「パッとしない子」 辻村深月 | 映画物語(栄華物語のもじり)

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「映画好き」ではない人間が綴る映画ブログ。
読書の方が好き。
満点は★5。
茶平工業製記念メダルの図鑑完成を目指す果てしなき旅路。

★★★★☆

 てっきり良いことを言われると期待して話し始めたら、びっくりするほどこきおろされたときのいたたまれなさといったら、辛いを通り越して首を締めあげられて捻り上げられているような苦しさだよね~、という話。

 

 私は幼い頃から「学校」という場所にいまいちなじめないタチで、ありていにいえば学校が嫌いなかわいくない人間であった。それはもう、小学校1年生のときからである。教師というのは常に反発の対象であったし、かといって表立ってつっかかっていく強さもない、しょぼいのを絵にかいたような人間である。

 私が学校という場所を嫌う理由には大きく二つの要素がある。一つは「学校カースト」で、もう一つは「教師という特殊な存在」である。今回は前者はテーマではないので置いておくが、今考えても教室内の序列というものはつくづく特殊な要件で成り立っており、そしてその成立には、決して後者と無関係ではない。

 教師という存在の特殊性の一つに、価値基準のダブルスタンダードがある。簡単に言えば、「言われたとおりにしていても評価されるわけではない」ということである。むしろ、言われたとおりにしない者が、たまに言われたとおりのことをすると異様に評価されるという世界ふしぎ発見もびっくりな不思議な現象がよく起こる。言われたとおりにしているのが良いのか悪いのかよくわからないのである。

 私が実際に目にした簡単な例を一つあげる。

 体育館で卒業式の練習が行われたときのことである。練習の合間に休憩時間があった。休憩時間が終わり、大半の者は自主的に席に戻り再開を待つのだが、このような場合のテンプレートとして、いつまでも席にも戻らず騒ぎ続ける人間というのが一定数いるものである。それ自体は特段珍しいものではなく、そしてそれを注意して席に戻そうとする教師の姿というのも何ら特別なものではない。決まりを守る大半の者と守らない少数の者がいて、そして秩序を正そうとする教師がいるのはごく自然な光景である。そして、秩序を正そうとする教師にいちいち噛みつく人間がいるのもまた必然である。

 女性教師に注意をされた男子生徒が、食ってかかってきた。女性教師は怯まなかったし、近くにした男性教師がすぐにフォローに来て、その噛みついてきた男子生徒はすぐに体育館の外に連れ出された。体育館の外では厳しい指導がなされたことは想像に難くない。

 で。

 春になればそよ風に舞い飛ぶ桜の花びらを見かけるのと同じくらいありふれた光景が繰り広げられた翌朝、その指導を受けた男子生徒が一人、その女性教師のもとへやってきた。そして、ばつの悪そうな顔をしながら言うのである。「先生、昨日はすみませんでした」。

 謝罪を受けた女性教師は「ちょっとやめてよ、こそばゆいから。恥ずかしいんだけど」ところころと笑い、当然謝罪を受け入れた。それを見ていた昨日フォローに回った男性教師たちは口々に「あいつは根は良いやつだから」「あいつのああいう素直なところは良いよね」的な会話が繰り広げられていた。

 私は「?」であった。この人たちは一体何を笑っているのだろう、と。

 私の素朴な疑問として、あの男子生徒が褒められるのなら、時間になったら自分から席について静かに待っていた大半の生徒たちはあの男子生徒以上に褒められて然るべきではないか、教師からの要求がありそれに応えていたのだから、という想いが自然と湧き起こった。が、どうやらそれはスタンダードではないらしい。なぜなら誰一人そうした疑問は抱いていなかったからである。私がそうした疑問を口にすると、「それはそうだけど……」と苦虫を噛みつぶしたかのような苦笑をされるだけであった。めんどくせぇ、といった感じの(被害妄想?)

 そもそも、根だけが良い奴よりも、茎も葉っぱも花も良い、お行儀よく時間通りに席に着いて待っていたその他大勢の普通の生徒の方がなんだか損をしているのはどういう理屈の上の話なのだろうか。

 この事例は言ってみれば、言うことをきかず、むしろやりたいことをやり言いたいことを言い何も我慢をしなかった者が、「自分が悪かったからごめんなさいと謝った」という至極当然の行為をしたという事実を以って「株を上げた」のである。私としては目が点なのだが、そうではない人の方が多いのはこれ如何に。

  「自分の非を自ら認める」という行為と、「そもそも非を生まない」というのとでは、なぜか前者の方が高く評価されるのが学校という場所である。より学校的な表現をすれば、先生の言うことを聞くことより、先生の言うことを聞かずにあとでごめんなさいと謝る方が先生から即効性のある評価を得られるのである。

