愛媛新聞の地軸より引用



 「鹿を指して馬となす」という言葉を思い出した。秦の始皇帝の死後に実権を握った趙高は臣下の従順さを試そうと、馬だと偽って鹿を2世皇帝に献上。臣下は趙高におもねって異を唱えなかったという故事▲


 権力によって、間違ったことを押し通すことを表す。2千年以上前の理不尽な出来事が目の前で再現されてはたまらない▲


 昨日の衆院本会議で、集団的自衛権行使を解禁する安全保障関連法案が自民、公明両党の賛成で可決された。前日の衆院特別委員会に続く数の力での強行。戦後、宝のごとく守ってきた「平和主義」が一内閣によって崩されようとしている▲


 憲法学者の多くが「違憲」と指摘しても、自民は理屈を並べて「合憲」と突っぱねた。過去2回の衆院選で大勝した安倍晋三首相が率いる党内には、異論を唱えにくい雰囲気があるのだろう。「それは鹿です」と言い出す幹部はいない▲


 国民はこの法案の危うさに気付いている。内閣支持率が下がっているのがその証し。だが採決前の党内から「支持率の急降下も覚悟」との意見も出たというから国民軽視も甚だしい▲


 無理を通して道理を引っ込めても、いつかほころびが出る。趙高は後に反対勢力の粛清を繰り返して国民の反感を買い、秦滅亡の原因をつくった。今こそ「良識の府」である参院が力を発揮せねばなるまい。「鹿」は決して「馬」にはならないことを示さなければ、日本の行く末は危うい。



以上。引用終わり。

http://www.ehime-np.co.jp/rensai/chijiku/ren018201507176733.html





この馬鹿の故事について、私は愛媛新聞に向かって言いたい。


中国・北朝鮮の脅威を脅威と言わないメディアこそ、馬を鹿と偽っているようなものじゃないか、と。


安保法制に反対する人たちは、中国・北朝鮮のことを脅威とは言わない。


軍事力を背景に膨張主義を推し進める中国を、なぜか非難しない。



先日、宮崎駿は、



「軍事力で中国の膨張を止めることは不可能だと思います。もっと違う方法を考えるために、そのために私たちは平和憲法を作ったのだと思います」


と言っていたが、


これこそまさに典型的な馬鹿であろう。



わかりやすく言うと、


ムスカを無力化したのは滅びの呪文であって、交渉じゃなかった。


はたして平和憲法でムスカをとめることはできるのか?



宮崎駿には、馬鹿にするな、と言いたい。


せっかくいい作品を作っていても、センスのない政治的発言を連発すると、作品を楽しめなくなる…。




憲法前文には、


「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」


とある。



要するに、諸外国がマトモなら、日本は平和憲法でいい。


が、現実は、憲法の理念とは全く違うという。



私は、共産主義が大嫌いであるが、その理想についてはむしろ好きと言えると思う。


が、やはり嫌いだというのは、それが現実から乖離しているから。


残念ながら、人間の本性は、マルクスが想定していたものとは大きく違っていたのだ。


どんなに素晴らしい理想であっても、現実から乖離していたら、絵にかいた餅である。


そんなのは食えないのだ。



理想を追い求めるのではなく、現実に合わせていく、


為政者として現実的なアプローチをするのは、極めて当然だと思っている。


国民の命を真剣に守るのであれば、


平和憲法ではなく、軍事力で守るのは当然だと思う。




為政者は、国民の生命・財産を守るためなら、決してきれいごとではなく、


時には悪魔と契約してでも、国民の生命・財産を守るという目的を貫徹してもらいたい。


国が再び焦土とされないためには、どんな手段だって肯定される。



それを、上から目線で馬鹿という奴がいたとしても、


理想を始終守って殺されるよりは、ずっとマトモである。


考えたくないことから目を背けることこそ、馬鹿だと思う。




ここでひとつ名言。



今の日本は愚者の楽園だ。


みんな、自分の快楽を求め、 他人の事には無関心だ。


政治にも、日本の未来にも、世界の未来にも。



昔の日本の方が、今よりもずっとマトモだったと思う。


戦前なら、拉致なんかが起こったりしたら、健全な世論が形成され、すぐに国が動いただろう。


今は、そろいもそろって、愚者、じゃないかと思う。


ホント、馬鹿ばかり。