音を楽しむ形
クリスマスのイルミネーションが徐々に色濃くなってきた、トーキョー・ブルース・2013。
溜めに溜め倒した配信と、新旧問わずに、未だ耳に入れていない音をモーレツスピードでまとめております。
しかしなんだろう?秋というのは不思議な季節で、過剰に音楽が恋しくなるのです。
こうやって音楽に向かっていると、“世界は一つ”など、偽善性から生まれるキレイ事など更々感じませんが、ただし優しい気持ちになれるのは、間違いのない事実。
精神状態のリセット、或いは脳の中のデータベースの整理、そして非日常空間に入り込める、ある主のサブリミナル効果が散りばめられてるのだと思う。
アジアの一部を除く、世界を観てみると、宗教の影が必ずしも存在するが、宗教と科学なら、間違いなく後者を選ぶ自分ゆえに、ある意味スピリチュアルな音楽も、客観的に聴けるのだと思う。
自分が考える宗教=思想であり、思想=哲学だと心の中で定義を引いてますが、世界の中には、宗教から生まれたイデオロギーを革命だと信じ、以前のカルト集団のような、“殺らなければ殺られる”妄想が、殺戮を肯定してしまうのも現実。
ジョン・レノン教の象徴なのか?うだつの上がらないミュージシャンは、何処となく西洋宗教の影が見栄隠れし、自分の存在が関係をもたらすなどと、高らかに説得力の無い唄を歌っているが、単なる自分を観てくれ!にしか聴こえない。
都合よく解釈する、非社会的なメッセージソングなど、解脱と救済の皮を被った自己価値の追求、ある意味チベット密教における、殺人をも肯定するポアの思想に近いのでは?
なので“世界に一つだけの花”などクソ喰らえ!なワケであります。
素朴に、なぜ音楽を続けるのですか?の問いに、“ただ好きだからです!”と答えられる人の音楽は、神や宗教など一切関係なく、ただただ優しいのだと思います。
カルマ=業、全ては自業自得からなる行い、そう、音楽とは、己に生きるモチベーションをコントロールする、自己開発的エネルギーの象徴だと思う。
溜めに溜め倒した配信と、新旧問わずに、未だ耳に入れていない音をモーレツスピードでまとめております。
しかしなんだろう?秋というのは不思議な季節で、過剰に音楽が恋しくなるのです。
こうやって音楽に向かっていると、“世界は一つ”など、偽善性から生まれるキレイ事など更々感じませんが、ただし優しい気持ちになれるのは、間違いのない事実。
精神状態のリセット、或いは脳の中のデータベースの整理、そして非日常空間に入り込める、ある主のサブリミナル効果が散りばめられてるのだと思う。
アジアの一部を除く、世界を観てみると、宗教の影が必ずしも存在するが、宗教と科学なら、間違いなく後者を選ぶ自分ゆえに、ある意味スピリチュアルな音楽も、客観的に聴けるのだと思う。
自分が考える宗教=思想であり、思想=哲学だと心の中で定義を引いてますが、世界の中には、宗教から生まれたイデオロギーを革命だと信じ、以前のカルト集団のような、“殺らなければ殺られる”妄想が、殺戮を肯定してしまうのも現実。
ジョン・レノン教の象徴なのか?うだつの上がらないミュージシャンは、何処となく西洋宗教の影が見栄隠れし、自分の存在が関係をもたらすなどと、高らかに説得力の無い唄を歌っているが、単なる自分を観てくれ!にしか聴こえない。
都合よく解釈する、非社会的なメッセージソングなど、解脱と救済の皮を被った自己価値の追求、ある意味チベット密教における、殺人をも肯定するポアの思想に近いのでは?
