ラグビーをよく知らない人がラグビーをネタにしてみる | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

ラグビーワールドカップ2015で日本代表チームが、強豪南アフリカ共和国代表チームから大金星をあげたというのは、今年のスポーツニュースで上位に入る出来事です。それによりラグビー人気が急上昇し、特に五郎丸歩選手が、そのキック前の指浣腸みたいなポーズも含めて注目を浴び、マスコミの引っ張りだこになっています。
 
それほど人気のラグビーをネタにして記事を書こうと思っても、ラグビーについての知識が皆無の私には無理な話です。せいぜい漫才コンビ中川家礼二の「ラグビー審判モノマネ」しか接点がありません。それなら自分の得意分野に我田引水して書いてやろうと思います。
 
皆さんはプロレスラー阿修羅・原をご存知でしょうか。本名は原進で、1947年生まれで長崎県出身。ラグビー日本代表選手で、その実力で1976年には日本人として史上初めて世界選抜メンバーに選出されています。1977年引退後は、国際プロレスのグレート草津(彼もラグビー出身)にスカウトされ入門し、ラグビーファンの野坂昭如命名の「阿修羅・原」のリングネームで活躍しました。
 
1981年の国際プロレス解散後は、全日本プロレスに入団し、天龍源一郎ともに「天龍同盟」を結成します。天龍とのタッグ「龍原砲」は、地方興行でも手を抜かない、激しく攻め、激しく受けるハードなスタイルで、当時の全日本プロレスに革命を起こしました。
 
1988年9月に後楽園ホールで開催された、天龍とのトークショーでの原の発言が印象的なので、ここで紹介します(転載元は市瀬英俊『痛みの価値 馬場全日本「王道プロレス問題マッチ」舞台裏』双葉社刊)。
 
「僕らが一番表現したいことっていうのは、決まりきったことはないんだけど、ただひとつ言えることは、一生懸命に生きてるってこと、どれぐらい真剣に毎日生きているか。一生懸命やることを、それだけを最低、いつも、常に感じ取ってほしいっていうような表現の仕方をしていくことだけは約束します」
 
どうですか。原の人柄が滲み出る言葉です。プロレスファンの私が注目するのは「表現」という言葉の使い方です。他のジャンルでトップを極めたアスリートがプロレス転向すると、プロレスをナメた態度をとることが多々あります。それまで仕掛け無しのガチンコ勝負でトップを取ったというプライドがあるので、プロレス独特の仕掛けに対して軽蔑の目を向けるからです。
 
しかし、「仕掛けがあるから真剣勝負ではない」というのは変な理屈です。芝居の世界は予め決まった筋書きがありますけど、舞台の上では全神経をすり減らす真剣勝負です。勿論手抜きの大根役者もいます。だからと言って、筋書き(仕掛け)があることで芝居の世界を軽蔑するのは、賢い態度でしょうか。作家の村松友視が、著書『私、プロレスの味方です』で「あらゆるジャンルに貴賎はない。されど、ジャンルの中には厳然として貴賎が存在する」と述べているのは、そういうことです。
 
原が「表現」という言葉を用いていることに、彼の誠実な人柄が表れています。プロレス転向後は、その独特な仕掛けに戸惑い、アスリートとして葛藤する日々があったことでしょう。その解決法として、「プロレスは表現の場である」という境地に達したのだと思います。ラグビー選手としての栄光を壊さず、プロレスというジャンルへの敬意を払う、原の心遣いを感じます。
 
原は豪快な性格で、後輩の酒食も大盤振る舞いしたため、借金が重なったことから、1988年11月に「私生活の乱れ」を理由に全日本プロレスを解雇されます(この事実を踏まえると、原の発言中の「一生懸命生きてる」が違う意味にもなります)。2年間の隠遁生活を経て、天龍の誘いでSWSで復帰し、その後は天龍とともにプロレス人生を送ります。天龍の団体WARで1994年に引退後は、地元の長崎県で後進のラグビー指導に当たっていました。
 
その原は、今年4月28日に肺炎で亡くなりました。享年68歳です。盟友だった天龍は、今年11月15日に両国国技館のオカダ・カズチカ戦で引退しました。龍原砲が築いたハードなスタイルを進化させた、「四天王プロレス」の担い手であった三沢光晴は2009年にリング事故で亡くなり、小橋建太、田上明は既に引退し、川田利明は居酒屋経営のため長期休業中です。原が天龍とともに体を張って築いたスタイルが、今後継承されるのか、それとも過去の遺物になってしまうのかは、プロレス界の大事な課題です。
 
そして、プロレスに一切関心がないラグビーファンにも、原の生き様を知ってもらい、かつて誇るべき伝説の名選手がいたと記憶してほしいのです。
 
にほんブログ村に参加しています(よろしければクリックを!)