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ビートたけしさんと言えば、昭和の時代に浅草で下積みをして、1980年代の「漫才ブーム」で相方の「ビートきよし」さんと結成した「ツービート」で一気にブレイクして以来、現在も活躍されている、どなたでもご存知な芸能界の大御所の一人です。
また、タモリさん・さんまさんと共に日本のお笑いBIG3の一角を担っています。
さらに多彩な才能を発揮され、映画監督として世界的な賞も受賞していますので、世界的にも有名です。
そんなたけしさんについて書いていきたいと思います。
漫才ブームの頃のたけしさんは、私たちから見て、とにかくカッコよかった。
私もそうでしたが、たけしさんのように、自分のことを「オイラ」と呼んだり、首をカックンカックンするしぐさをマネする若者が続出したことでもおわかりかと思います。
昭和の終わり頃、私が友達と原宿に遊びに行ったとき、表参道の歩道を歩いていたら、原宿駅の方からこちらに向かって歩いてくる団体がありました。
20人くらいの青年を従えた先頭には、上下白のスーツにサングラスをかけた、その筋の親分のような人が・・・
そうです。そのまんま東さんや大森うたえもんさん、ダンカンさんやラッシャー板前さんら「たけし軍団」を引き連れた、たけしさんだったのです。
いやー、カッコよかったですね~。迫力がありました。
今思うと、その後、その筋の世界を題材にした映画を数多く撮っているのもうなずけます。
そして、たけしさんと言えば・・・
かつて、たけしさんはオールナイトニッポンでパーソナリティをされていました。
たけしさんのしゃべりがとても面白く、人気番組で、私もよく聴いていたのですが、そこでたけしさんは生まれ育った足立区の話をよくしていたんですね。
ですので、ご実家のことや、ご両親のことなど、かなりオープンにお話をされていました。
ですので、興味を持った私は、家にあった電話帳(電電公社発行東京23区版)をペラペラとめくって、足立区の欄にたけしさんのご実家の電話番号を見つけてしまったのです。
今では考えられませんが、昭和時代の電話帳には、普通に芸能人の名前・住所・電話番号が載っているケースがありましたので、まして実家ですから、当然と言えば当然なんですが。
そこで私はその番号に電話してみました。
すると、お母さんの「北野さき」さんらしき人が出ました。
「たけしさんのお母さんですよね?」と聞くと
いきなり、
「息子がご迷惑をかけてます」
なんてことをおっしゃるので、
「とんでもない!いつもたけしさんの漫才で楽しませてもらってます。」
と、最初はちょっと「いたずら電話」のつもりだったのですが、それからしばらくの間、お母さんと、たけしさんのことや世間話などをしました。
話してみて感じたのは、とても優しそうな、素敵なお母さんでした。
たけしさんの魅力は、ビッグになっても、芸人魂を忘れないことですね。
今でも、被り物とか「コマネチ」なんてギャグもやっちゃいますから。
とても謙虚な人。それはお母さんから受け継いでいるように思います。
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