俺の離婚 -3ページ目

訴訟(1)

初めて公判に出席することになったのは三回目の公判だった。
それまでは先生にお任せしていた。

妻は最初から出てきていたようだけど・・・。←暇な人は良いなぁと思った

先生とは裁判所で公判10分前に待ち合わせをした。
自分はやはりスーツを着て行った。

裁判が行われた場所は、テレビで見るような場所ではなく会議室のような感じの部屋だった。
最初は裁判官と書記官、妻の代理人と妻・私と先生で一緒になったが、その後はお互いが別々に呼ばれたりした。
調停と同じような感じかなぁ・・・。

最初は自分達が出て行き、妻側の話を聞いてその後自分達が書記官に呼ばれた。
裁判官は私に和解を勧めてきた。
和解といっても元に戻るのでは無く、ここまでこじれたので離婚は止むなしだが判決では無く話合いで決めたらどうかと勧めてきた。

先生は「慰謝料とかそんなものが無ければこんな訴訟になんかならなかった。」と裁判官に話していた。

自分は
「散々嘘までつかれこんな状態になっているので、訴訟で白黒付けて頂きたい気持ちはあります。但しこのまま進めることが自分にとってどれだけプラスなのか先生と相談をさせてください。即答は控えたい。」
と答えました。

訴訟まで経験する中で、もちろん先生も一緒ということもあるけど場馴れしたと自分で思う。
言いたいことを堂々と言えるようになった。

このときは相手は和解に応じるとは思っていなかった。喧嘩の好きな家庭なので・・・。

先生と相談して、和解に応じない場合はこちらから反訴するつもりでした。
しかも、妻と母親を相手に倍額の慰謝料を請求するつもりだった。

続きはまた後ほど。

私が行ったこと

まず、養育費については給与明細や源泉徴収を先生に渡し明らかに平均よりも大きい額を妻が要求しているということを示して貰った。

その為には、なるべく残業しないようにしていた。
調停のときから残業はしないようにはしていたけど、仕事が忙しい時期じゃなくて良かった。

次に妻の妹の交通事故について調べた。
詳しくは書けないけど水商売をしていてその帰りに事故にあったようだ。
記事をコピーして先生に渡した。これは、結局証拠書類として提出した。

そして精神科に通院した。

妻がDVの証拠として訳のわからない診断書を提出したため、その対抗として鬱状態のものを提出した。

運動しているためか、自律神経とかが健康そのものだったけど、理由を話して診断書を書いて貰った。これも証拠として提出した。

あとは、妻の性癖や妻の過去のことを全て洗い出した。
デキ婚なので子供が出来そうなその時期に他の複数の男性とかぶっていたので、その男性の住所等を調査し陳述書に記述した。
そして、子供のDNA鑑定と必要ならその男性方のDNA鑑定も要求する旨を書いた。

自分が書いた陳述書はPCのワープロソフトで記述して15枚程。
しかし、中身は相当濃いものとなったと思う。




訴状が届いてから・・・

すぐに弁護士さんのところへ行き代理人のお願いをした。
訴訟ということで一人ではどうにもならないし。

こういった訴訟というのはある意味脅迫だと思う。

自分は何で訴訟までいったのか未だにわからないが、応訴しなければ恐らく妻の要求がそのまま通ってしまったのだろう。何とかならないものかとは思った。

負けるのも悔しすぎるので、手付金を払い先生に一任することにした。

先生には全てを隠さずに話し、今後のことを一任することにした。

結局二回目の公判までは自分は行く必要がなかった。
この点は調停よりも楽だった。
だけど、訴訟の前には先生のところで打ち合わせをするので結局フレックスを使ったりする必要があったけど・・・。
気分的に弁護士という味方がいるので楽だった。

公判が進む中でも妻からは出鱈目な陳述書が送られてきた。

この内容が酷かった。

・継続的なDVがあった。←何のことかさっぱりわかりません

・旅行に行って楽しかったふりをした。そうでないと暴力を振るわれるから。←ハァ?