なので“世界に一つだけの花”などクソ喰らえ!なワケであります。
素朴に、なぜ音楽を続けるのですか?の問いに、“ただ好きだからです!”と答えられる人の音楽は、神や宗教など一切関係なく、ただただ優しいのだと思います。
カルマ=業、全ては自業自得からなる行い、そう、音楽とは、己に生きるモチベーションをコントロールする、自己開発的エネルギーの象徴だと思う。
21世紀形の音楽
枯れ葉舞い散る自然のアート。
秋から冬へとコラージュする季節、今宵も北風が非常に冷たく感じております。
久しぶりにCDの山を整理していた所、懐かしいCD達がホコリにまみれて眠っておりました。
そう、ドッサリと・・・
“21世紀へと進化するクラブミュージック”或いは“フューチャー・サウンド”
そんな言葉が外資系雑誌やレコードショップ等でチラホラ見かけるようになり、サンプラーを楽器の如く操る魔術師達が泳ぎ始めた90年代後半。
今までのオタク趣向から、本格的に未来の為の音の追及と題し、頭の中をフル・モデル・チェンジし、世界が発信する音楽を今、今、今聴きたい!と、貪欲な気持ちを抑えられなかった、そんな年頃だった。
仕事の途中、時間を見計らっては、参考資料と題し、今は無き、新宿丸ノ内線地下にあったバージン・メガストアーに足を運び(何気で最新の音が手に入った)、それを元に、週末は渋谷へ行き、12インチへと形を変える、よく考えてみれば、無駄にアナログを手に入れてたような気がする。
CDは常に、一週間に5枚のペースで購入し、今思えば、新譜、旧譜、そしてCDと、よくカネが続いたもんだと、あの頃の自分をリスペクトしております。
テクノ、ハウス、ダブワイズ、ヒップホップ、ブロークン、ブレイクビーツ、アブストラクト、テック、2ステップ、ドラムンベース、あらゆる魅惑のニューリズムが上陸する中、理解不能なIQの低さと、“耳で感じるのだ!”といい聞かせながらも、区別がつかなかった自分の無能さも、全てが全て新鮮でした。
全てを統合し、己の定義と題し、“全ては私の考えるジャズ”などと、カッコつけてはいましたが、今考えるとただのジャンルレスにすぎない。
DJによる、DJの為の未来型進行形ジャズの形。
そんなホコリにまみれた参考CDの中に、それを教えてくれた人物のMIX CDがありました。
その人物こそが、やはりジャイルス・ピーターソン。
彼こそが、音を操る魔術師そのものであり、音楽の魅力、そしていつの時代も進化している事をありのまま学んだような気がする。
そう、改めてジャイルスの作品を聴き再確認したのだが、やはり音楽は現在進行形であり、自分自身、この進行形と同時進行する人間であり、過去のモノも再進行として未来へ誘う。
そう、物質的(レコードやCD等)なモノは、単なる道具にすぎず、大事なのは音そのものである!
これがオレの生きる耳!
中学の頃、布袋寅泰の“ギターリズム”を聴いて、O.K.COMPUTER!を感じた時と同様、まだまだ未来は可能性を秘めている。
そして21世紀の“音楽の形”を体感している今を幸せだと感じております。
秋から冬へとコラージュする季節、今宵も北風が非常に冷たく感じております。
久しぶりにCDの山を整理していた所、懐かしいCD達がホコリにまみれて眠っておりました。
そう、ドッサリと・・・
“21世紀へと進化するクラブミュージック”或いは“フューチャー・サウンド”
そんな言葉が外資系雑誌やレコードショップ等でチラホラ見かけるようになり、サンプラーを楽器の如く操る魔術師達が泳ぎ始めた90年代後半。
今までのオタク趣向から、本格的に未来の為の音の追及と題し、頭の中をフル・モデル・チェンジし、世界が発信する音楽を今、今、今聴きたい!と、貪欲な気持ちを抑えられなかった、そんな年頃だった。
仕事の途中、時間を見計らっては、参考資料と題し、今は無き、新宿丸ノ内線地下にあったバージン・メガストアーに足を運び(何気で最新の音が手に入った)、それを元に、週末は渋谷へ行き、12インチへと形を変える、よく考えてみれば、無駄にアナログを手に入れてたような気がする。
CDは常に、一週間に5枚のペースで購入し、今思えば、新譜、旧譜、そしてCDと、よくカネが続いたもんだと、あの頃の自分をリスペクトしております。
テクノ、ハウス、ダブワイズ、ヒップホップ、ブロークン、ブレイクビーツ、アブストラクト、テック、2ステップ、ドラムンベース、あらゆる魅惑のニューリズムが上陸する中、理解不能なIQの低さと、“耳で感じるのだ!”といい聞かせながらも、区別がつかなかった自分の無能さも、全てが全て新鮮でした。
全てを統合し、己の定義と題し、“全ては私の考えるジャズ”などと、カッコつけてはいましたが、今考えるとただのジャンルレスにすぎない。
DJによる、DJの為の未来型進行形ジャズの形。
そんなホコリにまみれた参考CDの中に、それを教えてくれた人物のMIX CDがありました。
その人物こそが、やはりジャイルス・ピーターソン。
彼こそが、音を操る魔術師そのものであり、音楽の魅力、そしていつの時代も進化している事をありのまま学んだような気がする。
そう、改めてジャイルスの作品を聴き再確認したのだが、やはり音楽は現在進行形であり、自分自身、この進行形と同時進行する人間であり、過去のモノも再進行として未来へ誘う。
そう、物質的(レコードやCD等)なモノは、単なる道具にすぎず、大事なのは音そのものである!
