うちの塾では、こういう教育はしません。

(というか、これは教育ではなく、むしろ虐待だと思います。)



「ルール違反した息子のゲーム機バキバキに折った」 
高嶋ちさ子氏の子育てコラムに賛否両論





家庭内のルールを破ったので、息子のゲーム機をバキバキに折った――。バイオリニストの高嶋ちさ子さん(47)が、東京新聞の子育てコラムでこんな内容を書いて、ネット上で論議になっている。

高嶋ちさ子さんは、テレビにも出演しており、独特の辛口コメントで知られる。

◆「長男は悲鳴を上げ、かなり落ち込んだ」


「ゲーム機バキバキ事件」。タレントのリレー方式で連載している東京新聞のコラムでは、高嶋さんは2016年2月12日にこんな刺激的なタイトルで自らの子育てを語った。

それによると、高嶋さんは、ゲーム機を子供に与えない方針だが、長男の友達の母親からプレゼントされ、特別に許すことにした。息子が2人おり、公平にと考えて、次男には、自らがゲーム機を買い与えた。

ただし、ゲームを許すに当たっては、家庭内にルールを設けた。高嶋さんは、ゲームは週末に宿題が終わって時間が余ったときだけと言い渡した。19時以降に子供は電化製品に触れないルールがあるので、土曜日の17~19時までがゲームの時間になった。

ところが、ある金曜日の夜に長男がゲームをしているのを見つけ、宿題も終わっていないというので、高嶋さんは激怒した。そして、「ゲーム機を手でバキバキと折った」と明かしたのだ。長男は、それを見て悲鳴を上げ、かなり落ち込んでいたという。次男についても、その日はチェロの練習をしていなかったことに怒り、買ったゲーム機も折って壊した。

コラムでは、「約束は守らないといけません」とのキャプションを付けて、2つに折ったゲーム機2台の写真を載せている。

息子2人に対しては、ゲームができないことより、母親の信用を失ったことを嘆くよう説教したそうだ。そして、長男が翌週、算数のテストで満点を取り、それは折れたゲーム機のおかげだったと高嶋さんに話したことも明かした。

◆「特に、お答えすることはありません」

ゲーム機を壊したことについて、高嶋ちさ子さんは、ほかの母親から、隠したり取り上げたりといった生ぬるいやり方ではなく本気を見せないとダメだと分かったとメールで反応があったことも紹介した。ただ、母親たちの間でゲーム機を壊すことがはやることには懸念も示した。

高嶋さんのこのコラムがツイッターなどで紹介されると、ネット上では、たちまち賛否両論になった。

賛同する声としては、「ダメなものはダメだと強く教える事は大事」「別にこういう育て方もありだろ」といった書き込みがあった。

しかし、疑問や批判の声の方が多く、「子育てではなくただの虐待」「逆効果なんだよな」「自主性が奪われてしまう」との指摘が出た。また、ものを大切にしないのは教育上よくない、ゲーム機を贈った人の気持ちを考えろ、ゲームを楽しんでいる人には非常に不快だ、といった声も上がっていた。

この騒ぎで、ウィキペディアの高嶋さんの項目が荒らされるまでになった。東京新聞の生活部が「読んでみてくださいね」とツイートすると、なぜこんなコラムを載せるのかと炎上した。このツイートは、その後削除されている。

高嶋さん側は、疑問や批判について、どう考えているのか。

マネージャーに取材すると、「特に、そのことについては、お答えすることはありません」と答えた。メディア窓口のジェイ・ツーによると、賛否両論があるため、高嶋さんは、とりあえず静観しているとのことだった。