・子供も男の人を怖がるようになった。←むしろあなたよりもなついていましたが・・・

・・・etc

もう、何でもあり状態だった。

自分が行ったことや記述したことについては後ほど記述します。

訴状

最後の調停が不調に終わって3週間程で書留で訴状が裁判所から届いていました。

心の中では「まさか訴訟まで起こすことは無いだろう」という思いもありましたが甘かった。

訴状は以下の感じだった。かんり省略してますけど・・・。

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~ 省略 ~

離婚等請求事件
訴訟物の価額 金300万円
貼用印紙額  金2万1200円


請求の趣旨
1.原告と被告とを離婚する。
2.原告と被告との間の未成年の子○○の親権者が成人に達するまで1ヶ月金○万円を支払え。
3.被告は原告に対し、慰謝料として、金300万円及び本判決確定の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4.訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言を求める。

請求の原因
1.原告と被告とは、平成1○年○月○日婚姻の合意をし、婚姻届出をした。
2.原告と被告との間には、○○の子供がいる。
3.平成1○年○月ごろから、被告が原告に対して暴力を振るうようになり、原告は被告の暴力により障害を負った。
4.原告は被告を相手として、夫婦関係調整調停を申し立てたが不調に終わった。
5.原告は、被告による上記暴力等により離婚せざるをえなくなり、精神的損害を被った。
5.よって、原告は、被告と離婚し、上記未成年の子○○の親権者を原告と定め、被告は原告に対し、本判決確定の日の翌日から未成年の子○○が成人に達するまで1ヶ月金○万円を支払い、慰謝料として、金300万円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払うことを求め、本訴に及んだ次第である。
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これを見たときは「俺が被告かぁ・・・」という思いになったことは言うまでもありません。

上記訴状にプラス妻の手書きの陳述書10枚程と診断書等が送られました。

そして直ぐに不調に終わった直後に紹介してもらった弁護士さんに連絡し代理人になって貰いました。

調停準備

大体月一回は調停が行われました。
自分の行った調停の準備はPCで思いついたことをメモして持っていきそれを見ながら調停委員の質問や自分の言いたいことを言ってました。
調停委員には見せなかったけどそのメモはかなりの量になったと思う。

何で妻はあんなに強気だったのだろう???
「養育費は絶対に○万円以上。じゃなければ離婚できない。」
といった主張を譲ろうとしませんでした。
しかも○万円って自分の給料ではかなり多い金額(月給に対していくら位の養育費が適当かの表があります)でした。
自分から言わせて頂ければ(言ってましたけど)、「誰が離婚をしたがっているのか?バカ言っているんじゃない。お金が無いなら働け。」と調停委員の人には伝えていました。お金は決して無いわけではないんだけど、V○LVOを乗り回していたりしてるくらいだしね。
ほぼ養育費の額だけで8回も裁判所に通うことになりました。
ほんと苦痛でした。

訴訟まで体験した今だから言えますが、調停は所詮話合いの延長です。
納得いかなければ不調にすれば良いだけです(妻もそう思っていたのかも)。

離婚関係の本は一冊買っただけかなぁ。しかもブックオフで100円のを。
立ち読みも結構したけど、結局書いてあることは殆ど一緒だった気がします。
訴訟までのことを書いた本は無かったと思う。

精神的に強くならなきゃ、それだけを思って調停に臨んでいました。

調停時の服装は自分は基本的にスーツを着て行きました。
普段仕事でもスーツは着ないのでこれも苦痛だった。
待合室にいる他の男の人はいかにもパチンコ屋に並んでいそうな格好の人もいましたが、調停委員の目もあるのでなるべくきちんとした服装の方が良いと思います。

当時の心境

COCOさんのコメントに対して返信も兼ねていますが調停からの心境を思い出してみます。

私も息子のことは他の家庭を見ても相当可愛がったと自負(単なる親バカ)していますし、それだけに妻が出て行ったあとは本当に寂しい思いをしました。
そんな心境の中での調停への出頭通知なので精神的にかなり辛かったし衝撃的だったのを覚えています。

