今月の6日に観に行く公演の情報です
劇団SETの映放部所属の久ヶ沢徹さんが出演する舞台
カムカムミニキーナ2011年本公演
『かざかみパンチ』が明後日3日から始まります
カムカムミニキーナ 「かざかみパンチ稽古レポート」
★あいさつ
何が本当のことなのか。何が正論なのか。全く見えない昨今です。これほどまでに、それまで自明だったことに対して信じられない世の中になり、いかにそういう自明なものに自分逹が何も考えず依存してきたのかということを思うと愕然とします。TVを全く見なくなりました。もう何かを誘導したり隠蔽したりするための嘘に取り囲まれていてはまともに暮らしていけない。そうです。3.11以後、もう僕らは、のほほんとしては暮らしていけない。
しかし演劇もまた、ある意味嘘をつくわけです。ただし、誘導されてるものや隠蔽されてるものを明らかにし、そういうものと戦うために嘘をつく。そういう気概だけはあります。であるからには、それを作る側が誘導されたり、騙されたりしていては話にならない。我々も五月に公演をうちましたが、その時にはまず、自分達は何ができるかと自問自答し、演劇を死ぬ気で一生懸命やるしかないと宣言し、気合をもって臨みました。あれから数箇月が経ち、社会は落ち着いては来ているが、実は何一つ改善などしていなくて、慢性的でなかなか解決しない問題に対して、なかったかのように振舞うことに社会が慣れてきたというだけのことです。簡単に言えば、喉元すぎて熱さを忘れた。そのことすら、誘導されたことである可能性が高い。ともすればあの五月の公演の時に、今から思えば、非常に視点が自分個人の振る舞いに対してのみ向いているようなところに、問題の焦点をもってきていた流れもまた、あの当時の空気の中で出てきたもの、落ち着いて元に戻さないといけないという空気、外ではなくて自分の内にこそ、平静を取り戻せという、何か、それも巧妙に誘導されてた気がしてならないのです。
もちろん演劇をやる立場にいるからには、自分がやることは演劇なんだけれども、それを死ぬ気でやるだけなんだけれど、要はそれだけじゃなくて、中身が問題なんだってことです。五月の公演の中身を反省してるわけじゃありません。でも何かあの時よりも今、一層何倍も中身が重要なんだと思います。中身というのは思想です。その思想の背後にある情報と知識です。その段階において、あまりに巧妙な空気による誘導と隠蔽を、意識的に迂回できているかどうかです。元に戻すのではなくて、根本的に変えないといけない。政治だけの話をしているわけではありません。我々自身の考え方をです。意識的に抜け出さないといけない沼がある。
いきなり具体性を欠く話で申し訳ありませんでしたが、そんなわけで「かざかみパンチ」という芝居をやるにあたって、このタイトルは一年前にすでに発表されたもので、当初考えてた構想と根本的に変わっては来るのですが、具体的な内容についてはギリギリまで、見極めていこうと思っています。だから一応あらすじのコーナーもありますが、話の中身は、ギリギリまでもがき続けるつもりです。11月までに日本はまた大きく変動するでしょうから。あるいはこのまま。何も変わらずこのままってこともある。それはそれで大きなことです。
チラシのイメージは、何か思ってることを断片的に言葉として羅列していく中でデザインしてもらったものです。パンチ、つまり拳はもちろん怒りの鉄拳であります。人が拳を握る時…それは必ずしも暴力に繋がるものではありません。ガッツポーズという拳もある。決意の拳もある。そんな心と拳の相関関係が軸になるでしょうか。
かざかみは「1989」でも出てきました、かざかみの国。これは故郷奈良にて進行中の古事記編纂1300年プロジェクトもあって今年と来年は僕の中で古事記が指標。というわけでこのかざかみの国とは、古事記に出てくる出雲の国のイメージです。かつてヤマトの国以前に日本を広域に渡って支配したかもしれない出雲国。唐突になくなったこの国をめぐる、後発のヤマト朝廷の誘導と隠蔽の暗闘が古事記であるとも言われます。ムーやアトランティスのように、あるいは三陸地方の津波にのまれた広大な土地のように、あるいは何十年も人が立ち入れないかもしれない福島の避難地域のように、一国レベルの文化が突然消え失せることが歴史にはありえるわけで、そこにどんな国があったのかということ、どんな人々が暮らし、国が滅びるときにどんな悲劇が起こったのか、それは信じられないほどすぐに忘れ去られることです。今の我々を顧みればわかります。あるいはそこには忘れ去るように仕向ける陰謀もあるかもしれないわけです。その痕跡が古事記に隠されている可能性がある。まさにタイムリーなのです。古事記は。