以上。引用終わり。
http://www.j-cast.com/2016/02/15258532.html





これは、言葉を失います。

子どもが大切にしているものを、見ている前で壊すというのは、

子どもの心まで破壊すると思います。


親子という力関係があって、

逆らえない状況で、こんな悲惨なことをされたら、

子どもの盲従する傾向はますます強まるでしょう。


人は軽度の抑圧なら反抗できますが、

強度の抑圧に対しては、それに対する盲従傾向が強まります。

つまり、奴隷みたいな精神になってしまう。



これは、教育ではなくて、虐待と言った方が良いと思います。




約束を破ったら、よくないとはいうが、

それならそれで、母親も子どもに対して約束を破ったら、

その瞬間、親の大切にしているものを、例えばバイオリンを目の前でバキバキにする権利が与えられます。


そういう論理を自ら認めているに等しいが、良いのでしょうか。



うちの塾としては、何より自主性を大切にしています。

というのも、目の前の子どもたちをどうにかするのではなく、

家に帰って一人になったらどうするか、の方が大切だと考えているのです。


子どもたちの行動を全てコントロールできるわけではありません。

むしろ、子どもたちが自由な行動を許される中で、

私ではなく子どもたちがが自分の行動をコントロールできるように仕向ける、

それが教育において大切なことだと考えます。

親と教師が先に死んでも一人で生きていけるようにする、それが教育なのです。


ゲームを壊して解決、と考えるのではなく、

ゲームがあっても、勉強を選ぶようにできるよう誘導してあげるのが、

うちの塾の方針です。



また、極論かもしれませんが、

例えば、これがゲームではなく犬だとして、

犬の散歩に毎日行くことになっていたのに行かなかった、

犬のキライなお母さんが子どもが大切にしている犬を絞殺しました、というニュースだとして、

「約束は守らなければいけません」

といって犬を殺すのだろうか。

お母さんにとって、犬はゲーム機同様、全くいらないし、価値もないものならば、

殺すことは許されるのだろうか。



犬は命だから、殺してはいけないのか。

ゲーム機は命ではないから、壊していいのか。

大切にしているもの、という点では私にとっては、同じだと思います。

つまり、絶対に奪ってはならないのです。



これは、ゲームが壊れたどころか、

大切な心が壊れたことの方がマズイということを親は知るべきですね。



教育に関しては、答えはないかもしれません。

しかし、私は、上の記事に全く賛同できません。

子どもに対する同情しかありません。


同時に、うちの両親がこんな人でなくて、心からよかったと思えました。



以下は、愛媛新聞の主張より引用。



政治と報道と圧力 知る権利への無理解を危惧する


 高市早苗総務相が国会で、放送局が「政治的公平性」を欠く放送法違反を繰り返した場合、電波の停止を命じる可能性に2日続けて言及した。

 放送は総務省の免許事業。そのトップが、特に差し迫った具体的な問題もないのに極めて強権的な「停波」を公然と振りかざすこと自体、メディアへの圧力と言う他はなく、到底看過できない。過去、意に沿わない報道に神経をとがらせ、注文を付け続けてきた安倍政権や自民党の「体質」と本音が、またも露呈したことを強く危惧する。

 高市氏は要件を掲げ、可能性は「極めて限定的」とするが、そもそも「政治的公平性」を時の政権や総務相が判断すれば当然、政権に批判的な報道が標的になり、恣意(しい)的な運用や乱用の抑止、限定には全くつながらない。法的根拠も曖昧で、番組が「政治的に公平であること」などを定めた放送法4条は、倫理規範との解釈が一般的。行政指導や処分の基準とするには薄弱で、表現の自由や編集の自律を掲げる法の理念にも反しよう。

 安倍晋三首相は、高市氏の発言を「従来通りの一般論」として追認した上で、「恣意的に気に食わない番組に適用するとのイメージを広げるのは(安全保障関連法で)徴兵制が始まるというのと同じ手法だ」「政府による高圧的な言論弾圧との印象づくりをしようとしているが、全く間違いだ」と反発した。だがそのイメージ、印象を生んだ責任は、ひとえに政権や自民党のこれまでの振る舞いにあることを忘れてはならない。

 圧力とも取れる言動は枚挙にいとまがない。一昨年秋には、自民党が在京各局に衆院選報道の「公正の確保」を求める文書を送付。昨春には党調査会が、NHKとテレビ朝日の幹部から個別の番組について事情聴取した。両番組キャスターは、TBSで安保関連法案に対して「廃案に向けて声を上げ続けるべきだ」と発言し、保守論客の団体に「放送法に違反する」と新聞全面広告で批判されたアンカーとともに、今春そろって交代する。求める「公平」が、従順で都合のいい報道であろうことは容易に推察できる。