実は最初の調停のときに一ヶ月振りに子供に会いました。
まだ調停というものがどういうものかわからなかった私は1時間位で終わるものと思っていて携帯を車に置いてきました。
長引きそうなので会社へ連絡をしようと車へ行こうとすると妻の父親が息子を抱いて駐車場にいたのです。
そこで俺もバカなので親父に「抱かしてください」と言って抱いたのですが、当時二歳の息子は俺のことを覚えていないようだったのです。
一ヶ月前は楽しく海にも行っていたのに・・・。本当に寂しく辛かったですね。駐車場で泣きました。
そのことがきっかけで絶対にこの喧嘩には負けないと心に誓うことができました。
まぁ、今だに子供に会えていないのでもう1年4ヶ月ですけど今月から会える筈なのであわてずゆっくり接していこうと思っています。

COCOさんの友人の方の心境が痛い程分かり、辛い気持ちが蘇ります。

調停が長引けば長引く程仕事にも支障をきたすと思いますので、自分の場合は直属の上司に調停をすることになったことを正直に話しました。
訴訟になったときもその上司には正直に話しました。
できれば職場で信頼できる上司には話した方が良いと思います。
恐らく仕事にも以前ほど集中できなくなることもあると思いますし、少しは大目に見てもらえることもあるでしょうし。

私は法律の専門家ではありませんので、間違ったことを書くかもしれませんが、子供がある程度の年齢にいくまではやはり母親が親権や養育権は有利だと思います。
しかも調停という場なので最終的には裁判官が出てきての判断になると思いますので尚更だと思います。
少しでも有利に進めようとするのであれば、調停の段階で弁護士(有能な)に入って貰うことを考えたほうが良いのではないでしょうか。
調停委員も弁護士が入るだけで態度が変わったことを実感しました(妻が最後に弁護士を入れたので)。

気を紛らわすために、調停がはじまると同じ時期からジムに通い始めました。現在も通っています。かなりジムに行くことで助かりました。嫌なことを考えなくて済みました。
今はタバコも止めましたしかなり健康体です。
この前の訴訟で最後に妻と同席したのですが、妻のやつれようは凄かったのでそれだけでも私は勝ったと思っています。
妻と暮らしていたときよりも格段に健康になったのですから。

それから、家族・友人に相談し励まして貰ったのは言うまでもありませんが、2ちゃんねるの法律板の離婚相談にも初めて書き込みもしましたね。

辛い日々も一生続く訳ではありませんし、絶対に乗り越えることはできると思いますので、絶望せず頑張るようお伝えください。
体調にも気を付けて。
こんなことで体調を崩したらそれだけで負けになってしまいます。

自分もこのWeblogでもう少しこの離婚騒動の棚卸をしたいと思っています。
少しでも励ますことができると良いのですが・・・。

離婚原因

裁判で離婚と認められるのは下記のことにあてはまらないと法律上は離婚を認めないとあります。

・不貞行為(いわゆる浮気)
・悪意の遺棄(生活費を入れないや出て行って戻ってこない)
・3年以上行方不明で生死がわからない
・その他婚姻生活を続けられない理由があるとき(継続的な暴力や正確の不一致)

私はどれにもあてはまりませんでした。

妻は継続的な暴力を主張し慰謝料を請求してきました。
壁を殴ったことはありますが、世間で考えられている暴力は一切ありません。
妻は全治三日の診断書(いつのだかわからない)をとって証拠として出していましたが・・・。

妻が出奔し調停となるまでは結婚生活で一度も離婚のりの字も出たことはありませんでした。
三日前まで仲良く海水浴に行っていましたし、その宿泊先では妻が性生活を望んでもきました。
晴天の霹靂とはこのことなのでしょう。

訴訟が終わり和解離婚が成立した今でも本当の離婚原因はわかりません。
母親が絡んでいることは間違いないですけどね。

訴状

8ヶ月に及ぶ離婚調停が不調になったのは今年の5月でした。
最後の調停では妻は弁護士を代理人にし同伴していました。
それまでは養育費と面接交渉権が折り合いがつかなかったのか、最後のときは慰謝料300万円と別居してからの生活費^を一括で払えという要求をしてきました。
俺は「冗談じゃない。慰謝料を貰いたいのはこっちのほうだ。」と強く調停委員に言いました。
そして最後の調停は裁判官が来て不調に終わりました。