 普通であることは印象に残らない。印象に残らないことは評価をされない。物言わずおとなしく教師の言うことを素直にきいていることは、もっとも教師の意図する通りに動いているということになるのに、教師からの特別な高評価は決して得られないという矛盾が存在する。そして、そのような矛盾を内包していることがもはや当たり前になっており、疑問にすら思われないのが「学校」という場所である。むしろ、「そういう世界で自分はどのように生きるのか?」というようなことがテーマとされてしまうくらいで、この矛盾を是正しようという発想自体が無きに等しい。

 そして、求められていることに忠実に従事することが、その環境で巻き起こる様々な問題の解決手段になり得ないというのも、「学校」という環境の特殊性だといえる。仕事であれば、仕事の実績を上げることが自分を取り巻く問題の最も有効な解決手段になり得るのに、学校では勉強を頑張って先生の言うことに素直に従っていても表立って厚遇されることがない(心の中では信頼しているとか実は高評価とかはあるかもしれないけど。ただそれではちっとも腹は膨れないのである)。教室内での地位(学校カースト)が劇的に向上するわけでもない。学校内で渦巻く多くの問題が大小問わず「学校カースト」に起因する悩みや疲労、トラブルであるにも関わらず、先生のいうことを守ったり勉強をがんばったりすることでは自己防衛にはならないのである。教室内には他の評価基準が存在し、生徒間だけではなく、教師にもその評価基準はそこはかとなく適用されるのである。

 むかつく態度をとってくる奴をテスト結果で黙らせた! というミラクルは起こりえないのである。何かと嫌味を言ってくる上司を営業成績で黙らせることは可能であっても(まあ一般職等だとまた事情は異なるのかもしれないが)。

 指示通り黙って席に着いて静かに待っているよりも、言いたいことを言って後で「ごめんなさい」という方が、「自分の非を素直に認められる奴だ!」というスペシャルな評価を得られる世界――それが「学校」である。

 ということで、非常に強烈な話であった! いや、『パッとしない子』という話がね。

 この物語は、「卒業式の練習で、先生の言った通り時間になったら席に着いて黙って待っていた」側の生徒の話であるといえる。

 あらすじとしては、小学校のアラフォーの女性教師が主人公であり、かつて授業を担当していた元生徒が人気アイドルグループの一員となり、番組の企画で母校を訪れる、というところから始まる。主人公はその売れっ子アイドルの弟をかつて担任していたり、そのアイドル自身ともかつて運動会の折にちょっとした胸キュンエピソードがあったりと、それなりに関係があった。そのアイドルについて人から「小学校時代はどんな子だった?」と訊かれると、「パッとしない子だった。だからこんなに変わってびっくり」と必ず答えるくらい、小学校時代は印象の薄い生徒であった。収録の日が訪れ、全てを終えて片付けが行われる中、アイドルの方から「先生とちょっとだけ話してもいいですか?」と促され――と、この二人で話す内容が、この物語の根幹を成すものである。

 要するに、教師から見た「パッとしない」というのが、一体何を意味するのか――ということである。

 「教師」という、教室において絶対的に君臨する存在は、果たして正当な評価者なのか。

 主人公の女性教師は、恐らく「良い先生」であったという描かれ方をしている。若い時には人気があり、生徒の相談にも親身になって乗り、クラスの中心となる生徒達から慕われていた教師であった。

 で。この「良い先生」というのが、果たして「正当な評価」をする教師であるのかどうかというのが、一つの問題となる。先生の言うことを素直に聞いて従う者は、先生の言うことを聞かず従わない人間が「先生と仲が良い」「距離が近い」という理由で高い評価を受けることを果たしてどう思っているのか――

 まあ現役の先生をやっている人が読めばいろいろと言いたいことはあるだろうが、私が学生のときに感じていた漠然としたこと――「先生は、先生の言うことを黙って聞いている人の方に

は向かない」ということを一つの形として著した小説であるといえる。

 また、作者は学校や「教師」というものをよく知っているなという印象である。例えば、

 

若くて独身の教師は、狭い学校の社会の中では確かにそれだけで子どもに懐かれる理由になる。

 

という一文がある。クラスの中心的な生徒たちは、こうした「友達」のように接しやすい教師に惹かれ、寄っていく。若い教師としてもそうしたプラスアルファの魅力がまだ不十分な実力を補い得るものとなり、教室内の秩序が維持できるという側面がある(本当に実力がある教師は初めからそんなものは必要とせずガンガンやるけど)。

 説明しすぎれば野暮となるが、その辺の微妙なパワーバランスやら言葉にならない雰囲気、うまく説明できないけれども確かに存在した絶対的な教室内の価値観といったものが、非常にうまく書き表されている。

 作者もきっと、教室内では目立たない存在だったのではないかな、と思う(違ったらどうしよう)。同じように教室内で決して最前線には立つことの叶わなかった私のような人間が漠然と想っていたことを、一つの形にした物語である。少し強烈過ぎるけど。

 主人公の最後の述懐も、実に教師が言いそうなことである。

 とても生々しい物語であった。

 

 

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