あれから5年。
自分はここにいるけど、隣にいた人はもういない。
そう、この世にいないのだ。
あれから何か変わっただろうか?
東日本大震災と大きなくくりに飲まれ、今では報道もされない事実。
「東日本大震災 最初の犠牲者」は東京都、国に消された。
世間は「想定外の大地震」というけれど、東京は想定されていた震度。
東京は震度5で天井が崩落する建築物を「耐震化された」と高らかとうたっていた。
あれは、明らかな人災。
だから遺族会も東京都も国も、必死に握りつぶそうとする。
起きなかったことしようとする。
「規制が無かったから、罪に問えない」
一番恐ろしいのは、その規則が無いまま、東京は新国立競技場を、オリンピックの施設を、新たな建築物を作り続けている。
そしてまた同じ事故が起き、同じことを言い、握りつぶすのだろう。
「規制が無いから、罪ではない」
「想定外だ」
ただ、人間というのは、やはり見た目でも判断できることもあるのだろう。
九段会館では現在でも、3月11日には遺族会による慰霊祭でもやっているのだろう。
黒塗りの車で玄関口につき、我々を見ることもなく中に入っていく。
声をかければ、「話すことはない」と顔を見せることもしない。
崩落のリスクをわかっていながら大勢の人間を集める商売をしておきながら、いざ人が亡くなってみるとそれをすべて切り捨てるこの行為。
侮辱以外のなにものでもない。
「何か変わったのだろうか?」
いや、何も変わっていない。
あの時起きた事故を教訓にすれば「認める」ことになる。
「認めない」
つまり、起きたことを教訓にするわけにはいかない。
変えれば「認める」ことになる。
それが今の東京都であり、日本という国である。
おそらく、舛添都知事も安部総理大臣も知らないだろう。
伝わってもいないだろう。
「震度5の地震でも、人が亡くなる東京なのだ」
と伝えなくてはいけないのに、「認めたくない」の為に、未来にリスクを残している現状。
そして、これが津波によって被災した沿岸地域にも同じことが言えるのではないでしょうか?
もし同じことが首都圏沿岸部で起きていたら、あっという間に復興され、再建されているでしょう。
被災した沿岸地域が東北だから、東京で開催されるオリンピックを優先し、ラグビーワールドカップを考え、後回しにされていく。
もし同じことが首都圏沿岸部で起きていたら、5年間も仮設住宅で生活をする人はいなかったでしょう。
考えるべきは、なんなのでしょう?
これは、東日本大震災で起きた東京都九段下の九段会館で起きた出来事。
耐震化が課題とされていた当時、震度5で天井が崩落する事実がありながら、卒業式を開催できると大勢の人を集め、安全が軽視されていた。
その中で起きた東日本大震災。
卒業という人生の晴れ舞台に降り注いだ、崩落した天井の瓦礫。
多くの人が下敷きになり、2名の命が奪われた。
その一名は、僕自身の隣にいた方。
座席の手すり5cmの差で、命の有無の差。
現場は地獄絵図と化した。
地震でパニック状態。
救急車も救助隊を呼ぶ携帯電話もつながらない。
晴れ着の学生、それを祝う両親、誇らしく見守る教職員。
真っ黒になりながらの救助作業。
この事実が語られることは、もう無い・・・
僕自身でさえも、今日は行くことができない。
悔しいし脳裏から離れない。
それでも、前に進むためには、一歩一歩踏み出すしかないのだろうか。
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