GODZILLA 決戦機動増殖都市 | 映画物語(栄華物語のもじり)

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「映画好き」ではない人間が綴る映画ブログ。
読書の方が好き。
満点は★5。
茶平工業製記念メダルの図鑑完成を目指す果てしなき旅路。

★★★★☆

  私が求めていたメカゴジラはこれじゃない感、という話。

 

 超おもしろいっす!

 いやもう、 ゴジラじゃなくても良いんだけどさ! なんなら同じことをガンダムでやっても良いんだけどさ!

 そういう細かいところはどうでもよいのである。なぜなら私はゴジラファンでもガンダムファンでもないからである。

 コアなファンはきっと、「こんなのゴジラじゃない」とお怒りのことだろう。しかし、そうした方々も、本作が「ゴジラ」であることを一旦忘れて、純粋に一つの映画作品として観ていただければと願うばかりである。私は生まれも育ちも神奈川県なので、味噌汁は白味噌か合わせ味噌かが断然好ましい。しかしながら、東海地方でランチを頼むと、大抵セットで出てくる味噌汁は赤味噌の味噌汁(通称:赤だし)なので、味噌汁が大好きな私は心底ガッカリするのである。そんなときはこう思うことにしている。「これは味噌汁ではなく、『赤だし』という名の全く別のスープである」と。そうすると、あら不思議。「こんなの味噌汁じゃない!」という不満がなくなり、「赤だし」という名のスープをありのままの味で楽しめるようになるのである。ありのままの味がそもそも好きじゃないんだけど。そこから先は個人の嗜好の問題である。

 このように、一つ考え方を変えれば、世界はガラリとその姿を変える。だからコアなゴジラファンの方々には、ぜひものの見方を少し変えていただきたい。これはガンダムの亜種であると(ガンダムファンから反感を買いそうな呼びかけ)。

 実際、物語の終盤ではモビルスーツ的な乗り物に乗ってゴジラとの戦闘を繰り広げる。ロボットが空飛んで。ガンダムやん!(ガンダムに関する知識の浅さ)。

 ストーリーとしては、前作『怪獣惑星』のそのまんま続きなので、前作未見の人には全く向かない作品となっている。前作の話を簡潔に述べると、「ゴジラをやっつけたと思ったらミニゴジラだったもんで本家ゴジラが怒ってみんな吹っ飛び、ゴジラが支配する世界で生き延びていた人類に主人公が助けられる」である。で、その続きから始まるので、「助けてくれた種族はシャーマン的な感じなもんで、テレパシー的なやつで言語問題は解決! さらには部族が使っていた弓矢はメカゴジラの素材『ナノメタル』が使われているっぽいぞってなことで生き残った部隊員とメカゴジラを探しに行けば、メカゴジラは『メカゴジラ・シティ』を作り上げていたのだった――」という流れである。

 つまり、メカゴジラは出てこないのである。「メカゴジラ」は「メカゴジラ・シティ」にジョブチェンジを遂げていたのである。ここで出てくるのがサブタイトルである「機動増殖都市」なわけである。滅亡した地球なのに「都市」とはこれ如何に――とサブタイトルに「?」だった者たちの謎の答えは、「メカゴジラの頭脳は生き残ってて、2万年かけて自分の原材料で勝手に要塞都市を作り上げてました」というオチであった。「ナノメタル」というメカゴジラの原材料はもはや何でもアリで、生き物を取り込んだりゼロから機関砲を作り上げたりと、もはや何が何だかである。「ナノ」って名前が付くと、途端に生き物っぽくなるのはSF作品の定番である。「ナノマシン」とか。「ナノ」って本来はただの単位なのに。

 私が見たかったのは「ゴジラvsメカゴジラ」だったんだけどなー、と何となく腑に落ちない展開に、主人公一行も納得いかずかつてメカゴジラを造った種族に食って掛かるのであった。「こんなもの、ゴジラと一緒じゃないか」と。これもまあよくある話である。「こんなもの〇〇と一緒じゃないか」という台詞はよく言われる説。

 しかしそんなことより問題なのは、戦闘民族っぽい主人公一味の一人がものすごく真面目な顔で「言わば、メカゴジラシティだ!」とのたまうシーンは「真面目にアホなことをしているのが逆に面白い」というジャンルに属する笑いであると思われる。とにかくこの「メカ」の部分の語感が悪い。「メカ」って言葉、実は基本的にはギャグ作品か児童向け作品にしか出てこない単語である。大の大人がものすごくシリアスな場面で「メカ」と述べると、「ぷっ」となるのである。しかもそれに続く言葉が「ゴジラ」とあって、「えっ、ギャグじゃないの?」と見る者を困惑させる。「メカ」がつくネーミングは、基本的にダサさをウリにした場面でしか現れない。同じ用法が適用される言葉に「ウルトラ」がある。「ウルトラ」の後に「スーパー」なんぞが付こうものならもう目も当てられない。「ウルトラスーパー〇〇」は子供が思いつく必殺技のネーミングとして多用される枕詞である。「ウルトラマン」も「スーパーマン」も、他作品のシリアス場面では、決して真面目な言葉として使うことのできない単語なのである。

 3部作の第2作であるので、始まった瞬間から本作で決行する作戦が失敗するのは決定済みである。そのため、どのようにして「うまくいかなくなるのか」というのが見どころの一つになるわけで、ゴジラにとどめを刺す用の兵器が半分しか作れないとか、エラーが起こるとか、民族間に亀裂が走るとか、「だよね」の連続で実に安心して観ていられる構成となっている。私はこのように安心・安全に観ていられる映画が大好きである。そういう意味では実にハリウッド大作的な作品構成となっており、映画に特別な「何か」を求めない私のような「映画は普通くらいに好き」程度の者にはピッタリな作品であるいえる。

 最後に全くの余談であるが、私は本作を大手シネコンで鑑賞したのが、入場開始と同時に早々に座席について待っていたら、「席違わないですか?」と声を掛けられた。そしてお互いのチケットを確認してみたら、全く同じ上映時間の全く同じ座席であった(もちろん作品は本作)。そんなことってあるの? と思うのだが、少なくても私は当日券を当日買ったので、間違えようがない。機械側のトラブルでないとしたら、可能性はかぎりなく低いと思うが、私に声を掛けてきた男性は予約購入で、実は日付が違ったのかなぁ……と思ったのだが、真相は文字通り映画館の闇の中である。結局その男性は「いいですよ」と隣の空いている席に座って鑑賞してくれたのだが、なんとも不思議な出来事であった。これが10代、20代の男女の間で取り交わされた出来事であるならば、そこから始まる特別なストーリー的な青春真っ盛りな展開となるのだろうが――現実は、30半ばの冴えないおっさんが座っているところに、それよりも年上のおじさんが声を掛けてきて、二人で暗闇で顔を寄せ合って会話をする、という光景である。

 「始まりは、映画の発券機が作り出した運命のイタズラでした」――ってのはないのかね、この世には。これきっかけで隣動詞の席で映画鑑賞して、そのあと勇気を出してお茶に誘ってみたいなやつは。もちろんヒロインは不治の病であるのが鉄板である(もしくはタイムリープしてきて実は予定調和だった的な)。

 

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