昨日、親から連絡があり、話をきいたところ、友人が自殺したとのことだ。



まぁ、こういったことには、当然慣れていないので、


気が動転し、コトバが出なかった。


で、まっさきに考えたのは、「なぜ?」って疑問。なぜなんだ、と。



友人とはいえ、最後に連絡をとったのがもう、かれこれ10年くらい前になる。が、早稲田にいたころ、10回以上は彼の家に寝泊りしていたし、メシも食い酒も飲んでいるから、やはり今も友人という感覚だ。



なぜ、自殺なんかしたんだろうか。


現役で早稲田受かり、銀行に入り、そしてすぐに結婚して子どももいたのに、なぜ自殺か…、


死者にムチうつようなことはしたくない。でも、なぜ、って思う。




そんなこと言ったら、こっちだって死にたくなったことなんか、数え切れないほどあった。


ボタンひとつで死ねるのなら、いつだって押しただろう。


死ぬ夢なら何度も見たし、橋の上から凍った川を眺めては、ぱっと落ちて10秒後には死んでしまいたいと、アメリカにいた頃はよく考えた。



でも、もしもうまく生きれないから死にたいのだとしたら、それは生きたいの裏返しだと思う。本当は、生きたかったんじゃないのか?自分の場合は、いつもそんなんだった。そんな、しょうもない理由で、人生をやめたかったんだろう。



死者にムチ打つマネはしたくないのだが、でも、これだけは言いたい。


子どもを残して死ぬ父親は、最低だ。



もう、この年なんだから、自分のためじゃなく、他人のために生きろよ、と言いたい。言いたかった。




なぜ、死んだんだろうな…






自分は生きることをどう考えるか。


今までは、「オレが、オレが…」という生き方だった。いつでも自分が中心だったし、自分が主人公だった。そうでなくてはいけない人生だった。


でも、今はもう違う。自分は、もう人生の舞台を降りつつあるのだ。


今は、子どものため。そして、日本の将来を作る次世代のため。


息子に関しては、本当に、好きなことをやらせたい。自分が好きなことを、自分で考え、強く生きて欲しい。何をするにも、こちらから強制しない。手伝うことは、極力手伝う。完全な自由と、そしてその責任を、両方を与える。


それを見守って、生きてゆきたい。


息子が仮に夢敗れても、それならそれで構わない。それなら、今度は孫の夢を応援する息子を自分は黙って応援するだろうし、それでいい。




もう人生は半分終わった。死は確実に近づいている。


現世が少しずつ自分の世界じゃないような感覚になっている。決して彼岸に期待するという意味ではない。そもそも、あの世には何もないほうが良いくらいに思っている。


自分が死んだあとでさえ、子どもたちが繁栄できるように、そして日本という国家で幸せに生きていられるように、


そのために生きていこうとするだけで、自分は絶対に自殺はしないと思う。


仮に故意に死ぬとしたら、それは大東亜戦争での特攻隊と同じように、郷土を守りたいという思いや、大切なものを守らねばならないときだろう。




塾生に期待したいことは、


やはり、人生は一度きりだし、かなり自己中に生きて欲しいということ。


そのための勉強なんじゃないかね。


夢を全力で追いかけて欲しい。



そしたら今後は、次の世代がそうするのを全力で助けて欲しい。


そんなんで、社会は幸せに、みんなが幸せに暮らせる社会に近づけると思う。