調停
ご無沙汰してしまいました。コメントがあってびっくり。うまく書けないけど頑張って記述します。
2003年9月から離婚調停が始まった。
去年はかなり家族サービスをしていて予定していた最後の家族旅行から帰ってきて三日後に妻は息子を連れて実家へ帰ってしまった。
全く意味がわからなかった。
友人は皆実家へ迎えに行くように言われたが、妻の母親との関係が最悪な状況のためそれはできなかった。おいおい母親との関係も記述しようと思う。
そして妻の帰りを待って生活をしていたのだが、9月の始めに家庭裁判所から出頭要請通知が来た。
自分のような一般人にとって家裁からの出頭とか書いてある通知はかなりプレッシャーになる。今考えれば調停なんて所詮話合いだから何も恐れることはないんだけど・・・。
結局2004年5月まで8回程調停が続いた。
長かったなぁ・・・。その後も訴訟も長かったけどね。
家裁の中の画像(相手方待合室)をアップします。
プロフィール
自分は1973年生まれ。
二歳のときに父を亡くしています。殆ど記憶はありません。
幸い母が仕事を凄く頑張ってくれたお蔭で何不自由無く大学まで出させてもらった。
妻は1975年生まれ。
妹を大学のときに交通事故で亡くしています。この件についてはおいおい書こうと思う。
息子は2001年生まれ。
妻とは会社の同僚でした。でき婚でした。
まぁ、自分でもいうのもなんですが、結構良い感じのカップルだったと思います。
妻との出会いもそのうち記述しようかなぁと思ってます。
二歳のときに父を亡くしています。殆ど記憶はありません。
幸い母が仕事を凄く頑張ってくれたお蔭で何不自由無く大学まで出させてもらった。
妻は1975年生まれ。
妹を大学のときに交通事故で亡くしています。この件についてはおいおい書こうと思う。
息子は2001年生まれ。
妻とは会社の同僚でした。でき婚でした。
まぁ、自分でもいうのもなんですが、結構良い感じのカップルだったと思います。
妻との出会いもそのうち記述しようかなぁと思ってます。
1%
離婚裁判まで行く人は僅か1%だそうです。
自分がまさかこの1%に入るなんて思ってもいなかった。
どうしてこのよう になったのか、それは今でもわからない。
この一年三ヶ月の戦いを振り返ってみようと思う。
自分がまさかこの1%に入るなんて思ってもいなかった。
どうしてこのよう になったのか、それは今でもわからない。
この一年三ヶ月の戦いを振り返ってみようと思う。