お盆は今日で最終日。お盆らしく仏教について考えてみましょう。
安保関連法案が廃案にならず、集団的自衛権行使が解釈改憲で認められると、米軍のIS(いわゆるイスラム国)掃討のために、自衛隊が「後方支援」目的で中東派遣されるでしょう。ISによるシリア日本人人質殺害事件(もう忘れましたか?)は、「イスラム教は残酷で野蛮だ」というイメージを日本に流布し、IS掃討の正当化を助長させました。しかし、イスラム教だけが残酷で野蛮なのでしょうか?
ヨーロッパのキリスト教勢力が「聖戦」の名目で中東に遠征した、十字軍の現実は殺戮と略奪だったことは歴史上明らかになっています。それでは、仏教はどうかと言えば、これまた穏やかではありません。戦国時代、比叡山延暦寺の僧兵は、(まるで現代の「暴力団」のように)武力行使をちらつかせ周囲の他宗派の中小寺院を恫喝・恐喝し、もとの宗派のままでの存続を許す代わりに上納金を納めさせて「末寺」化し、事実上支配下に置いてしまうという乱暴・横暴なことを繰り返していたのです(Wikipediaより引用)。これでは織田信長に焼き討ちされても仕方ありません。また同時代には一向一揆や法華一揆など、仏教徒による暴動があり、仏教も残酷で野蛮な時代があったと言えます。
そもそも仏教の開祖、釈迦はどうだったのでしょうか。釈迦(本名:ガウタマ・シッダールタ)は裕福な家庭に生まれ、何不自由なく贅沢な生活をして育ちました。妻を娶り、一子を授かって、このまま穏やかに一生を終えるかと思ったら、それら全てをかなぐり捨てて、出家します。親の期待を裏切る親不孝の上、妻子を捨てる家庭放棄です。残された家族からすれば、とんでもない大馬鹿者です。現代ならワイドショーのネタになります。
苦行の末、覚りを開いた釈迦は、自分が獲得した真理を衆生に説くため、布教活動の旅に出ます。そして、釈迦の教えに感銘を受けた若者は、釈迦と同じく出家する道を選びます。これも出家した若者の親からすれば、とんでもない話です。大事な跡取りをたぶらかして連れ去っていくのですから。釈迦は親御さんたちから、かなり恨まれたはずです。現代ならオウム真理教並みにバッシングされています。
それでも釈迦は己の道を極めようと布教活動を続けました。道を極める者、すなわち極道者です。釈迦が極道者というと驚きかもしれません。しかし、奈良の東大寺にでも行って、釈迦の姿を見てください。あの人、パンチパーマかけてますよ。
参考文献:呉智英『賢者の誘惑』(双葉文庫)、『つぎはぎ仏教入門』(筑摩書房)
にほんブログ村に参加しています(よろしければクリックを!)