
宇宙最大の王朝に支配されている地球。家政婦として働くジュピターは、何者かに襲われたことをきっかけに、自身がその王朝の王族であることを知る。王朝ではバレム、タイタス、カリークというアブラサクス家の3兄妹が権力争いを繰り広げており、それぞれが自身の目的のためジュピターを狙っていた。ジュピターは、遺伝子操作で戦うために生み出された戦士ケイン・ワイズに助けられながら、アブラサクスの野望から地球を守るために戦いに身を投じていく(映画.comより引用)。2015年日本公開作品。監督はアンディ&ラナ・ウォシャウスキーで、出演はチャニング・テイタム、ミラ・クニス、ショーン・ビーン、エディ・レッドメイン、ダグラス・ブース。
『マトリックス』三部作や『スピード・レーサー』のウォシャウスキー姉弟監督によるSFアクション映画です。この姉弟は、姉ラナが思想・哲学の蘊蓄担当で、弟アンディが漫画・アニメのオタク担当と趣味が分かれており、両者が協力することで独特の世界観や映像を作り出します。本作はアンディの色が強い作品です。『Vフォー・ヴェンデッタ』(製作と脚本)や『クラウドアトラス』は、ラナの色が強い作品です。
地球(現実社会)は宇宙人(機械)によって搾取される場であり、その状況を打破する「女王」(「救世主ネオ」)が凡人ジュピター(トーマス・アンダーソン)であるという設定は、括弧内の言葉と置換すれば分かるとおり、『マトリックス』とほぼ同じです。「本当の自分はヒーローなんだ!」と現実逃避的に妄想することは、いわゆる中二病の一症状です。しかし、「本当の自分は女なんだ!」と性転換手術をし、ラリーから生まれ変わったラナにとっては、かなり重要なテーマなのです。
本作の問題点は、宇宙王朝のチープ感です。人類より高度な文明や技術力を有するはずなのに、地球上のシステムそっくりの生活をしています。役所のたらい回し体質の描写が、正にそうです。『2001年宇宙の旅』を観た私からすれば、「人類より高次の存在はそんなはずでは…」と疑問が生じるのです。
「神は自らの姿に似せて人を造った」というキリスト教的見解に立てば、筋は通りそうです。地球上のシステムは宇宙王朝がオリジナルで、地球人はそれを真似ただけだと解するのです。本作にキリスト教の影響があることは否定できないでしょう。ジュピターは「神の子」で、翼のあるケインは「天使」だという解釈もできますから。
しかし、前述したように本作の物語が、「本当の自分は女王なの!」というジュピターの現実逃避的な妄想だったら、どうでしょう。妄想は個人の知識や教養を基にして生み出されます。その個人が知らないことは妄想のソースにはならないのです。決して学があるとは言えず、上流階級の生活とは程遠いジュピターに「人類より高次の存在」を想像させても、自分の身近にあるものしかソースにできないので、結局チープな姿になってしまうということです。
『マトリックス』三部作にもキリスト教の影響があり、結局は平凡な生活を送るトーマス・アンダーソンの現実逃避的な妄想と解することができます。そうなると、ウォシャウスキー姉弟は『マトリックス』から大して進歩しておらず、本作は『マトリックス』の焼き直しではないかと思うのです。
★★☆☆☆(2015年11月13日(金)DVD鑑賞)
『クラウドアトラス』に続いて出演したペ・ドゥナにもっと出番があればよかったのに。