これがオレの生きる耳!
中学の頃、布袋寅泰の“ギターリズム”を聴いて、O.K.COMPUTER!を感じた時と同様、まだまだ未来は可能性を秘めている。
そして21世紀の“音楽の形”を体感している今を幸せだと感じております。
いわき弁
“Autumn Leaves 2013”
11月に突入し、本格的に秋らしくなってまいりました。
そして久方ぶりのブログ更新!
そして改めて、happy birthday to ケンニィー!
こないだの金曜、ケンニィー&シンジョー ペアがアポナシ来店!
大いに笑った!
やはり気心知れた身内というものは、不純物一切ナシの意思疎通があり、トライアングル化するディスカッションも、非常に気持ちのいいリズムなワケで・・・
しかしながら笑っちゃうのは、知らぬ間にモロいわき弁になってること(笑)
みな東京在住が長いというのに、中々取れないいわきスピリッツ。
多分、一生抜けないと思われます。
特にシンジョーと話すと、“ダッペ”や“シタッケ”や“~ナンダッケー”という、いわき特有の語尾が炸裂してしまう。
あれは間違いなく、シンジョー・マジック
にハマってる証拠だなぁ~。
いわき市、特に四ツ倉に生まれ育った私は特に、“浜言葉”がカスタムされてるらしく、後輩曰くコテコテらしい。
気立てはいいが、気性の荒い町だけに、会話もまるでケンカ腰に聞こえるらしく、それだけがマイルドになっただけでも唯一の救い。
地元に住む、コテコテに輪をかけたコテコテな四ツ倉人、親友オコネルに、
「東京に住んでんのに、何でナマッテンノ?」
とバカにされるが、ハッキリ言って、
「ウルセェ~デブ!」
でございます。
まぁ~いわき人の誇りがあるということで、楽天日本一万歳!

11月に突入し、本格的に秋らしくなってまいりました。
そして久方ぶりのブログ更新!
そして改めて、happy birthday to ケンニィー!
こないだの金曜、ケンニィー&シンジョー ペアがアポナシ来店!
大いに笑った!
やはり気心知れた身内というものは、不純物一切ナシの意思疎通があり、トライアングル化するディスカッションも、非常に気持ちのいいリズムなワケで・・・
しかしながら笑っちゃうのは、知らぬ間にモロいわき弁になってること(笑)
みな東京在住が長いというのに、中々取れないいわきスピリッツ。
多分、一生抜けないと思われます。
特にシンジョーと話すと、“ダッペ”や“シタッケ”や“~ナンダッケー”という、いわき特有の語尾が炸裂してしまう。
あれは間違いなく、シンジョー・マジック
にハマってる証拠だなぁ~。
いわき市、特に四ツ倉に生まれ育った私は特に、“浜言葉”がカスタムされてるらしく、後輩曰くコテコテらしい。
気立てはいいが、気性の荒い町だけに、会話もまるでケンカ腰に聞こえるらしく、それだけがマイルドになっただけでも唯一の救い。
地元に住む、コテコテに輪をかけたコテコテな四ツ倉人、親友オコネルに、
「東京に住んでんのに、何でナマッテンノ?」
とバカにされるが、ハッキリ言って、
「ウルセェ~デブ!」
でございます。
まぁ~いわき人の誇りがあるということで、楽天日本一万歳!


