レディ・プレーヤー1 | 映画物語(栄華物語のもじり)

映画物語(栄華物語のもじり)

「映画好き」ではない人間が綴る映画ブログ。
読書の方が好き。
満点は★5。
茶平工業製記念メダルの図鑑完成を目指す果てしなき旅路。

★★★★★

 メカゴジラVSガンダム、という話。夢の対決過ぎて涙がちょちょぎれる!

 

 マジ最高!(頭の悪い褒め言葉)

 いやー、エンターテイメントとはこういう仕事をいうんだなぁと、しみじみと、まざまざと、ありありと見せつけられた思いである。「人を喜ばせる」とはこのようなサービス精神の極地のようなおもてなしにある。

 そう、本作は映画ファンあるいはゲームファン、というかオタクへのサービスに特化した作品なのである。オタクは何が登場したら喜ぶか、オタクにはどのようなシチュエーションを提供すれば狂喜乱舞するのか、ということを練り上げてこねくり回して一つの作品にしたようなものなのである。スティーブン・スピルバーグはやはり偉大な監督である。人が喜ぶことをよく理解している。きっとその財力がなくてもモテたことだろう。

 それを最も象徴するのが、以下のシーンである。

 

 

 ゴジラVSキングコングより胸が熱くなる日本男児は私だけではあるまい。別にゴジラマニアでもガンダムマニアでもないのに超感動した

 このシーン、割と終盤で、敵との戦闘が最大限に盛り上がっている場面である(お約束の主人公のピンチの場面)。そこで、何の脈絡もなく敵がいきなりメカゴジラを使ってきて、主人公の仲間の一人がなぜか持っていたガンダムで応戦するのである。メカゴジラが暴れまわっているときにはもちろんゴジラのテーマソングがハリウッド風にアレンジされて流され、ガンダムの登場シーンでは、動画を見てもらえばわかる遠り、ガンダム登場のポーズをきちんととるのである。こういうディテールの細かさがオタク心を打つことをスピルバーグはよくわかっている。

 

↓ガンダムポーズ。よくみると人生で一度たりともこんな姿勢は取りそうにもないポーズである。足つりそう。

 

 この場面、別にメカゴジラである必要もガンダムである必要も、実はない。強力な武器の応酬であればよかったのである。ただ、メカゴジラとガンダムであった方が観客が喜ぶだろうというスピルバーグのサービス精神から夢の対決が実現したといえる(というか原作があるらしいので、そのれ基づいただけなのだが)。版権問題とかあっただろうが、その労を厭わず観客をただ喜ばせたいという一心でその労を厭わなかった偉大な監督に脱帽である(スピルバーグでなければ実現しなかったかもね〜)。この夢の対決、最終的には横から出てきた『アイアン・ジャイアント』が勝つというところが実にアメリカなのだが。

 

↓すげー面白かった。

 

 そんなわけで本作である。ストーリーとしては、大気汚染で地球が滅亡しぎみの未来で、荒廃した現実から逃げるかのように人々は仮想ゲーム世界「オアシス」へアクセスして、その中で現実とは違う自分を楽しむようになったーーというよくある設定である。荒廃した未来における仮想世界でアバターを操る、という世界観は『マトリックス』に似ているといえば似ているが、まあ昔からよくある話である。日本でいえばスタジオ地図の『サマー・ウォーズ』も実は同じような設定である。現在ではオンラインゲームの発達によって、現実世界でもむしろよくある話というか、「現実がフィクションに限りなく近づいた」ともいえる。私は絶対に「ネトゲ廃人」になるタイプなので、自らこの手の世界に触れることを禁じている。そして本作の世界観は、大雑把にいえば全世界の人間が「ネトゲ廃人」と化したかのような世界なのである。そうした世界では、何よりも「身バレ」が致命的となり、本作でも大きなポイントとなっている。ゲームの世界で勝てなきゃ現実世界で殺る、というのは現代社会でもありそうな話である。現代では、ネトゲの世界でも学校でのヒエラルキーがそのまま適用されそうーー学校カーストに支配されていそうである。現代の子供は学校でも家でも苦労が絶えないであろう。