忘れるということに対して戦う武器は、物語です。古事記は誰もが忘れない物語にして出雲の時代の記憶を後世に伝えた。古事記を暗誦したと言われる稗田阿礼。その阿礼を祀る奈良県大和郡山市稗田村の直系である僕は、今回の地震と原発によって失われ、変わらざるをえなくなった「ことがら」を言葉に、物語にすることこそ、使命であると思っています。
というわけで「かざかみパンチ」。いよいよチケットも売り出しが始まりますが、内容は今のところこんなところです。随時また具体的にお知らせしてまいります。HPや松村のツイッターなどで、カムカムや松村の動向を追いつつ、楽しみにしていただければと思います。
★あらすじ
『何千年前の遥か大昔、この地にはスサノオが築いた「かざかみの国」があった。八雲出る岬の宮より吹く風は、人々を永遠の幸福へと導き、過ぎゆく時間はすべてその礎となって、盤石の繁栄を謳歌した。だがその国は今はもうない。天空にそびえた神の御座も。愛する者の手をとり、夢中で駆け抜けた真っ白い砂浜も。黄金色に染まった夕暮れのさざ波も・・・かざかみの国は今はもうない。その国はある日突然なくなってしまった。その残骸から吹く風は、一転緩慢な猛毒を帯びて、長い時間をかけながら生き残った者を蝕み、とうとうすべての人が、その国のことを忘れてしまった・・・』
小劇団「がっつり見せまSHOW」を主催し、作、演出をこなす松川武太郎。だが劇団は、様々な方向性や思惑を抱える劇団員達によって分裂寸前の状況にあった。そんな中、彼は、ある架空の格闘家を描く新作で起死回生を図ろうとする。主人公の名は四門田和郎太。必殺技”かざかみパンチ”をひっさげた道場破りで名を上げた喧嘩名人も今や昔。老いた彼は今までに自らの拳で倒したライバル達にもう一度出会うための旅に出るのだった。それは、かざかみへ、かざかみへと遡行する人生逆様の旅。その果てには、はるか太古の風の源、伝承に残る『かざかみの国』と言われる古代文明の影が見えた。松川は大いなる野心で演劇的な『かざかみの国』の復活を目論む。しかし劇団の分裂は着々と進行し・・・
一方、松川の故郷には、松川の遠距離恋愛の相手、高校の同級生、美律がいる。美律は市役所の戸籍係。松川からの手紙だけが楽しみな美律は、ある日不可解な戸籍の消失事件に巻き込まれる。
★公演情報
東京公演 11月3日(木・祝)~13日(日) 座・高円寺1
大阪公演 11月19日(土)~20日(日) ABCホール
長崎公演 11月23日(水・祝) とぎつカナリーホール
名古屋公演 11月26日(土) テレピアホール
奈良公演 12月3日(土) やまと郡山城ホール 大ホール
詳細は⇒ http://www.3297.jp/kazakami/ticket.html
★キャスト
八嶋智人
松村 武
藤田記子
田端玲実
中島栄治郎
佐藤恭子
米田弥央
長谷部洋子
亀岡孝洋
元尾裕介
篠崎祐樹
藍山 彩
田原靖子
中野大地
《ゲスト》
河野洋一郎(南河内万歳一座)
久ヶ沢 徹
★スタッフ
作・演出 : 松村 武
舞台監督 : 原田譲二
美術 : 中根 聡子
照明 : 林之弘(六工房)
音響 : 山下菜美子(mintAvenue inc.)
衣装 : 木村猛志(衣匠也)
演出助手 : 山田 翠
宣伝美術 : Coa Graphics
宣伝・舞台写真 : 宮木和佳子
WEB制作 : 長谷川達之(サージネット)
協力 : シス・カンパニー、尾木プロTHE NEXT、オフィスPSC
イイジマルーム、㈱スーパーエキセントリックシアター
ガイプロジェクト、エムズエンタープライズ、ボーン・トゥ・ラン、エクスィードアルファ、藤賀事務所
制作協力 : ㈱Little giants