86.6%の人が、英語教育に不満を持っている


子どもを持つ親は、日本の英語教育についてどのように感じているのだろうか。


未成年の子どもを持つ親に聞いたところ、86.6%が「日本の英語教育に不満」と回答していることが、楽天リサーチの調査で分かった。


 「不満」と答えた人に、その理由として「実用的な英語力が向上しない授業内容」(68.8%)、「英語を話す機会がない」(66.4%)、「受験英語と実践英語の乖離(かいり)」(60.2%)と、“勉強しても使えない”ことへの不満が目立った。


 ちなみに日本の教育制度に不満を持っている人は74.0%。英語教育への不満は、教育制度全体よりも高いことが明らかになった。


●“使える英語”への欲求


 自分の子どもにグローバルな視点を持ってほしいと思っている人はどのくらいいるのだろうか。この質問に対し、93.6%が「はい」と回答。また子どもに国際競争で戦える能力を身に付けさせたいと思うかという質問では「思う(やや+かなり)」は83.3%だった。


 「思う」と答えた人に、どのような英語教育が必要だと思うかを聞いたところ「ネイティグや専任教師、国際経験のある教師の積極的な採用」(54.4%)がトップ。以下「受験英語から実践英語に授業・勉強方法を切り替える」(52.8%)、「英会話に重点を置く」(51.5%)と、ここでも“使える英語”への欲求がうかがえた。


 インターネットによる調査で、未成年の子どもを持つ親1000人が回答した。調査期間は11月5日から6日まで。



以上。引用終わり。

http://money.jp.msn.com/news/bizmakoto/866percent%e3%81%ae%e4%ba%ba%e3%81%8c%e3%80%81%e8%8b%b1%e8%aa%9e%e6%95%99%e8%82%b2%e3%81%ab%e4%b8%8d%e6%ba%80%e3%82%92%e6%8c%81%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b




言いたいことは山ほどあるが、英語教育に携わる私としては、このニュースが偏見に歪んでいる、と言いたい。


あと、このニュースのアンケートに答えた人、つまり一般的日本人ということになるが、その人たちのコンプレックスの表れとしか思えない。



日本人が英語を話せないとしたら、それは教育のせいか?


あまりにも短絡的な結論で笑ってしまう。



いやいや、コミュニケーションは技術じゃないですよ。性格ですよ。


英語でコミュニケーションを取りたいかどうか、の気持ちの問題であって、技術じゃない。


要するに、ヤル気がないからダメなのであって、それだけです。



子どもを英語で会話させるようにしたい?だったら、子どもの性格を変えてください、と親には言いたいですよ。


そういう問題です。



例えば、使える英語、って何?受験英語と実践英語の乖離って言うけど、どこが乖離しているの?



私は、自らのアメリカでの3年間にわたる留学生活と、10年になる教育現場での経験で、受験英語と実践英語の乖離なんてものは、微塵もわからない。


クジラ構文?使う使う。わからなくても、日常生活困らないかもしれないです、たしかに。でも、それじゃ、面白くないよ。だって、刑務所の囚人だって、一言述べるのにクジラ構文使いますから。




そう、日本人の語学コンプレックスなんですよ、こういうのは。ペラペラしゃべっている人が頭よさそうに見える、っての。でも、英語ができるなんてのは、全然なんでもないんです。英語が出来ても、頭は良くないのです。



英語講師なんてのは、その最たるものです。全然頭よくない。



ペラペラしゃべっている内容で評価しなくちゃ。しゃべっている内容がアホだったら、どんだけ英語が出来たってアホなんです。


逆に、たどたどしくしゃべっている内容が優れていたら、それはかなりのリスペクトの対象なのです。



私は、アメリカで、それをよく理解しました。


私はアメリカでは、たしかに会話が下手だったと思う。でも、授業や日常生活で、知識量でコンプレックスは一切感じたことがなかったです。そのせいか、相当なリスペクトをもって迎えられていたと思いますし、会話が下手でコンプレックスを感じたことはなかったです。




日本人が英語下手というのは、たしかにそうかもしれない。


が、それは様々な理由があり、例えば島国であるとか、日本人の内向性とか、英語と日本語の母音の数の違いとか、様々であって、


教育と決めつけるのは、あまりに浅はかな物の見方だと思う。



第一、外国語をしゃべるのは、ミスの連続で、しかも恥をかくことであり、しかめっ面されることであり、誤解の連続であり、しんどいことである。それを克復する根性さえあれば、あとは技術なんかどうにでもなることです。