 さらに昨夏、党若手議員らが勉強会で「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなることが一番」などと発言。批判をよそに、議員への処分はすぐに短縮された。謝罪は形だけで、むき出しの本音を隠そうともしない現状を憂慮する。

 権力の側が常に厳しく監視、批判されることは、重い責務に鑑みて当然であり、避けられない。報道の自由は、憲法で保障された表現の自由と、メディアを通じた国民の「知る権利」のためにある。メディアの側の自覚、自律もむろん問われるが、圧力を「かける側」がその本質や重要性を理解しようとせず、国民の権利を軽視して踏みにじれば、政治への信頼と敬意は根底から失われる。あらためて、強く自制を求めたい。



以上。引用終わり。
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201602120810.html



愛媛新聞は、上のように言うが、産経新聞の記事には、次のような指摘があった。


(前略)10日の衆院予算委員会では、民主党の大串博志氏が「電波停止を否定しないのか」と安倍首相に詰め寄っていたが、それでは民主党政権時代はどうだったか。

 ▼「放送事業者が番組準則に違反した場合には、総務相は業務停止命令、運用停止命令を行うことができる」。これは高市氏の発言ではない。菅直人内閣時代の平成22年11月、平岡秀夫総務副大臣(当時)が参院総務委で「番組規律違反の場合でも業務停止命令が行えるか」と問われた際の答弁である。

 ▼「そんなことをやっていると電波を止めるよ。政府は電波を止めることもできる」。民主党政権では、気にくわない報道をしたテレビ各社の記者に対し、露骨に恫喝(どうかつ)した幹事長もいた。当時は特段反応せず、安倍政権ではことさら大騒ぎするのでは、野党もマスコミもご都合主義が過ぎよう。





以上、2月13日の産経抄より引用した。
http://www.sankei.com/column/news/160213/clm1602130004-n1.html



私としては、野党もマスコミもご都合主義が過ぎようという、その一言に尽きる。


メディアの主張は、自民憎しの印象操作に過ぎない。


菅元総理は、

「私は、議会制民主主義とは期限を切ったあるレベルの独裁を認めることだと思う」

とまで言っているが、この発言は問題なかったのだろうか?


この発言がもしも安倍総理によるものなら、日本中大騒ぎになったことだろう。





さて、放送法4条が倫理規定だと主張では報じている。

それに関しては、私も否定はしないが、ただ、空文でもないと私は思っている。


また、

権力の側が常に厳しく監視、批判されることは、重い責務に鑑みて当然であり、避けられない。報道の自由は、憲法で保障された表現の自由と、メディアを通じた国民の「知る権利」のためにある。メディアの側の自覚、自律もむろん問われるが、圧力を「かける側」がその本質や重要性を理解しようとせず、国民の権利を軽視して踏みにじれば、政治への信頼と敬意は根底から失われる