不調に終わって間違いなく訴訟になるとは思っていました。
しかし、訴状が届くまで3週間程掛かったのですが、その間は嫌なものでした。
死刑執行までの間という感じかなぁ(←良くわからない例えだけど)。
その3週間の間に知り合いに弁護士を紹介してもらい相談したりしていました。

訴状が届いてびっくりしました。
嘘が羅列してあったのです。
それは、継続的なDVがあった、生活費を十分に入れなかった・・・。訴状はこれくらいでしたが同封された陳述書には10枚程ですが7割は嘘で固めてありました。
もうね、アホかと小一時間問い詰めたかった。
そしてその慰謝料として300万円を支払えと。
まぁ、今だから言えますが、民事訴訟、特に離婚訴訟というのはその程度のいい加減ものだと思います。
当時は訴状が届いてかなりびびりましたし、精神的に参ったのは言うまでもありませんが。

調停について思うこと

離婚調停についてのコメントがあったので、経験者として(偉そうでスイマセン)記述したいと思います。
調停は基本的に話し合いです。
と言っても直接話すことは無く、中間に調停委員(年配の男性・女性の二名)が入りお互いの言い分を話し、調停委員の人が伝えます。
自分の場合は最後の調停以外は妻と顔を会わすことはありませんでした。

私は不貞とかは一切無く、妻の勝手な出奔の上、無茶な要求(養育費は幾ら以上とか子供との面接はさせたくないとか)をしていたため、自分も一切応じ無かったため最終的には不調に終わりました。
その後訴訟になりましたが、訴訟については後日詳しく書こうと思います。

調停はCOCOさんのコメントにも書かれていましたが、本当に嫌なものです。胃も痛くなります。
何が嫌かというと、一ヶ月に一度会社を休んで家庭裁判所に出向かなくてはいけなかったことが本当に嫌でした。
毎月調停の直前はかなり精神的にきました。
そして調停でも相手の理不尽な要求や嘘に対して反論したりいけないこと、これも不毛なことでした。

COCOさんの友人の方は男性でしょうか?女性でしょうか?
女性でお子さんも小さければよっぽどのこと(虐待等)がない限りは養育権は母親が有利です。
出来れば調停のうちから弁護士さんを入れた方が良いかもしれません。
自分は調停の時は弁護士さんを入れませんでした。まさか、何も理由は無いのに訴訟までしてくるとは思っていなかったので・・・。まぁ、妻は訴訟の理由はでっち上げていましたけど。
調停のときからお金は掛かりますが弁護士さんに依頼しておけばもっと早く解決できたのではないかと思っています。

母親との確執

妹を交通自己で亡くしている妻の家族は妻を溺愛していました。
特に母親が凄かった・・・。
まぁ、二人姉妹の妹を亡くしてしまっているので気持ちはわかるけど。

元々結婚そのものに反対していました。
反対する理由は色々なものがあったけど、一番は婿養子じゃ無かったことだと思う。
妻の母親は結婚前に涙ながらに婿養子を取って二世帯住宅を建てるのが夢だったと言っていた。

結婚し、息子が生まれると俺に対してどんどん嫌なことを言うようになっていった。
「母子家庭だけど父親として子供と接することは出来るのか?」を始め、自分の学歴に対することや、母子家庭でひがんでいる云々等我慢できないものまでになっていった。

一昨年の夏に妻と喧嘩したことがあった。
金曜の夜に仕事の付き合いで飲みに行き、1時くらいに帰ると妻が私の母の悪口を言ってきた。
酔っぱらっていることもあり、出て行けと言うとあろうことか妻は両家の親を呼び出した。深夜の2時に・・・。
妻の母親は俺の母が横に居るにも関わらず朝の5時まで俺を罵倒しっぱなしだった。
終いには「母子家庭だからってひがんでいるんじゃないわよ。」と言い出した。
その日から二週間程出て行ったが、この夜のことでもう妻の実家との付き合いは無理と確信した。