【映画評】るろうに剣心 伝説の最期編 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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日本征服を狙う志々雄真実を止めようと戦う緋村剣心だが、志々雄配下の瀬田宗次郎に逆刃刀を折られてしまう。かつてない窮地に立たされた剣心は、志々雄一派に打ち勝つため、自ら壮絶な道を選ぶ(映画.comより引用)。2014年公開作品。監督は大友啓史で、出演は佐藤健、武井咲、伊勢谷友介、青木崇高、蒼井優、神木隆之介、土屋太鳳、田中泯、福山雅治、江口洋介、藤原竜也。
 
前作『るろうに剣心 京都大火編』のラストで漂流し、浜に打ち上げられた剣心(佐藤)が、運良く剣術の師匠、比古清十郎(福山)に助けられ、再び剣の修行をするところから始まります。本作は谷垣健治アクション監督によって、香港映画テイストのアクションを取り入れていますが、この修行シーンも、どこか香港カンフー映画と似た感じになっています。比古が剣心を手招きする仕草が、ブルース・リーの真似に見えます。本作は外資のワーナー・ブラザーズ製作ですから、海外配給も視野に入れ、外国人にも伝わり易い方法を選んだのでしょうか。
 
ところで、剣心の師匠は比古みたいなキャラクターで良かったのでしょうか。個人的には、もっと強くなさそうな老師キャラクターの方が適しているような気がします。比古は剣心に奥義を授けるとともに、精神的な気づきを与える存在です。それならば、外見的な強さは不要ではないかと思うのです。宮本武蔵を諭すのは沢庵和尚であり、『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』でルークを鍛えるのは小柄なヨーダですから。まあ、比古は原作どおりのキャラクターのようですし、あくまで私の個人的見解として受け取ってください。
 
前作と二部構成なので、本作で話を収拾しなければならず、まとめ方が強引になっています。志々雄(藤原)の配下である「十本刀」のキャラクターが、ほとんど活躍していません。「とりあえず原作どおりのビジュアルだけでも出しておけ」という、やっつけ感があります。
 
また、終盤における敵役の配置が1作目『るろうに剣心』と同じような気がします。演者名で言うと、綾野剛→神木隆之介(心に闇を持つ剣客)、須藤元気→丸山智己(信仰心篤い肉体派)、香川照之→滝藤賢一(感じが悪い武器商人)、吉川晃司→藤原竜也(最終ボス)に置換されています。これは定番の黄金パターンだからなのか、それとも大友監督の「引出し」が少ないからなのか分かりませんけど、気になりました。
 
細部まで見ると、確かに欠点はあります。しかし、二作品を通じて伝えたかったであろうメッセージは、しっかり描かれています。剣心が「殺さずの誓い」を守るため、逆刃刀を持っていること。志々雄に殺された警官の遺体の傍らで号泣する遺族の姿。剣心が「戦災孤児」であったという過去。これらは殺人や戦争の残酷さを示し、いわゆる「非戦」という考えの大事さを伝えています
 
また、時代を全て背負い、自分の命を捨てても構わないという剣心の「殉教者的精神」を比古が否定し、生きようとする意思に強さがあると諭すのは、イスラム国家で繰り返される自爆テロ批判でもあり、反キリスト教なニーチェの思想にも近いものがあります。
 
これらのメッセージを青臭いと冷笑することもできるでしょうが、表現者たる者はこれくらい青臭くていいと私は思います。紀里谷和明も『CASSHERN』で平和のメッセージを「演説」していましたが、若手監督はそれぐらい情熱があって良く、変に老獪さが目立って丸くなるとガッカリします。
 
前時代(幕末)の「亡霊」だった剣心、志々雄、四乃森(伊勢谷)のうち、心身ともに人間ではなくなった志々雄は滅びの道を歩むことになります。人間であろうとした剣心と、人間らしさを取り戻した四乃森は、新時代(明治)に平和な居場所を見つけることができました。これが彼らの落とし前のつけ方だということなのでしょう。
 
★★★★☆(2016年1月21日(木)DVD鑑賞)
 
比古清十郎は坂本龍馬と同じ年という設定です。だから福山雅治が演じたのでしょうか。
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