と言っているが、愛媛新聞は、メディアの権力というのをどう自覚しているのだろうか。


私は、もちろん表現の自由は最大限尊重されるべきだと思っているが、

ただ、三権分立の観点より、報道の自由は、特に電波に関しては、大きな制約を受けて当然だと考える。


実際、新聞には放送法4条みたいな政治的中立性は言われていないのだから、

新聞事業を始めて、堂々と偏向報道をすればよい。愛媛新聞みたいに。


が、電波を発するというのは、それこそ大多数の国民に容易に影響を与えうるかなり大きな権力となりうるから、それこそ規制を受けるわけで、

規制は当然であると考える。


放送法4条を倫理規定で、守れたら守ります、なんて言ってもらっては困る。



高市早苗総務大臣の発言も、時の総務副大臣の平岡秀夫氏の発言も、全く間違っていないと考える。

間違っているのは、印象操作をせっせと施しているメディアの側である。




昨年4月ころ、6年生、もとい、高校3年生のことだが、塾生が「学校は、年間で4日しか休みがない」と嘆いていた。


これは問題じゃないかと思い、教育委員会に問い合わせてみたところ、教育委員会は学校に電話をかけてくれたとのことで、学校からは、

「そんなのは、うわさに尾ひれがついた程度」

という返事が返ってきたそうだ。


要するに、学校は、何も悪いことはしていませんよという認識だし、

教育委員会も問題はありませんよということだろうから、

これ以上何もできないから、放っておくしかなかった。



そして、センター試験も終わって、

2月。


この学校では、まだ授業をしているとか。

そして、授業の後も自習があって、受験生を学校に残しているらしい。

2月といえば、もう受験は始まっているのだが・・・



塾生は文句を言っていた。

「学校ムダ」と。

自分の志望校の受験とは関係のない医学部の問題とかをやらされているらしい。



それならそれで、行かなければいいと思うのだが・・・




そして、この生徒に冗談で言ってみた。

「3月2日の卒業式の後も、まだ学校来いって言われるんじゃない?」


帰ってきた返事は、意外だった。

「卒業式の後は、みんな自習室に直行ですよ。」


どうやら、卒業式の後も、授業があるらしい!!

国立の後期が終わるまでは、授業があるのだとか・・・


さすがににわかには信じられず、別の塾生に聞いてみたところ、

やはり卒業式の後もまだ授業をやるのだとか・・・


これでは、卒業式の意味があるのだろうか・・・?



学校が、卒業式の意味を全く理解していないというか、

式を形骸化していないだろうか。



例えば、卒業式で、これまでの学校生活を思い出して、涙を流したとして、

そのあとで自習室直行なんかになったりしたら、

私なら、涙を返してくれと、訴えたくなる・・・w



卒業式の後に、まだ制服を着るなんで、ありえない。



若いころは、自分は、およそ儀式の意味が分からなかった。

儀式なんてやってなんの意味があるのかと、そんな風に思っていた。

が、今は節目節目の儀式というのは、大切であるというのがわかっている。


しかし、学校がその意味を理解していないんじゃ、全くしょうがないとしか言いようがない。

これって、先生たちは、誰一人としておかしいと思わないのだろうか???



私は、すごくおかしい学校だと思う。

まぁ、人それぞれ感じ方は違うのかもしれないが、



ちなみに、この学校の卒業生を含めた3人に、

「将来自分の子どもをこの学校に通わせたいか」

と質問してみたところ、

3人とも「嫌だ」と言っていた。


自分は、自分の出身校に息子を行かせたいか聞かれたら、素直にハイと言えるので、

こんな返事をする生徒たちがかわいそうに思えた。




勝敗に関係なく、決して good sport に至らない相手、それは韓国である。



▼国民に謝罪の図





どうやら、韓国代表チームは、国民に謝罪したようだが、

その異様な光景に唖然とした。


思うのは、彼らの目的はいったい何なのか、ということだ。



スポーツマンシップという言葉がある。

それは、wikipedia によると、


スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢


と定義される。


明らかに、彼らはスポーツをしていながら、スポーツをみじんも理解していない。

でなければなぜスポーツで負けたことで、国民に謝罪するのだろうか???


負けて謝罪をせねばならない空気ができている社会は、異様で気持ち悪い。



4年前は、試合のあとで竹島のプラカードを掲げ、大会組織委より制裁を科されたにもかかわらず、

全く無反省なことに、今回も試合前から慰安婦を持ち出したり、

勝ったら韓服を着て記者会見に出るだの、日本は優勝自販機だの、

選手・監督・サッカー協会が、そろいもそろって無用な挑発を繰り返した。


試合後も監督は、

「リオで再び韓日戦が行われる機会があるならば必ず相手の鼻っ柱を折ってあげたい。」

などと公式の場で語っている。


なぜ、こうも扇情的かつ好戦的なのだろうか?



オリンピックの場で「相手の鼻っ柱を折ってやる」という監督や選手がいたら、

はたしてそれは、オリンピック出場にふさわしい精神と言えるだろうか?