私はハッキリ言いたいが、


英語教育なんて、現状で十分すぎるくらい。というか、日本の英語教育は世界トップレベルである。


むしろ、国語教育に力を入れるべき。



あとは、語学よりも、他の学問分野に力を入れるべき。



中身のない英会話なんて、全く表面的なものです。


昨日、この資料を入手しました。




『日本解放第二期工作要綱』

http://yusan.sakura.ne.jp/library/china_kousaku/



最初見たときに、偽田中上奏文みたいなものかと思ったのですが、全て眼を通した結果、ニセだとは思いませんでした。


一応、自分には、真贋を見極める力はあると思います。


これは、本物であると仮定して行動するのが正しいと感じました。



社会科学者として最も大切な価値観は安全保障です。


社会を守る者として、社会の壊し方はきちんと学ばなくてはなりません。


その社会の壊し方に興味がある人は、ぜひ上の論文を読んでみてください。


30分程度のリーディングですが、きっとグッドリーディングです。

「以下の問題は、上記問題で○○点以上をとり、かつ○月○日までに未提出物がない者のみ採点する」




愛光中学2年生英語期末テストの最後に、こんなようなことが書いてありました。


で、以下の問題は数にして10問ほど。動詞の活用形を答えさせるシンプルなものでした。





もしも私がこんな問題を前職の予備校で作ろうものなら、


確実に干されたことでしょう。



(というか、こんな問題作ってなかったけど干されていた気もしますが。。。汗)





この問題を作る意図はなんでしょうか。


「頭いい奴で、俺の言うことを忠実に守った奴には、スコアやる」って聞こえるのですが、


なんですかね、スコア取れなくて、言うことを守らない生徒に対するあてつけか見せしめか、何かでしょうか。



何か、私がこれを気に入らないのは、無性にハラがたつのは、


子どもの尊厳を踏みにじっているから、という気がします。


すごく人をバカにしている気がして、だから許せない、と思います。




こういう問題作ったらダメなのか、と言われたら、作っていいのかもしれません。


別に法律や条例で禁止されているわけじゃ、ないですし。


じゃぁ、問題ないじゃないですか、と言われたら、そうですね、問題ないのかもしれません。



だったら、


仮に回答資格を満たした上で、問題を無視するのも問題ないはずです。


いや、無視するどころか、回答欄を真っ黒に塗るとか、「採点できるのはマトモな教師のみ」とか、書いたって問題ない。



別に法律や条例で禁止されているわけじゃ、ないですし。



先生ができない生徒から回答欄を奪うマネをするのだから、


生徒がアホな先生から採点権を奪ったっていいんじゃないでしょうか。




なんてことを思いました。




まぁ、情けないですね。教育者としてのマインドが情けない、と思いました。




あと、これに怒りを感じられない生徒たち。


ガリ勉もいいかもしれないが、もっと学校で教えてくれないような大切な価値観、感性を磨かなくちゃダメだよ、


クズなオトナになっちゃうぞ、


と言いたい。


というか、塾では言っていますが。



英語以前に、子どもたちの人格形成がとてもとても心配です。





あと最後に。


テストに間違いが多過ぎ。テストの解答にも間違いが多過ぎ。


どうなってんだ?



たとえば、


colonist 複数形になっていないとか、this sunday は副詞的目的格なのに前置詞がついているとか、


前回のテストでは、継続用法の関係詞目的格を省略しているとか、


英語もかなりミスが多いですね。



本来こちらも問題なのですが、


これがずいぶん瑣末な問題に思えてしまうのが、一層情けないところです。

昨日13日、愛光の授業参観があり、行ってきた。


で、1限の中2英語の授業を見させていただいた。教師の名前は、アンドウ先生というらしい。



この先生、前から気になっていた。学年通信に書いてある文言や、またはテストの作り方などで、自分の中ではおおいに不満があった。どんな先生か一度見てみたいと思い、見に行ってきた。



授業は受動態を扱う授業。たんたんとした感じで進んでおり、良い授業とは思わなかったが、悪い授業とも思わなかった。板書が汚い、とは思ったが。



ただ、驚いたのは、授業の終わり頃、先日の3教科テストの返却の時のこと。



まず、先に成績優秀者のテストのみを返却した。生徒の名前を呼んで、「満点」とか、「エクセレント」とか、そんな一言を添えつつ、返却していった。


そのあとで、先生は、おもむろにプリントの束を取り上げ、それを4つ折り、8つ折りにして、「こんなものは答案ではない」と言って、片手で横に放り投げたのだ。


そして、「あとの生徒は順番に前に取りに来なさい」という。教卓の上にテストを順番に取りに行っているのだが、おどろいたことに、なんと床に落ちたプリントを群がるように生徒たちが取りに行っている。



