東スポらしい戦後70年インタビュー(安藤昇) | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

新聞や雑誌で「戦後70年」というテーマで、インタビュー企画が組まれています。真面目な購読者を対象とした他紙(誌)と異なり、東京スポーツ(東スポ)はやってくれました。“短足おじさん”さん、情報提供ありがとうございました。それでは“和製スカーフェイス”安藤昇のインタビューを、以下の転載記事でお読みください。
 

安藤昇氏が激白 ニートと菅原文太

 
戦後70年。平和を謳歌する日本人は何が変わったのか。弱くなったと言われる男は、何を守り通すべきなのか。特攻隊訓練のさなかに8月15日の終戦を迎えた、大正15(1926)年生まれの“あの男”の目に映るもの――。戦後は「安藤組」を率い、その後は俳優、作家、映画プロデューサーとして活躍してきた安藤昇氏(89)が本紙の独占インタビューに口を開いた。激動の戦中・戦後を駆け抜けた男、裏も表も知る男だからこそ今、伝えたいことがある。

「男の顔は履歴書」「女の顔は請求書」などと言われることがある。一定の年齢を超えた男性には、生き方や心のありようが顔に表れ、女の顔は美しければ美しいほど“高くつく”ということらしい。

実は、この「男の顔は――」の名言は、安藤氏が40代のころ、評論家の大宅壮一氏(故人)と対談した折、色紙に書いてもらった言葉だという。そして昭和41(1966)年、映画「男の顔は履歴書」(松竹)が公開されたことで一躍有名になったのである。それから既に49年。応接間に座っていた安藤氏に、記者が名刺を差し出しあいさつをすると、そこには泰然自若とした顔があった。そして、記者の質問にゆっくりと口を開いた。

――単刀直入にお聞きします。我々が戦後、失ったものは何でしょう

安藤昇(以下安藤):特にない。いつの時代も男は男だ。

――「草食系男子」という言葉が生まれたように、昔より男が弱くなったと見る向きもある
 
安藤:それはそれでいいんじゃないの。人はその時代、その時代で生きているんだから。

――では、日本は良くなったと感じますか
 
安藤:良い悪いっていうより、(戦時中より)悪くなりようがないんだよ。だって、みんな食べてるでしょ。あのころは何も食べられないもん。うん、悪くなりようがない。そう思わないからブーブー不平不満を言うんだよ。

――確かに、物質的には豊かになったと思いますが、それでも「苦しい」と感じる人が多い

安藤:戦前を知ってる身から言うと、何を言っているんだ!?という気がする。食べられるんだからいいだろう。

――そこまで言われると、ニートが増えたなどの社会問題も一気にかすんでしまう

安藤:だから、今のそういう連中が当時生きていたら、全然違うだろうね。しんどいのは戦時中だって、戦後すぐだって同じようなもんだ。命を懸けて生きなきゃならなかった。だから(現在とは)比べようがないんだよ。

――では、どんな時代でも、男が守り通さなければならないものとは

安藤:結局、約束を守ることだな。当たり前のように聞こえるかもしれないけど、人間ってのは自分にプラスになる約束は守るけど、プラスにならない約束だと平気でほごにする。たとえば、友達が社会的に悪いことをした、じゃ手のひらを返すじゃダメ。関係性が変わったとしても、一旦男が約束したことは相手がどうあれ貫かないといけない。

――「武士に二言はない」といった意味か

安藤:そう、昔のヤクザに契約書なんかなくて、「俺の言葉が契約書」だった。それくらい昔は言葉に重みがあったが、今はそれがなくなってきた。だから、約束を守るか守らないかの前に、約束をする覚悟が必要だ。

――ヤクザ時代には枕にピストルを忍ばせていたそうですが、ストレスは感じなかったのか

安藤:いや、大したもんじゃないんだ。そんなに深く考えるなよ。

――殺されたら殺されたで仕方がないと

安藤:俺からすれば「サラリーマンが毎朝、満員の通勤電車に乗るのはなぜ?」と聞くのと同じだ。生活のルーティンなんてそんなものさ。

――昨年は俳優の高倉健さん(享年83)や菅原文太さん(享年81)が亡くなった。文太さんとは“男の友情”があった

安藤:そうでもないけどね(笑い)。わりといい加減なほうだ。だいたい俺が青山で「アスコット」っていう店やってたころは、文太は毎日来てたんだよ、暇だから。

――暇だから!?

安藤:まだ文太が売れてなかったんだ。カウンターの隅っこで飲んでた。文太とは松竹で知り合った。話したのはくだらないことだよ、女の話とか。

――その時点で文太さんには見どころがあった

安藤:見どころか…。何人かそういうやつがいたけど、モノになったのは文太だけだった。俺の店だから出世払いで飲めた。酒はきちっと飲んでたな(笑い)。

――ちなみに、長生きするための秘訣は何でしょう。好きな食べ物とか

安藤:今でも肉、サーロインが好き。量は減ったね。健康の秘訣はあまり考えない、それだけだ。

――なぜ、先のことを考えずにいられるのか

安藤:死んだら終わり。もっといい加減に考えりゃいいんだよ。果報は寝たフリをして待て。寝ててもダメだし、追いかけてもダメだし、寝たフリが大事なんだ。どうしてかって、一番楽だからに決まってるだろ!

☆あんどう・のぼる=1926年生まれ。東京都新宿区出身。海軍予科練の特攻隊で過酷な訓練を受ける中、終戦を迎える。渋谷を拠点に愚連隊を作り、52年に東興業を設立し、「安藤組」と呼ばれた。58年に実業家・横井英樹氏への襲撃事件を起こし、35日間の逃亡生活の末、前橋刑務所に収監。64年に出所すると組を解散。翌65年、自叙伝を映画化した「血と掟」(松竹)に主演し、映画俳優に転向。その後も日活、東映など数々の映画に出演したほか、映画プロデューサー、作家など多岐にわたって活動している。「男の覚悟」「男の終い仕度」「安藤昇の戦後ヤクザ史 昭和風雲録」「九門家相術の極意」など著書多数。今年8月には、開運研究「九門社」を立ち上げ、家相・気学鑑定を始める。波乱の人生経験を基にした「安藤流開運法」が人気を呼んでいる。
 
 
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