間違った精神から出発したものは、間違った結果にしかならない。

とても残念だし、いっそう無様で無残である。



不愉快極まりないニュースが、ここ最近で2件あった。

ともに、3歳児の殺害事件。



それにしても、こういう子どもに虐待を与える大人って、更生の余地があるのだろうか。

私は、絶対にないと思う。



子どもをどう虐待するかラインで話し合っていたとか、

子どもにベランダから飛び降りろとか、

人としてありえないし、もうどうしようもない。

社会に出てくることは望まないし、

子どもと同じ目にあわせてやりたい、死ぬまで、というのが正直な気持ちだ。



かつて、日本には尊属殺重罰規定というのが存在していた。

親を殺した場合は、ほかの場合よりも罪が重い、というものである。

が、それは昭和に入ってから違憲ということになり、今はもうない。


が、子どもを虐待して殺したというのは、重罰にしてよいと思う。


親殺し、と、子殺し、

昔の人は、親殺しは重罰と想定していたのだろうが、

まさか子殺しなんてものは想定していなかったのだろうか。





照明器具は、集中力を左右する気がします。






昨日、ニトリで上の照明器具を¥1,030で購入してきました。

夜、授業が終わってから一人で作業をするときに使うものです。

さすがに煌々と塾の照明を全て使い続けるのはもったいないので、机回りだけを照らすよう、それも電球色で暖かい色合いの照明器具を探していました。


それが、上のテーブルランプです。


ついでに、アロマキャンドルでも買ってしまいました。






で、さっそく夜、このふたつを使って作業してみたところ、

気のせいかもしれないですが、普段よりも集中力がましたような気がしました。



というのも、作業する机回りだけを、優しい光で照らすと、

気が散らないというか、集中する気がしたのです。




集中するためには、椅子の高さとか、机回りとか、周囲においてあるもの、さらには、室温、何を飲んで勉強するか、場合によっては何の音楽を聴くか、いろいろなことを考えて、集中しやすい環境を探しますが、

実は照明というのは、集中力アップのためにとても大切ではないか、という気がしました。


学生のころから今に至るまで、基本的には夜型人間で、

周囲が寝静まったころに作業を開始することが多いのですが、


真っ暗な部屋にテーブルランプとキャンドルをともして、

そしてクラシックを聴いて、コーヒー飲みながら作業をしたところ、

いつもの倍くらい集中できた気がしました。


もしも集中力がなかなか、という人がいたら、

照明器具を変えてみるとよいかもしれません。

試してみてください。





なお、以下は蛇足ですが、

子どもたちの集中力でもっとも不安なのは、携帯電話だと思います。

これは、大人も全く同じだと思うのですが、

基本的に複数の作業を同時に行うというのは、集中力をかなり削ぎます。


携帯電話をそばに置いて、メールやラインが来るのを気にしつつ勉強したり仕事したり・・・、

こういうのは、絶対よくないです。


集中力を高めるためには、一つの時間帯に一つのことだけをもくもくとやること、が大切です。

決められた勉強時間では、勉強だけに取り組みましょう。


ようは、携帯電話を見るべき時間を決めてみれば、全く問題ないのです。

このあたりきちんと自己規律できない子は、

実はかなりたくさんいるはずですけど、

残念な結果になりかねないので、気をつけてほしいですね。


私も、試験中にほっこりしてしまいました顔


センター試験中に感動…2016は英語の物語文

 2016年度大学入試センターが2日目を迎えた。1月16日に1日目の最終教科「外国語」が終わると、英語の受験者らが「センター英語、物語文に感動」とSNSに投稿したことが話題になった。これまでのセンター試験で受験生に感動を与えた出題を振り返る。

◆ジョンおじさんがシェフになったきっかけ
「外国語」英語(2016年実施)

 まず、話題になった今年の出題。東進ドットコムによると、ここ数年の出題形式であった複数の文書の読解問題から出題傾向が大きく変化し、「物語文が復活」した。語り手の叔父の幼少時代を振り返りながら、叔父が一流のシェフを目指すようになったきっかけが述べられている。問題をうまく読み解いた受験生は「感動した」「良い話だった」とSNSに投稿し、2016年センター試験初日を気分上々で終了したようす。