先生が「こんなものは答案ではない」と言って放り投げたのは、スコアが悪かった生徒たちの答案だったのだ。



結構一瞬の出来事で、最初は何を放り投げたのかもわからず、判断するのに時間がかかったが、状況が理解できたとき、自分は体の中がおかしくなった。緊張とかとは違う、何か違和感が体の中を逆流した感じだった。そして、授業の途中だったが、教室を出た。



そうか、できない生徒の答案を、この先生は放り投げるのか…。しかも、今日は参観日じゃないか。親が見ていても…、いや、そんなのは全くお構いなく、普段からこんなことをしているのか…。




私としては、生徒として、そして親として、そして教育者として、3者の立場からこの先生を認めない。もちろん今は生徒ではないが、生徒目線で考えて、こいつに習いたいとは思わないだろう。むしろ、自分だったら受け取り拒否するだろう。いや、自分だったら、自分をコントロールできないかもしれない。



いままで塾生には、「学校の先生のところには質問行きなよ。」なんてことを、半ば強制するように言っていたが、金輪際、この先生に限っては、それはありえないと思った。というか、後悔した。


こんなものは答案ではない、とテストを放り投げたように、私としては、こんな奴は教師ではない、といって、窓からこの人を放り投げたい気がした。



以前、この先生は、確か中間テストの後の学年通信で、こんなようなことを書いていた。


「出来た40数名は優秀で、できなかった生徒は能力と適正不足。そろそろ、公立高校の入試の準備に本気で取り組んでください」とか…



愛光は私立である。つまり、学校やめちまえ、ということを婉曲的に言っているわけだ。


中学2年生相手に皮肉言って面白いか?


そもそも、オマエの授業聞いている奴が、テストできなかったんだろ?オマエの責任はどうなんだ?ゼロなのか?なんで子どもの責任には出来て、その責任が自分には向かないのか?たしかに生徒の不勉強という側面もあるだろうが、勉強もさせられないテメェの力量不足じゃねぇのか?

そもそも、子どもに向かって、能力不足とか言うなよ。信じたら、どうすんだよ…、全く腹立たしい。



まぁ、ハッキリ言って、アンドウ先生とやらは、クズ教師です。




生徒手帳には、愛光は「世界的教養人」の育成を目指すとかなんとか書いてある。が、仮に奴が世界的教養人じゃないとして、将来世界的教養人を目指す子供たちの前でこんな振る舞いをしていて、子供たちが世界的教養人になるのか?いやいや、こいつと全く同じようなマインドの、子供の前で平気で皮肉言ったりして憂さ晴らししかできない、クズ人間の誕生だろう。教育上、良くない。




というわけで、


バカは死んでも治らない、というコトバがある。いや、子どもなら教育できる。が、オトナのバカはもうどうしようもない。ましてや、相手は教師。どこまで柔軟な頭を持っているかはわからないが、多分ダメだろう。もう、手遅れ。


というわけで、この人をどうのこうのしようという気持ちはない。


が、少なくともこの人よりかは幾分マシじゃないかと思われる、理事長とか、校長とか、その辺に手紙を送ろうかと思う。私怨から、ではなく、県内の教育を少しでもマシにするがために。

今後、DJでは、


「ビミョー」 と、 「一応…」


を禁句と致します。




なぜなら、こんな適当な返事をしていると、


将来、アホな答弁をしている政治家みたくなってしまうから、です。



ウソ。




要するに、


「単語毎日やっていますか?」


という返事に、


「ビミョー」 とか、 「一応…」 とか、


そういう返事はありえないわけです。



それは、関与が適当なことを表す以外のなにものでもありません。



塾が許さない以前に、


自分がそれを許さないようにならなければ、


いけません。



はやくそのようなマインドを身につけましょうね。



とにかく、


「ビミョー」 と、 「一応…」 は、やめてください。

セルジオ越後の一蹴両断! 

