こんにちは、ディシャです。
日中は、暖かな日が増えて参りました。
あと一か月後はGWですから、春になって当然という感じですね。
今日は用事があって、ちょっと外出していました。
お昼の時間に気持ちの良いテラス席のあるレストランでランチをしてきました。
出かけた先はオフィス街でしたが、外は芽吹いてきた樹々が風に揺られ、とても清々しいランチタイムでした。
コロナが無くても、私は滅多に外食はしないので、久しぶりの外食をこんなに気持ちの良い所で頂いたことに感謝したいです。
平日はコロナ対策で早朝より家を出ています。
混んでいる電車には乗りたくないので。
仕事先に到着するまでに時間つぶしのため途中でカフェによるという個人的にも非常事態なのですが、その時間に本を読んだり、調べものをしたりなど、時間を余すことなく使ってます。
というか、そうしなくては日中は家にいないため何事も間に合わないので、そうしています
それかまたは、時間が許す限り、職場までの道のりを遠回りをし、延々と歩いて出勤することもあります。
読書は、インド占星術に関するもの以外は、この数年は、ヴェーダーンタ関連の聖人の福音も含めて、カルマ・ヨーガについての本、またはヨーガ・スートラなど、その方面の本ばかり読んでます。
多分ここでもう、ある意味オタクだと思います。
しょうがないんです、8室が強いので。
8室はオタクの度合いを示していると思います・・・
内容はどの本も普通に細かいことが書いてありますね。
自分は面倒くさいことが書いてある本が好きで良かったと思っているところです。
ヒンドゥー関連の本では、ちょっとハートを射抜かれたようなところがあって、過去世でインドに長く住んでいた人、なんて言われたことがあるんですけれど、もしかしたら本当にそうなのかもしれません。
インド占星術は、インド哲学についてを調べていて知ったのが最初です。
それから、どうしても頭からインド占星術の事が離れなくなり、それならやるかと。
当時、周囲から占い師になれと言われていたのも理由になりましたけどね。
というか、私が占い師になることを予期していた人がいたということでしょうね。
その頃は自分で占いをするという意識は全く無かったですから、何度も言われて、そうなのかなぁと思ったくらいです。
インド哲学に関心を持ったのは、インド人経営の会社で働いたことがきっかけなのですが、そこに行きつくまでに、私もそれなりに悩みの多い人生を送ってきたので、心の拠り所や人生の指針が欲しかったというのが先にありました。
それでどうなのかと言うと、インド哲学は私には充分に役目を果たしてくれていると思っています。
ヴェーダーンタでは嫉妬、妬み、ひがみ、憎しみなどの感情があると本当の至福にはなれないということなんですけど、実際そうだと思うんです。
それらがあると自ら悪いカルマを作り上げるので、いくらマントラを唱えて神様に祈っても、カルマが減るどころか増えてしまうんですよね。
そこが肉体を持って生きている者にとっては難しいところだと思います。
怒っている自分に気が付いた時に、それがどこからくる怒りなのかを自分なりに突き詰めていくと、元々の原因は自分にあったりするんです。
私も日々、修行の毎日です。
ところで、今は、夜の寝る前にちょっとだけ瞑想をしています。
アンマのホワイトフラワーメディテーションです。
コロナが始まってからですから、もうすぐ一年経ってしまいますね。
その日にあった事などが頭の中をグルグルすることもあるんですけれど、心というものは絶えず考え事をし(それもネガティブな)、動き回っているものだそうなのでそうなるのでしょうね。
でもそれはそれで、頭と心が記憶のシステムファイルの修復とかやってるそうなので、必要なことだろうと思って、無理に止めようとしたりはしません。
マントラは、誰が唱えても安全なものとして、ガーヤトリー・マントラやマハームリティユンジャヤ・マントラが良いですよね。
ガーヤトリー・マントラの方は精神性を高めるのには良いと聞きました。
マハームリティユンジャヤ・マントラは、健康問題、または人生に行き詰った時に良いという意味のことをネットで読んだことがあります。
ということで、私の日常は、ほぼ非現実的な感じですね。
昼間は一応、普通に会社員なのですけれどね。