ブレードランナー2049 | 映画物語(栄華物語のもじり)

映画物語(栄華物語のもじり)

「映画好き」ではない人間が綴る映画ブログ。
読書の方が好き。
満点は★5。
茶平工業製記念メダルの図鑑完成を目指す果てしなき旅路。

★★★☆☆

 自分のことだと思った? ねえ、自分のことだと思ったの? ねえねえ、そうなの? そう思ったの? ねえねえねえってば? としつこく訊かれる話。

 

 完成まで書き上げた記事が消えました。

 アフィリエイト狙いではないブロガーの記事を読んでいると、たまに見かけるこの読者にとっては不必要といえば不必要な嘆き……よもや我が身に降りかかろうとは。書かずにはいられないその気持ち、ようやくわかった!

 いや、ひと昔の前のアメブロではかなり頻繁に記事のアップがうまくいかないことがあったので、その対策をよくしていた(先にテキストエディタで文章を作ってからコピペで記事を貼り付ける。頻繁に下書き保存をする。記事をアップする前に全文をコピーしておき、不測の事態が起こったらペーストする……etc)。しかし新エディタになってからは、不慮の事態でブラウザがトラブっても「記事を復元する」というスーパー素晴らしい機能が備わったので、すっかり油断していた。忘れた頃に、大好きだったあの人が結婚したという一報を聞くに至って言葉にならない想い・苦しみに苛まれるあの感覚にどこか似ているーーそんなアンニュイな気持ち(意味不明)。

 原因は、恐らく最近購入したサブマシンの「非力さ」に寄るところが大きいと思われる。要するに「メモリ不足」だったんじゃないかなーと思うのだが、どうだろう。遠因ではあるが根本的なものでもある。

 

↓最近購入した世にも珍しい珍機「ポータブック」。発売元はあの文房具でお馴染みの「キングジム」である。ヒット商品「ポメラ」をそのまんまパソコンにしたという実にわかりやすいコンセプト。A5サイズのコンパクトなミニパソコンである。見かけは往年のワープロ機のようで超ダサい。ダサかっこいいのではなくダサダサい。スタバでドヤれない。ので、カフェ・ド・クリエでドヤっている図。

↓パソコン版「ポメラ」たる所以である、「折りたたみ式キーボード」。これによってコンパクトながらフルサイズキーボードで文字入力ができるというのがウリ。その割り切った発想からか、マジで「ポメラでインターネットもできたらなぁ」という願望しか叶えていない非力ぶりである。メモリ2GBで、ストレージが32GBしかない。そのコンセプトどおり、文書を作成してネットをするくらいなら特に不便はないのだが、windows updateがまともにできないのが超困る。工夫を凝らして運用を楽しむ人向けのマシン。というかオモチャ。

↓iPhone6sPlusとの大きさ比較。コンパクトではある。が、分厚いので、携帯性としては△くらい。というか、ダサい。ダサかっこいいではなく、ダサダサい。ダサさを狙わずにこのデザインにしたならば、全くセンスがない。そのダサさが気に入ったのだが。購入価格15000円でwindows10が入っているオモチャが手に入って大変満足していた。のだが……

 

 結構な長文を書いて、写真もそれなりに使って、タブも結構開いていてメモリを使っていたためか、「通常表示」から「HTML表示」に切り替えたときに、ブラウザがフリーズをして切り替われず白紙のままうんともすんとも言わなくなった。で、「復元をする」をしたのだが、白紙と変わり果てたものが復元された。このとき私は、コメダに2時間いた。コメダの2時間が無に還った瞬間であった。得たものはシロノワール通常サイズを摂取した際のカロリーのみである。

 そんなわけで、気力を振り絞ってもう一度書いている現在である。「ポータブック」、非常に気に入っていたが、洗礼を受けた形となる。しかし、負けない。外でブログを更新するのだ! カフェでドヤるのだ!

 今までカフェ等でブログを更新するときは「iPad +キーボード+Ameエディター(アメブロ更新専用アプリ)」で行なっていたのだが、正直私にはかなり不便であった。「パソコンだったらもっと楽にできるのに……」と思うことが度々色々とあり(複数ウィンドウで表示するとか)、我慢できなくなってiPadよりも安いwindows10パソコンの導入に踏み切った。そしたら、いままで不満だったことが一切なくなった。もっと早く買えばよかった!

