水族館イルカ問題について思う | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

水族館イルカ問題 「追い込み漁の終わりの始まりだ!」圧力かけた豪イルカ保護団体が勝利の声明

 
世界動物園水族館協会(WAZA)の禁止勧告を受け、日本動物園水族館協会(JAZA)が和歌山県太地町の追い込み漁で捕獲したイルカの入手停止を決定した問題で、オーストラリアのイルカ保護団体「オーストラリア・フォー・ドルフィンズ」の代表は20日、英紙ガーディアンに対し、JAZAの決定は「追い込み漁の終わりの始まり。太地町のイルカ漁が終焉に向かう最初の大きなステップだ」と語った。

豪団体は今年3月、WAZAの本部があるスイスの裁判所に、WAZAのJAZA除名を求める訴訟を起こした。日本の関係者はこの法的手段を「WAZAへの圧力」と指摘しており、WAZAが日本側に除名勧告を行う遠因になったことを示唆している。

この豪団体は豊富な資金力をもとに運動を多方面に広げており、昨年はメンバーが日本を訪れ、太地町を相手に訴訟を起こしている。さらに、オーストラリア国内でも、太地町と姉妹都市にある北西部のブルーム市に圧力をかけ、太地町との姉妹都市提携を破棄するよう迫っている。(佐々木正明)
 
 
【ここから私の意見】
 
イルカ追い込み漁が残酷なやり方ですと? それでは(イルカは哺乳類ですが)他の魚類の捕獲法は残酷ではないのですか? 
 
私はエコロジストな釣り人が好んでやる“キャッチ&リリース”は残酷な捕獲法だと思います。魚類にとって水中から釣り上げられるのは、人間が無理矢理押さえつけられて水槽に顔を突っ込まれるのと同じです。だから命懸けで抵抗するのです。釣り人にとっては「引きがいい」ということになりますけど。釣り上げた後、釣り人は魚類を放流しますが、命懸けで抵抗した魚類は力尽き、そのまま“水死体”となることが多いそうです。
 
命懸けの駆け引きをスポーツ(娯楽)とする残酷な道を選んだならば、その業を背負うべきで、放流などという偽善的な逃げ道を作らないでほしいです。その点で「獲った魚は美味しく食べる」を実践する、さかなクンは一貫性があります。
 
また、イルカは哺乳類だとしても、他の哺乳類はもっと残酷な扱いを受けていませんか?
 
地球上では、毎日多くの牛や豚がハンマーで頭部をブン殴られて屠殺されています。他の動物の命を奪わなければ、人間は生きていけません。その業を肯定し、命を捧げてくれた動物に感謝して美味しく食べるのが、私の流儀であり、古来から先人はそういう考えで生きてきたはずです。動物愛護団体は、多くの牛や豚の命を奪い、世界中に食肉をバラ撒き、金儲けしているマクドナルドなどに猛抗議はしないのでしょうか? 強者には牙を剥かないけど、弱者だったら噛み付くという卑怯者ではないでしょうね?
 
これらは価値観の問題と言えます。しかし、生々しいビジネス上の理由でイルカ追い込み漁廃絶を主張してはいないでしょうか?
 
動物愛護団体は、水族館がショー目的でイルカを繁殖させることも禁止するよう主張していると聞きます。水族館が動物や施設を維持管理していくには、入場料収入が主要財源となります。そのために集客目的でイルカショーを行うのは、やむを得ないことです。もしショー目的のイルカ繁殖を禁止すれば、疑いを回避するため、ショー自体を廃止する水族館が増えるでしょう。それは来客数を減少させ、水族館の経営を厳しくします。イルカを飼育できない水族館も出現するおそれがあります。
 
水族館にイルカがいなくなれば、イルカを見たい客は、ホエール(ドルフィン)ウォッチングに行くでしょう。ホエールウォッチングは良い商売ですよね。漁師だったら、早朝から船を出し、竿や網を仕掛け、魚介類を水揚げするという重労働ですけど、ホエールウォッチングならば、船を出し、観光客にクジラやイルカを見せればお金になりますからね。また、クジラやイルカをただ放置しているだけで、エコロジストになれるという旨みもあります。稼ぎもあり、自尊心も満たすことのできる商売のため、水族館潰しを画策しているなんてことはありませんよね?
 
以上のことは、私が得た情報から勝手に推理したことです。信じなければ、それで構いません。ただし、今回の水族館イルカ問題で明らかになったのは、日本の外圧に対する脆弱性です。TPP交渉が大詰めと言われている現在、先行きが不安になります。日本人が長年築き上げてきたものが、アメリカの価値観に合わないという理由で“非関税障壁”とされ、破壊されはしないでしょうか? 不安です。