は高師直から出禁になったそうです(笑)。
 
…元祖ゴーストライターです。ラブレターは自分で書くものだよ、高師直。
 
●織田信長:相撲大好き! 大相撲大会を開催!
戦国時代のヒーローといえば織田信長。信長は相撲が大好きで、安土で1,500人もが参加する大相撲大会を開いたことがあります。大人数だったので朝から始めて日暮れまで取り組みが行われました。信長は終日上機嫌で力士たちに賞品を与え続けたそうです。
 
…信長は自らを「第六天魔王」と名乗っていたそうです。相撲好きの魔王と聞くと、デーモン閣下みたいですね。
 
 
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