 これを以て思うのは、「iPadとキーボードでノートパソコンの代わりになる!」といったエントリー記事は全く信用ならないということである。タブレットにはタブレットの良さがあり、それはノートパソコンの代わりにすることではないと考える。「代用できないことはない」という程度のもので、文書作成はやはりパソコンの方が圧倒的に楽である。タブレットだといらん苦労をしている感が否めない。

 そんなわけでキングジムの「ポータブック」、とても気に入っている。こんな仕打ちにあったけども、この愛はいまだ冷めやらない。少しくらい理不尽にあたられても「自分が悪かった」と思ってしまうのが魔性の女を愛する男のSA・GA。

 ここからがブレードランナー2019の話。

 何よりもまず眠いという感想。 いやなんか、とにかく静かな映画なのである。それが良いのだろうが、数分間に一回は爆発音があるようなハリウッド映画を愛する私にとっては、こういった淡々と進む感じの作品は超苦手分野である。寝転びながら鑑賞すると、気がつけば瞼が降りていて「この人いま何してんの?」となることがしばしばである。本作においてもそういうことがたびたびあり、主人公が何かと戦っているのをなんとか見届けようと頑張る己との戦いであった。人間とは常に「己に克つ」の心を忘れてはいけない。主人公の戦いなど最終的にはどうでもよいのである。

 眠かったのでかなりうろ覚えなストーリーとしては、人類発展のために労働に従事させることを目的として開発された人造人間「レプリカント」だったが、「旧型」は反乱を起こしたため処分されることになって、主人公である新型のレプリカントが追跡専門の捜査官となって旧型狩りに勤しんでいたら、とある旧型レプリカントを処分した後の遺留品から「レプリカントが子供を産んだ」というおっかなびっくりな証拠を発見し、それぞれの理由から登場人物みんながその子供を探す、という話。1番話題になった部分は「前作の主人公」であるハリソン・フォードが登場することである。が、私はそれが一番ガッカリであった。なぜなら弱かったからである。

 主人公が交代した続編で前作の主人公が登場するときに何を期待するかーーあるいは、マーヴェルシリーズをはじめとしたクロスオーバー作品で別作品の主人公が登場したときに何を期待するかといえば、「ビンチからの脱出」といったことではないかと考える。要は、主人公級の登場人物が追加されたのだから、圧倒的な存在感のもと、良い方向に話が好転するという期待が生まれるのである。私がこの感動を初めて味わったのは、『シャイニング・フォース外伝』というゲームである。このゲームは、「Ⅰ」と「Ⅱ」で主人公が別人にスイッチするのだが、「Ⅱ」の終盤に「Ⅰ」の主人公が仲間の一人として加わるという激アツ展開があるのである。しかも『ドラクエ』のように主人公が喋らないタイプのRPGなので、「Ⅰ」の主人公が「Ⅱ」でサブキャラとして登場したとき色々と喋る姿がまたたまらないのである。

 

↓「Ⅰ」では主人公なので職業「ゆうしゃ」のニック。

↓「Ⅱ」では他に勇者がいるため職業「おうじ」となんとなくクラスダウンしたニック。その代わり、鎧がゴールドクロスにレベルアップだ! 仲間になったときの頼もしさがハンパないのである。

 

 前作の主人公が登場するというのは、主人公級の打開力をもって活躍するということを暗に期待させるものである。しかしながら、本作におけるハリソン・フォードはよぼよぼのおじいちゃんとなってしまったためか、ピンチを招いて足を引っ張ることはすれど、活躍の場面は皆無に等しい。このことは、カルト的人気を誇る前作のファンからしたら納得がいかないのではないだろうか。こんなデッカート(ハリソン)、見たくなかった的な。私は前作を観てないのにそう思った次第。この点は最後まで乗り切れなかった一因である。

 もう一つ乗り切れなかった要因に、物語の筋自体が不愉快だったーーというミもフタもない理由がある。例えるなら「いたずらでラブレターを忍ばせて、素直に告白場所まで来た人を『ほんとに来やがった! バカじゃないの!?』と指差して笑い者にする」といった感じの不快感である。「ねえどう思った? 本当にそうだと思ったの? ねえねえどうなの? ねえねえ?」と恥をかいていることを承知した上でねちねち訊いてくる不快感は私の中でなかなか大きかった。嫌なものを観せられたような感がある。

 というか、そもそもの話、主人公に他人の記憶を植え付けたのは一体誰なの? レプリカントに擬似記憶ではなく他人の本当の記憶を植え付けるのは違法なのに。誰が何のために? どこかに示唆があったのかもしれないが、眠かったためか記憶になく。。。もしそういったことを説明するシーンがなかったとしたら、ご都合主義なストーリー展開だし、それがあの不愉快なシーンに直結する要因となっていることを考えると、なんともやるせないのである。かませ犬も良いところである。「特別だと思っていたけれど、違った」というのはアイデンティティを見失う要因となり得ることである。しかしそれが、自分のせいならまだしも、他人によってそうさせられてしまうというのはかなり忍びない。

 というか、あの女も主人公の記憶を見て全てがわかっていたなら、その場で教えてあげればよかったのにねー。何出し惜しみしとんねん。

 ということで、この物語はいうなれば主人公が振り回された挙句に赤っ恥をかく話であるといえる。基本的に主人公に良いことはないのが、そういう話でも平気で、近未来的SFが好きな人は観てもよいのではないか。私はとにかく眠く、Ⅰ回目に書いた内容の方が恐らく良かったと思われる記事であることを告げ、筆を置く。

 

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