以下略。引用終わり。
http://resemom.jp/article/2016/01/17/29053.html



よく子どもたちに、英文を読み終わったときに感想を聞きます。

どうだった? と。


表情一つ変えず、「べつに・・・」という子は、読めていないから感想が言えないのもあるでしょうが、

私はどちらかと言うと、感想を言おうとしないから英語が読めないのではないか、と感じます。

仮に読めていたとしても、英語力の向上に限界を感じます。


つまり、英文に接する前に、心を閉ざしている。

目前の英文を読まなくちゃいけないから、仕方なく読み、答えを出すのを義務としてやっている。



およそ学ぶこと一般に言えると思うのですが、

好奇心を失っていては、学力はつかないと思うのです。


ひとつの英文を読む際に、

筆者の気持ちに共感して読んでみよう、場合によっては、筆者の意見に賛同してみたい、とか、

どんな物語が展開されるのか楽しみにする気持ち、

そのわくわく感、遊び心がないと、

英語はなかなか身についていかないような気がします。


上記の記事を読んで、試験中でもこのような感想をもって読んだ子は、

センターで良い結果が出たでしょうし、

仮にそうでなかったとしても、将来的には英語力が高まっていくのではないかと、

そういう風に思いました。



さて、この物語はよい物語だと、私も読みながら思いました。

最近、塾生に勧められて『食戟のソーマ』を読んでいるのですが、

まさに、ソーマとオヤジの関係みたいだな、なんて思いながら読みました。

食戟のソーマ 1 (ジャンプコミックス)
附田 祐斗
集英社 (2013-04-04)
売り上げランキング: 34,567




"Eggs? Eggs aren't good for lunch on a beautiful Sunday like today. Let's grill some steaks in the backyard."

:卵焼き?こんな天気のいい日曜日は、卵じゃないだろう。庭でステーキ焼こう。

"Are you sure? You must be tired."

:マジで? オヤジ疲れてんだろ?

"It's OK. I like cooking. It reminds me of my college days when i worked part-time as a cook. I'll show you how to prepare delicious steaks."

:大丈夫。料理は好きなんだ。大学時代にコックのバイトしてたの思い出した。どれ、ステーキの焼き方教えてやる。



最近ウザかった父親が、急に料理を親身になって教えてくれます。そして、こう言います。


"If you master this, you can provide pleasure for a great many people."

:料理をマスターすると、みんなを喜ばすことができるんだ。




料理は、人を無条件で喜ばすことができる、そんなところが確かに魅力的ですよね。



たしか、ソーマのオヤジは、ソーマに向かってこう言います。

"The secret to become a good chef is meeting a woman that will make you want to give all the food you make to her."

「いい料理人になるコツは、自分の料理の全ての捧げたいと思えるようなそんな女に出会うことだぜ。」



ソーマのオヤジも、奥の深い?こと言ってますねw



さて、話をセンターの英語に戻すと、

そんなんで、結局はオヤジの影響で優秀なシェフになっちゃうんですけど、

料理を通じてオヤジとの人間関係ができた、

それが本当によかったんだと、

めでたしめでたしってことになるのです。


涙は出なかったですけど、

試験中に、ほっこりするようなお話だったと思いましたキラキラ


ついでに、食戟のソーマも、

この話って、いいやつがたくさん出てきます。

確かにテーマは料理ですけど、

単なる料理マンガではなく、それを通じた人間関係の描かれ方がすごく気に入っています。

設定がちょっとムチャなところも、面白くて、

食戟のソーマは、すごくオススメです。



うちの塾でも食戟ならぬ、単語戟みたいなやつで、

ボキャブラリのあるやつが、なんでも好き勝手できるシステムにしたら、

一体どうなるんだろうか・・・


生徒から勝負挑まれたらイヤだなー・・・

マジでドンッ
「いつまでも親友だよ」=早大生小室さん告別式

 長野県軽井沢町のスキーバス転落事故で犠牲になった早稲田大国際教養学部4年、小室結さん(21)の告別式が17日、川崎市内の斎場で営まれ、多数の友人らが早過ぎる別れを惜しんだ。


