職人の危機について思う | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

マイナンバー制度で全国の花火師が続々と廃業

 
国民一人ひとりに割り当てられるマイナンバー(社会保障・税番号)制度が今年1月から導入され、勤め先などでマイナンバーの提出を求められた方も多いのではないだろうか。副業がバレる恐れがあり、ホステスや風俗嬢などが減ってしまうのではないかとの危惧もあるが、意外な業種にも影響している。なんと全国の花火師が続々と廃業しているというのだ。このままでは日本の夜空を彩ってきた文化が衰退しかねない状況だ。
 
40代男性Aさんは、昨年いっぱいで十数年働いた花火師の仕事を辞めることにした。「マイナンバーが原因だ。俺のように足を洗う花火師が続出している」と話す。
 
一般的に、花火を作るのは花火メーカーの社員。その花火を車に積み、花火大会会場まで運び、現場設営をして、打ち上げる。これらの作業を手掛けるのがAさんのような花火師だ。普段は工事現場や畑仕事などをしている者が多い。夏だけメーカーの「アルバイト」として働く。
 
昨年8月、長崎県平戸市の花火大会で事故が起こり、打ち上げ作業をしていた男性アルバイト従業員(54=当時)が両腕のひじから先を切断する大事故が起きた。ネット上では「バイトにさせる仕事か」などの声が上がったが、これも「プロの花火師だからこそバイトなんだよ」(Aさん)というわけだ。
 
花火師への報酬は「1現場あたり、いくら」という形で支払われてきた。そして、ここにマイナンバーの影響がモロに現れる。
 
「これまでは丼勘定で日給が支払われてきた。社長によっては“ご祝儀”までポンと配ってくれたりさ。ちゃんと収入をお上に申告する花火師なんてほとんどいなかったのに、マイナンバーのせいで懐具合を明かすことになる。みんなそれを嫌って『じゃあ、辞めよう』と決めたんだよ」(同)
 
メーカーの正社員になるという手もありそうだが、Aさんは「収入が半分以下になるから、社員になるわけがない」と首を振る。副業ができなくなるからだ。優秀な花火師が大量離脱すると、どうなるのか。
 
「平戸の事故のように報道されるものは氷山の一角で、公になっていない事故が今でもたくさん起きている。花火師が少なくなれば、間違いなく事故が増えていく」(同)
 
花火の主な事故原因は「素割れ」だ。本来、筒の中にセットされた3号玉などの花火は、点火されると、打ち上がってから上空で開く。火薬が湿っていたり、製造過程でミスがあるなどして、筒の中で開くことを「素割れ」と呼ぶ。
 
例えば3号玉の大きさは直径約9センチ。それが上空で直径90メートルにまで開く。大きな威力の花火が筒内で爆発すると、筒の破片が周囲に散弾銃のように襲い掛かる。筒を5本並べて連続点火するものなどは、1本目に素割れが起こると、隣の筒も壊れて爆発。さらに隣も次々と爆発していく。「畳を盾がわりにして、身を守るが、ザクザクと鉄が刺さっていく。大惨事だよ」(同)
 
点火を離れた場所からスイッチで行うだけでなく、いまだに手で直接つける種類の花火もある。「水中花火『水爆』は、手で火をつけて手で投げる。平戸の事故はこれに失敗したんじゃないかな。プロの花火師でも、水爆だけは率先して『俺がやります』というヤツはいないから」(同)
 
現場で1人の花火師にかかる負担が増加すれば、それだけ事故の危険性は高まっていく。事故が起これば、花火大会も開催しにくくなる。
 
そんな事情と並行して、花火業界では「うちの会社は技術はいらん。質よりも大量生産だ」と考える経営者が増えてきたという。それを嫌って、辞める花火師も多いようだ。
 
「花火師は花火を作る資格を持っていないが、作ろうと思えば作れる。海外から技術指導などを請われたら、金に困った花火師は惜しみなく日本の花火の技術を伝えるだろうね」(業界関係者)
 
すでに「玩具花火」と呼ばれる小さな花火は中国産に頼っている。マイナンバー制度が結果的に、日本の職人文化を衰退させてしまうのか…。
 
 
【ここから私の意見】
 
マイナンバー制度が花火師の廃業に直結するとは、さすがに論理の飛躍があります。しかし、それでこそ東スポです。そんな東スポの姿勢を私は嫌いになれません。
 
でも、花火師が続々と廃業と聞いて、無視するわけにはいきません。秋田県大仙市は、全国花火競技大会が毎年盛大に開催されるほど、花火を猛プッシュしています。全国の花火師が減れば、大会規模もショボくなります。秋田名物が一つなくなるかもしれないという危機に対しては、秋田県民として物申します。
 
花火師廃業の根幹にあるのは、前近代的な職人気質と近代的な合理性との衝突です。正社員になることを嫌い、季節労働で丼勘定の日当を貰うのは、いかにも昔ながらの職人という印象です。徒弟制度の下、技能教育を受け、伝統技術を継承してきた矜持があり、簡単に生き方を曲げられないのでしょう(とは言え、徒弟制度全てを肯定することはできません。師匠だからと言って、弟子の金玉を蹴り潰すのは行き過ぎです)。
 
そうやって生きてきた職人も日本国民ですので、日本国の法律の適用対象です。マイナンバーが付与されますし、納税の義務を履行するために、適正な収入申告も課されます。しかし、花火師以外にも伝統芸能に携わる人は、元々日常生活秩序の外で生きる者です。日常の枠に押し込めるような扱いは、彼らの性に合わず、場合によっては芸術的創造性を殺してしまう結果にもなります(ただし、ビジネスとしての規模が拡大し、関係利権が膨らめば、企業として法律の適用はやむを得ません。契約や労働条件に違法性がないかを問われるでしょう)。
 
前近代的職人気質と近代的合理性とのバランスを調整すれば、状況変化もあり得るでしょうが、今のところ、上手くいっていないようです。このままでは、花火師の減少が止まらず、海外流出した日本の花火技術を習得した、海外(特に中国)の花火師に頼ることになるでしょう(現政権は労働力不足を外国人で補う政策に積極的ですから)。
 
そう考えると不思議です。日頃「日本古来の伝統」や「美しい国、日本」などと口にし、日本の職人芸を賛美する書籍やテレビ番組を愛読(視聴)し、嫌中の態度を表明するネトウヨが、なぜ日本文化の衰退を招き、中国の助力を得るような状況を作った、現政権を支持するのかと。
 
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