 本作はとにかくいろいろな映画作品とゲーム作品へのオマージュに溢れており、当然そうした元ネタ作品を数多く知っている方が楽しめる。だからおそらく、10代の女の子なんかと観に行っても全然楽しんでもらえないだろう。あるいは全然そういうものに触れてこなかった上流階級系の教養を身につけた女性と観に行っても、そうした文化にわざわざ触れるようなこともなかったという人生における価値観の相違もあって、そんなに楽しく思ってもらえないことだろう。過去の名作映画系のオマージュも多いので、映画好きな人とならそれなりに楽しめると思うのだが、本作が奥深い(そして難しい)のは、それだけでは網羅しきれず楽しみきれないところである。主人公が「波動拳」を打ったことに感動できないようでは、真の魅力に迫り切れているとはいえない。逆に、『シャイニング』の世界に主人公達が入り込んだときに、一度も見たことない人だと、観たことがある人のような感激は感じられないだろう。「波動拳」と「シャイニング」は客層が違うので、両方網羅するのはなかなかに難しい。

 過去の作品へのオマージュが幅広過ぎて、全てを味わい尽くすのはのは実質不可能であるとさえいえる。ウィキペディアで改めてオマージュの一覧を見ても、知っている作品・キャラクターでさえ「そんなの出てたっけ?」と思うくらい細部に細々としたキャラが出演している。「デジモン」とか日本人でさえ気づかないだろうに、他国の人にそもそも伝わるのだろうか? そんな誰に気づかれるかもわからならない細部の登場人物にさえ版権交渉をしなければならなかったのだから、普通の映画よりも金も時間もかかったことだろう。あのスピルバーグをして「今までで3番目に作るのが難しかった作品」とまで言わしめたのだから、スタッフは相当めんどくさかったことだろう。そんな仕事ふられたらやだよね〜。

 ちなみに、主人公がウルトラマンに変身する予定だったそうで、円谷プロも前向きだったそうなのだが、円谷プロの例の海外版権問題訴訟が響いたらしく、登場を断念したらしい。残念でならない。その代わりにガンダムへの変身が3分間しかできないという謎設定となっていた。なんだこの妥協の仕方は!?

 主人公の乗る車がデロリアン(バック・トゥ・ザ・フューチャー)で、その車で参戦するレースにティラノサウルス(ジュラシック・パーク)やキングコングが登場して邪魔をする。ライバル車両に『マッハGO!GO!GO!』とかいたらしいが、その辺は中年親父の私でもさすがに世代ではなくわからなかった。『マッド・マックス』のインターセプター号も参戦していたらしいが全く気づかず。とにかくもう一度見たくなるね!

 『シャイニング』の世界に入り込むシーンでは、かなり忠実になぞられていて、これは一度でも観ていた方がかなり楽しめるだろう。有名なシーンのネタを丁寧に盛り込んでいるので、なんならユーチューブであらすじ的な動画をさらっと観ておくくらいでも良いかもしれないしダメかもしれない(唐突な投げやり感)。

 「イースター・エッグ」に関するくだりは、アメリカにおける言い回しなので、ゲーマーであっても言葉だけではいまいち理解できないかもしれないが、要はゲームにおける「隠し要素」のことである。本作では「アタリ」というファミコンよりも古いゲーム機のゲームソフトをプレイしてこのイースターエッグ(隠し要素)を探すという場面がある。ゲーム史上最古の「イースターエッグ」と名高いそれを映画本編で紹介するというのもなかなかオタク心をくすぐる演出であるが、本作におけるそのくだりは本編に譲るとして、日本においてこの「イースターエッグ」で最も有名な「事件」は、ファミコンの『えりかとさとるの夢冒険』というソフトにおける開発者の隠しメッセージである。この隠しメッセージが「事件」と呼ばれるほど衝撃的であったのは

 

 ・発見されたのが発売から16年後(そしてその8年後にさらに新たな隠しメッセージが発見されるという……)