第278回「カズのフットサル代表選出には大きな疑問が残る」

http://www.excite.co.jp/News/sports_clm/20121018/Shueishapn_20121018_14699.html


11月1日にタイで開幕するフットサルW杯の日本代表候補に、横浜FCのカズ(三浦知良 )が選ばれた。メディアはこぞってこの話題を取り上げ、壮行試合のチケットは一瞬で完売。さらに、W杯の放映権を持つテレビ局も、CSだけだった中継を地上波でもやることにした。さすが、カズ効果は絶大だね。

ただ、誰も指摘しないから言うけど、僕にはこれが本当に日本のフットサルのためになるのかという疑問が残る。

注目度の低いフットサル人気をなんとかしたいという日本サッカー協会の気持ちはわかる。実際、カズには今年1月、Fリーグ(日本フットサルリーグ)の試合にゲスト出場し、リーグ史上最多の観客数を集めた“実績”もある。あれはいい試みだった。

でも、今回はそれとは次元の違う話。カズであろうと誰であろうと、国を代表するナショナルチームへの“ゲスト参加”はあってはならないと思う。代表とクラブは全くの別物。日の丸を背負ってプレーすることには、もっと重みがあるべきだ。Fリーグでうまくいったから今度は代表でも、という安直な考えなら筋違いも甚だしい。例えば、今のカズがA代表や五輪代表に選ばれたら、さすがにおかしいと思うでしょ。それと同じことが行なわれているんだから。

もちろん、選ばれたカズ自身にはまったく責任はない。プロなら自分の価値を高めるチャンスを断る理由はないし、彼は日の丸をつけてプレーする意味を誰よりも理解している。ほかの選手たちにとっても、憧れの存在であるカズがチームメイト になるのはうれしいことで、ピッチ内外で好影響を与えてくれるはずだ。

ただ、カズ招集が現場発の発想じゃないのは明らか。日本代表のロドリゴ監督は自分の意思だと強調しているけど、わざわざ現役のJリーガーを、しかも所属クラブで満足に出場機会を得られていない選手を呼ぶ理由は、やはり見当たらない。しかも、いま横浜FCはJ1昇格プレーオフ圏内にいる。出場機会が少ないとはいえ、リーグ終盤の大事な試合が続くチームの選手を呼ぶなんて強引すぎる。誰がどういう条件を提示して、横浜FCと話をつけたのだろう。

W杯で本気で勝つためにJリーガーを入れるというアイデア自体は悪くないと思うんだ。11人制のサッカーとは勝手が違うフットサルでも、十分通用しそうな選手もいるからね。例えば、合宿に何人か参加させてセレクションをするなどしたら面白いだろう。

でも、今回のような安直なやり方には賛成できない。

確かに、世間の注目を集め、W杯は盛り上がるだろうけど、それはあくまでカズ人気によるもので一過性にすぎない。その後のビジョンがなければ、フットサルの普及・強化という本来の目的にはつながらないよ。

結局、カズ人気を当て込んだ協会が、スポーツ中継にタレントを呼ぶテレビ局と同じ発想をしてしまったということ。協会の大仁邦彌 (だいにくにや)会長は今年6月の会長就任以降、存在感を発揮できていない。その焦りもあって、もともと自分がフットサルの普及部門を担当していたことから、このタイミングでカズを担ぎ出したんじゃないかな。それならそれで、せめて「自分たちでは力不足でフットサルを盛り上げられない。だから、今回はカズに頼ることにした」と説明するのが筋だと思うんだけどね。


以上。


セルジオ越後は、とにかく辛口で、時に気分を悪くするくらいだが、これは正しいと思った。



セルジオ越後はこう言っている。


「もちろん、選ばれたカズ自身にはまったく責任はない。プロなら自分の価値を高めるチャンスを断る理由はないし、彼は日の丸をつけてプレーする意味を誰よりも理解している。」



ただ、


「国を代表するナショナルチームへの“ゲスト参加”はあってはならない」


とも言っている。




カズは、今回のワールドカップで、予選を戦っていない。予選6試合、一回も出ていない。どう考えても、ゲスト参加、である。


それに、フランスワールドカップで直前で漏れたのだから、代表落ち、特に、予選を戦ってきたにもかかわらず代表落ちすることの意味くらい、分かっているはず。



空気読めば、自分が入れば落ちる選手がいるわけで、その気持ちに共感できるのであれば、断る、ということも出来たんじゃないかと思う。なにしろ、誰よりもそれが分かっている人なのだから。


自分はカズが偉大な選手だからこそ、断わって欲しかった。オーストラリア行った時もそうだったが、案外、節操がない。




なんか、フットサルでワーワー言っているこの雰囲気が、アホらしく思える。



あと、試合を見て感じたが、実はカズ、いない方がいいんじゃないかと…、フランスワールドカップ予選と同じことを考えてしまった。実は、口が避けても言えないが、一緒にやっている選手がそれを感じているんじゃないか?