以下略。引用終わり。




自分もバスはよく利用しているというのもあるが、何より亡くなった学生たちがかわいそうだというのがあって、すごくイヤなニュースだった。


コメンテイターが、規制緩和が裏目に出た結果、過当競争が引き起こされて、安全性が軽視された、ということを言っていたが、自分もそうだと思う。

数年前にドライバーが高速道路で居眠り運転をして、乗客が死んだニュースがあった。似たような事故が起きているので、国は徹底してバス会社の管理を徹底してもらいたい。

それにしても、なんて杜撰な会社か・・・


彼らの詫びる姿なんか見たくない。全財産売り払って、そして臓器から眼球まで売れるものは全て売って責任を取ればいい。

私は正直、そこまで思う。遺族なら、まちがいなくそう伝える。




で、話は変わるのだが・・・


なんか、この事故のメディアの扱いに違和感を覚えた。

というのも・・・、


なぜ小室さんばかり???



メディアの報道の仕方にすごく違和感を覚えている。NHKも民法も、どこもかしこも犠牲者の報道は、小室さんばかりを取り上げている。

Facebook の写真を、繰り返し用いて。


12人の学生が亡くなっていて、なのになぜこの学生だけをメインに取り上げるのだろうか。

なぜ、ほかの学生の扱いは小さいのだろうか。



それは、察するに、絵になるから、だろう。

とりわけ美人で優秀で語学堪能で、4月から大手企業に就職も決まっていたのに、事故のせいで突然亡くなった、そんなんで視聴者の涙を誘っているのだろうが、

はっきり言って、小室さんを含めて亡くなった12人の学生全員に対して失礼だと思う。


いくら視聴率取りたいとはいえ、もうちょっと報道の仕方を考えなよ、って言いたい。

こういう報道の仕方は、なんかすごく癇に障る。



日本中に、同じことを考えている人って、ほかにいないのかな?


2106年、センター試験の英語は、

まぁ標準的な問題でしょう。


とくに、コメントないですw


ごめんなさい。




そんなことより。

中1からうちの塾に来て、ABCから英語を始めた子が、

中3の段階で同日模試を受けた結果、

筆記168点、リスニング48点とった、とのこと・・・


これには、驚きました。

にわかには信じられない結果です。



決して帰国子女ではなく、

とりわけ優秀な子には全く見えないのですが(失礼)、

ただ、一つ入塾時から気になっていたのは、

塾に来ると、いつも本棚からナショナルジオグラフィックをとって、

授業が始まるまで、おとなしく読んでいたんですよね。


なんか、外の世界に好奇心を示す子、知識を貪欲に求めているような姿が印象に残っているのですが、

そういう子って、伸びるのかな、って気がしています。


塾生の期待に応える授業をしていかないとならない、

そんなよいプレッシャーを感じることができました。


すごいですね、びっくりです。













上記は、全てyahooから引っ張ってきました。

調べてみると、次から次へと出てきます。

報道されているのは、氷山の一角ですね。



成人式は、不良の再会場所の一つとして利用されている気がします。


不良が集まるのは一向にかまいませんが、

成人式にそろって出てくるのは、ちょっと抵抗があります。


で、その一部のバカが人たちが式典を邪魔するわけですが、

そのような彼らには、厳罰をもって臨むべきだと思います。


式典の壇上に上がる行為や、

叫んだりしてスピーチを遮る行為、

さらには会場で酒を飲んだり、

暴れたり、

こういう行為に対しては、厳罰で臨めばよいわけです。


会場の外に吊るすのが、いいです。


もういい加減、うんざりですね。

成人式ごとなくしてもよいと私は思います。

成人になったら、もう手遅れです。再教育は無理です。

バカは死ななきゃ治らない、という言葉がありますが、

その言葉の意味が痛感できます。