2012-05-01 14:39:39
座長より。
テーマ:カムカムミニキーナ
「えびすしげなり」終わりました。
連日満員のお客様に来ていただきまして
これほどやりがいのあることはありませんでした。
しかしあの狭いところにぎゅうぎゅうに押し込めてしまったこと、
まことに申し訳ありませんでした。
どういう舞台を作ろうかということをいつも考えます。
特にここのところは一回一回、
演劇とは何か
演劇とはどういう行為か現象か
自分にとって演劇とはどこに位置するものか
お客様に届ける演劇とは如何なる形を持つのか
演劇と社会はどう繋がるのか
そういったものを極限まで模索しなければ
例え答えがでなくとも
そういう態度が
舞台を創る者としての最低限の必要条件であるという風に思います。
特にこのサラウンドミニキーナというシリーズは
元々が
劇団の若手特別公演などではなく、
年功ヒエラルキーやら消費主義的な事情から独立した
僕にとって劇団にとって表現の最先端であり続けるようにと立ち上げたものですから
この公演こそが、
我々の劇団が、そして僕が一体今をどういう風に生きているのかということの
一つの現時点での答えなのだと思ってのぞみました。
今回
「奉納」というキーワードで
演劇行為のベクトルから考え直してみるというところから
物語、演技、中でも動き
を一から今までとは違う方法論でやってみました。
簡単に言うと
お客に対して演技をやっていないということが
うちの劇団としては画期的な方法論だったと思います。
今までならそれは基本として演劇が成立しないと思ったでしょう。
傲慢で一方的な態度では演劇は成り立たないと。
しかしその考え方にすら幅があると言うことに思い至りました。
我々はとかくいろんなことを偏って考えがちです。
演劇はもっと広いものです。
演劇で何を描くか、何を伝えるのかということも重要ですが
演劇をする行為そのものの位置づけこそが、より重要なのだと思います。
「奉納」
神楽みたいなものを指向した今回の公演
珍妙な、見た事ない出し物だったとは思います。
賛否両論も納得です。
しかし古事記を基にして考えるにおいて、
書き言葉がなかった古代に物語や情報を伝える手段として
演劇が行われていたであろうそのポジション、
そしてその時に物語や舞や所作が持つ力に思いを馳せて、
この演劇の根源の力そのものを、あの小屋に出現させたかったのです。
祈りそのものとしてのエネルギーの塊を。
何か難しくなってきました。
カムストックではなかったでした。
いずれまたカムストック長文にまとめます。
今回、中村、上瀧はじめ、
オーディションで加わったメンバーの一途さが
この我々の新しい試みの非常に大きな追い風になりました。
劇団とはいえ
やはり集団は流動的でないといけないものだなとあらためて思いました。
流動的でないと流動的な事象を捉えきれないとでもいいましょうか。
とにかく
僕個人としてはとてもいい出来だったと思っています。
気に入らん人もいるでしょうが、それもまた当然でしょう。
そういう人の気持ちもわかる。
しかしなるべく正直に今の我々を出した結果です。
今後もなるべく正直に結果を出すだけです。
この演劇の根源の力みたいなことの追及は
秋の「ひーるべる」に繋げていきたいと思います。
「ひーるべる」の世界の一端は「えびすしげなり」でも出てきました。
鐘が鳴っている海の底の異形の者達の縄張り
どんな話になるんでしょうか。
まだ僕にもわかりません。
古事記神話、ヒルコを追うのが今年の僕のテーマです。
歴史好きのマニアックな趣味に見えるかもしれませんが
僕はそういう感じでやってるわけではありません。
古事記を追うこと、古代の世界観を追いかけることが、
今、とても重要だと思っているのです。
何かそういうところに
カムカムの二十二年の表現が収斂していく流れを
確かにつかんだ
「えびすしげなり」
でした。
ご来場の皆様
本当にありがとうございました。
次回「ひーるべる」でお待ちしております。
松村
連日満員のお客様に来ていただきまして
これほどやりがいのあることはありませんでした。
しかしあの狭いところにぎゅうぎゅうに押し込めてしまったこと、
まことに申し訳ありませんでした。
どういう舞台を作ろうかということをいつも考えます。
特にここのところは一回一回、
演劇とは何か
演劇とはどういう行為か現象か
自分にとって演劇とはどこに位置するものか
お客様に届ける演劇とは如何なる形を持つのか
演劇と社会はどう繋がるのか
そういったものを極限まで模索しなければ
例え答えがでなくとも
そういう態度が
舞台を創る者としての最低限の必要条件であるという風に思います。
特にこのサラウンドミニキーナというシリーズは
元々が
劇団の若手特別公演などではなく、
年功ヒエラルキーやら消費主義的な事情から独立した
僕にとって劇団にとって表現の最先端であり続けるようにと立ち上げたものですから
この公演こそが、
我々の劇団が、そして僕が一体今をどういう風に生きているのかということの
一つの現時点での答えなのだと思ってのぞみました。
今回
「奉納」というキーワードで
演劇行為のベクトルから考え直してみるというところから
物語、演技、中でも動き
を一から今までとは違う方法論でやってみました。
簡単に言うと
お客に対して演技をやっていないということが
うちの劇団としては画期的な方法論だったと思います。
今までならそれは基本として演劇が成立しないと思ったでしょう。
傲慢で一方的な態度では演劇は成り立たないと。
しかしその考え方にすら幅があると言うことに思い至りました。
我々はとかくいろんなことを偏って考えがちです。
演劇はもっと広いものです。
演劇で何を描くか、何を伝えるのかということも重要ですが
演劇をする行為そのものの位置づけこそが、より重要なのだと思います。
「奉納」
神楽みたいなものを指向した今回の公演
珍妙な、見た事ない出し物だったとは思います。
賛否両論も納得です。
しかし古事記を基にして考えるにおいて、
書き言葉がなかった古代に物語や情報を伝える手段として
演劇が行われていたであろうそのポジション、
そしてその時に物語や舞や所作が持つ力に思いを馳せて、
この演劇の根源の力そのものを、あの小屋に出現させたかったのです。
祈りそのものとしてのエネルギーの塊を。
何か難しくなってきました。
カムストックではなかったでした。
いずれまたカムストック長文にまとめます。
今回、中村、上瀧はじめ、
オーディションで加わったメンバーの一途さが
この我々の新しい試みの非常に大きな追い風になりました。
劇団とはいえ
やはり集団は流動的でないといけないものだなとあらためて思いました。
流動的でないと流動的な事象を捉えきれないとでもいいましょうか。
とにかく
僕個人としてはとてもいい出来だったと思っています。
気に入らん人もいるでしょうが、それもまた当然でしょう。
そういう人の気持ちもわかる。
しかしなるべく正直に今の我々を出した結果です。
今後もなるべく正直に結果を出すだけです。
この演劇の根源の力みたいなことの追及は
秋の「ひーるべる」に繋げていきたいと思います。
「ひーるべる」の世界の一端は「えびすしげなり」でも出てきました。
鐘が鳴っている海の底の異形の者達の縄張り
どんな話になるんでしょうか。
まだ僕にもわかりません。
古事記神話、ヒルコを追うのが今年の僕のテーマです。
歴史好きのマニアックな趣味に見えるかもしれませんが
僕はそういう感じでやってるわけではありません。
古事記を追うこと、古代の世界観を追いかけることが、
今、とても重要だと思っているのです。
何かそういうところに
カムカムの二十二年の表現が収斂していく流れを
確かにつかんだ
「えびすしげなり」
でした。
ご来場の皆様
本当にありがとうございました。
次回「ひーるべる」でお待ちしております。
松村















