 ・エンディング終了画面で1時間半以上放っておき、かつ、その後複雑なコマンドを入力しなければならない(コントローラーも2つ使う)。

 ・隠しメッセージの内容が、ファンシーなゲーム内容とは大きくギャップのある卑猥かつ暴力的な罵詈雑言である。

 

 という3点によるもので、レトロゲームの「隠し要素」というと真っ先に挙げられるものとなった。

 

↓こんなファンシーな絵柄のゲームなのに

↓こんな内容の隠しメッセージなのです。大人って怖い。

↓古き良きPCM音源がまがまがしさを際立たせる動画

 

 現在でいえば、Androidスマホにおける「ドロイド君の隠しゲーム」がこれにあたる。

 さて、ストーリーとしては、わかりやすいほど貧乏な集落に暮らす主人公(アメリカではトレーラーハウス住まい=貧乏という構図がある?)は、仮想ゲーム空間「オアシス」では腕利きプレーヤーであるというありがちな設定で、「オアシス」にはゲーム開発者が残したという3つの試練があり、それらをクリアすると開発者の遺産と「オアシス」を支配する力を手に入れられるということで仲間と一緒に頑張るというありがちな設定である。現実世界においても莫大な遺産が手に入り、かつ社会現象となっているゲームの支配権を手に入れらるということで、世界第2位の大企業が社をあげてこのゲームに参戦しているというこれまたありがちな設定である。大きな組織は人海戦術で必要なものを手に入れようとし、主人公は知恵を絞って巨大組織を出し抜くと相場が決まっている。しかし私が思うに、世界第2位の企業であるならば、CSR(コーポレーション・ソーシャル・レスポンシビリティ。会社の社会貢献)の観点から、このレースに参戦すること自体に社会からの批判を浴びて株価が下がりそうなものであるのだが、どうだろう。しかも、人海戦術にしても、会社に雇われている社員プレーヤーがこぞって下手くそで、かなりどうかと思うのである。世界第2位の企業であるならば、「ウメハラ」級のプロゲーマーとか雇った方がよいというのもあるが、それよりもなによりも、「人材育成」が全くなっていないというのは、会社組織として致命的である。このゲームに参戦する専門の部署があるのに、ゲームオーバーになってばっかりなのは問題である。

 主人公は第一の関門でヒロイン役のゲームプレーヤーと出会い、仲間とともに次々と関門を突破していき、巨大企業からはリアルで命を狙われるようになるというお決まりのパターンで話が進んでいくのだが、それは決してつまらなくない。ベタなのが逆に良い。そういうところは別にいいじゃんという広い心で見られないなら、それはきっと「映画好き」な真面目な人であることだろう。本作に奥深さを求めたら、それは負けを意味する。

 現実パートとゲームパートで分かれて進むのだが、ゲームパートが7割くらいを占め、リアルの役者とかがどうでもよくなってしまうこと請け合いである。ゲームパートは恐らく意図的に、ハリウッドにしてはCG感を丸出しの映像で描かれており、FFXくらいのクオリティである。ただそれでもかなり引き込まれるものがあり、「こりゃいよいよ現実の役者がいらなくなるかも……」というなんともいえない危機感があった。設定が近未来のため、現実パートでもむしろCGが巧みに使われており、現実とゲームの境目がよりわかりづらくなっているところがある。

 映画ってのはどうなっていくんでしょうね〜と、唐突などうでもよい発言。

 そんなわけで、「楽しむためだけの映画」というものを久しぶりに観て、「あ〜映画って本当に良いものです」と水野晴郎ライクに思った次第である。

 前述のとおり誰もが楽しめる作品ではなく、これが楽しいと言うと自分の嗜好がバレるという危険も潜む作品であるので、上品な女性と仲良くなりたい男子諸君は注意が必要ではある。ただ、こういう作品を楽しくなくても「楽しい」と言ってくれる女性と仲良くなりたいね! というオタク親父のわがままにて筆を置く。いやー、もう一回見たい。

 

 

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