カズは偉大だと思う。間違いない。


ただ、それとこれとは別問題だ。


私は、カズが居なかったとしても、フットサル日本代表は盛り上がったと思う。

【産経抄】
10月31日

2012.10.31 03:31 産経抄

 清々(すがすが)しい思いでその場面を見た。28日、東京競馬場で行われた秋の天皇賞の後のことだ。エイシンフラッシュ号でレースを制したミルコ・デムーロ騎手が正面スタンド前で馬を下りた。芝に片ひざをつき、貴賓室の天皇、皇后両陛下に深々と頭を下げたのだ。

 ▼デムーロ騎手はイタリア人である。日本でも大活躍していることは競馬ファンなら誰でも知っている。極めて真面目な親日家なのだそうだ。それにしても、勝利の興奮の中でも両陛下への礼節を忘れないその所作に、こちらが頭を下げたくなった。

 ▼それで思い出したのは、9月に開かれたあるパーティーの席だ。乾杯役をつとめたのは、英国人ジャーナリスト、ヘンリー・ストークス氏だった。英語で日英の近代史などについて語った後、日本語でこう「音頭」をとった。「天皇陛下バンザイ!」。

 ▼ストークス氏は長くタイムズ紙東京支局長などをつとめた。三島由紀夫と最も親しかった外国特派員としても知られる。日本文化に造詣が深いジャーナリストの思いがけぬ「音頭」だった。会場がいっぺんになごやかな空気に包まれたことは言うまでもない。

 ▼デムーロ騎手にしてもストークス氏にしても自然な形で、両陛下に敬愛の念を示した。それぞれの母国の精神風土がもつ懐の深さだろう。大統領が天皇陛下に謝罪を求めたり、日本文化を理解せず靖国神社参拝を非難したりする。そんな近隣諸国とは雲泥の差がある。

 ▼もっとも逆の立場で、日本人が他国の国王や女王に礼を失せずにすませるのか気になる。教育現場では相変わらず国旗、国歌を無視する教師があとを絶たない。しかも一部のマスコミがこれをあおるようなら、いささか心もとない。



以上。引用終わり。


このレース、私は見てなくて、結果だけをニュースで見た。そして、私も感動してしまった。


なんというか、さわやかな感動。すがすがしさ。本当に、体の底から、感動がわいてきた。美しい、と思えた。


本来はレース後の検量までは、馬から下りることはルール違反らしい。が、JRAから処分は下されなかったとのこと。JRAの度量の広さがうかがえる。



本当に美しいですね、それ以外にないです。



昨日、親から連絡があり、話をきいたところ、友人が自殺したとのことだ。



まぁ、こういったことには、当然慣れていないので、


気が動転し、コトバが出なかった。


で、まっさきに考えたのは、「なぜ?」って疑問。なぜなんだ、と。



友人とはいえ、最後に連絡をとったのがもう、かれこれ10年くらい前になる。が、早稲田にいたころ、10回以上は彼の家に寝泊りしていたし、メシも食い酒も飲んでいるから、やはり今も友人という感覚だ。



なぜ、自殺なんかしたんだろうか。


現役で早稲田受かり、銀行に入り、そしてすぐに結婚して子どももいたのに、なぜ自殺か…、


死者にムチうつようなことはしたくない。でも、なぜ、って思う。




そんなこと言ったら、こっちだって死にたくなったことなんか、数え切れないほどあった。


ボタンひとつで死ねるのなら、いつだって押しただろう。


死ぬ夢なら何度も見たし、橋の上から凍った川を眺めては、ぱっと落ちて10秒後には死んでしまいたいと、アメリカにいた頃はよく考えた。



でも、もしもうまく生きれないから死にたいのだとしたら、それは生きたいの裏返しだと思う。本当は、生きたかったんじゃないのか?自分の場合は、いつもそんなんだった。そんな、しょうもない理由で、人生をやめたかったんだろう。



