「特攻と虐殺は違う」アウシュビッツとの友好協定中止を決定
さきの大戦末期、旧日本陸軍の特攻基地「知覧飛行場」があった鹿児島県南九州市が、アウシュビッツ強制収容所跡地のあるポーランドの都市と進めていた友好交流協定の問題で、南九州市は27日、協定締結を中止することを明らかにした。「特攻とユダヤ人虐殺が同一視されかねない」という市内外からの反発によって、見直しを決めた。
以下略。引用終わり。
http://www.sankei.com/west/news/150728/wst1507280022-n1.html
これは、お粗末きわまりない。
オシフィエンチム市に対し、とても失礼な話だろう。
市長は、
「平和な世界の構築に向けてメッセージを送り続けねばならない」
と考えた、とのことだが、
私としては、特攻隊員の意思と、平和の構築、というのが、なんか結びつかない。
私としては、命を懸けて守るものがある、というメッセージを、
知覧から受け取ることができるのだが…
昨年、私は知覧に行ってきた。
そこで、世界遺産登録のための署名活動をしていたが、無視した。
そのことは、ブログでも記述した。
http://ameblo.jp/dizzyjivelog/entry-11843044414.html
特攻へ出向いた人たちの純粋な気持ちを、世界の人たちと共有しようなんて発想は、私はない。
ものすごく、失礼な話だ。
というか、なんのために世界遺産登録するのか。
金のためか?
アンドレ・マルローの言葉を引用したい。
フランス人でありながら、ここまで言っていただいたことに、ただただ敬意を感じるばかりである。
「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。これは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。ス夕-リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日本の特別特攻隊員たちはファナチックだったろうか。断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかっ た。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ。
戦後にフランスの大臣としてはじめて日本を訪れたとき、私はそのことをとくに陛下に申し上げておいた。
フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、こんなにすくない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を 抱く者もいる。そういう人たちに、私はいつもいってやる。《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?》と。私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、 いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである」