死者にムチ打つマネはしたくないのだが、でも、これだけは言いたい。


子どもを残して死ぬ父親は、最低だ。



もう、この年なんだから、自分のためじゃなく、他人のために生きろよ、と言いたい。言いたかった。




なぜ、死んだんだろうな…






自分は生きることをどう考えるか。


今までは、「オレが、オレが…」という生き方だった。いつでも自分が中心だったし、自分が主人公だった。そうでなくてはいけない人生だった。


でも、今はもう違う。自分は、もう人生の舞台を降りつつあるのだ。


今は、子どものため。そして、日本の将来を作る次世代のため。


息子に関しては、本当に、好きなことをやらせたい。自分が好きなことを、自分で考え、強く生きて欲しい。何をするにも、こちらから強制しない。手伝うことは、極力手伝う。完全な自由と、そしてその責任を、両方を与える。


それを見守って、生きてゆきたい。


息子が仮に夢敗れても、それならそれで構わない。それなら、今度は孫の夢を応援する息子を自分は黙って応援するだろうし、それでいい。




もう人生は半分終わった。死は確実に近づいている。


現世が少しずつ自分の世界じゃないような感覚になっている。決して彼岸に期待するという意味ではない。そもそも、あの世には何もないほうが良いくらいに思っている。


自分が死んだあとでさえ、子どもたちが繁栄できるように、そして日本という国家で幸せに生きていられるように、


そのために生きていこうとするだけで、自分は絶対に自殺はしないと思う。


仮に故意に死ぬとしたら、それは大東亜戦争での特攻隊と同じように、郷土を守りたいという思いや、大切なものを守らねばならないときだろう。




塾生に期待したいことは、


やはり、人生は一度きりだし、かなり自己中に生きて欲しいということ。


そのための勉強なんじゃないかね。


夢を全力で追いかけて欲しい。



そしたら今後は、次の世代がそうするのを全力で助けて欲しい。


そんなんで、社会は幸せに、みんなが幸せに暮らせる社会に近づけると思う。



日本維新の会の公約を見ました。



Jive Talk

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/photos/121026/waf12102613160017-p1.htm



かんたんに感想を書き並べると、


1.首相公選制はどうなんでしょう…、自分としてはビミョーです。

  

2.キャリア官僚の40歳定年制!?これは反対。ビックリした。


3.2045年を目処に外国軍(米軍でしょ?)を本当に日本から追い出すのか?で、それまでにどれだけ強力な自衛隊を作るつもりなのだろうか。本当に、それで日本人の生命と安全を守れるのだろうか。


4.TPP?勘弁願いたい。以前から断固反対。日本がおかしくなる。


5.教育委員会制度の反対はOK。





だいたい、上を見て、直感的にこう思いました。


キャリア官僚の40歳定年って、本当にそんなことしていいと思ってんのだろうか。


そんなことするくらいなら、国会議員の定年を、65歳にして欲しい。65歳以上は、参政権(選挙権・被選挙権)を制限した方が良いと以前から思っている。


キャリア官僚は、40歳で経験も豊富で国民のために仕事ができる。なんのために、40歳で定年なのか、合理的根拠はどこにあるのだろう…???




あと、2045年までに、相当強い自衛隊を配備する予定なのかな。だったら、賛成です。核武装して、自分の国は自分で守れるようにしなくちゃ。




それにしても、頼りない党だな、と思ってます。もう、以前から思っていましたが。


石原さんの方が期待できるかな?

とりあえず、テキストをひとつ、作り終えました。


youtube で JAZZ を聴きながらカタカタ入力していたのですが、すごく落ち着いたし、はかどりました。


最近は、ガストやマックで集中力を欠いていたので、なんか嬉しい発見でした。塾でも、深夜JAZZを聴きながら仕事すると、おおいにはかどります、実は。



塾生も、もしかしたら、JAZZとか聞いたら、いい気分で勉強できるかもしれませんよ。


歌詞があるものは、思考をジャマされるけど。


クラシックやJAZZなんかは、集中力高まります。







やはり、何事もリズムなんじゃないかな。


リズムがあると、仕事も勉強も、そのほかも、気持ちよく出来るものです。






暗く静かな部屋に、ジャズとコーヒー。


落ち着いた環境で、脳ミソはノリノリです。ドンッ





でも、夜型の勉強は、やはりちょっと子どもには勧められません。



定期テスト間際になって、夜遅くまで勉強している子がたくさんいるようですが、



テストの時こそ、ゆっくり寝ている人の方が、スコアはきっといいと思いますよ。





睡眠時間削っていいことなんて、全くないです。





まぁ、やはり規則正しい生活、



睡眠と食事、これが体に一番いいことですから、



そのリズムの中で、よい勉強方法を見つけて欲しいなぁと思います。