夜中の大事な気づきを思い出せた | 統合がゴールではない

統合がゴールではない

生きている中で、twin flame relationship、またはいわゆるツインレイと言われている人間関係の、別離期間(サイレント期間)の渦中にいます。ときにはポジティブに、ときには弱音を吐きながら、思ったことや学んだことを気ままにマイペースで書いて行こうと思っています

夢というか、夜中に目覚めてからの気づきがあったのですが、今朝起きて、書く前にいろいろ3次元をがんばってしまったうちに、忘れてしまった。


記憶まで辿りつけるかな。


夜中に目覚めたときに、2:22だったのだ。それからトイレに起きて、その後、数週間前に思い出した、ツインフレイムの相手と私の関係性について思いを巡らせていた。


そしたら、そうそう、アッシジの聖フランシスコのことを思いだしたのだ。Brother Sun Sister Moonていう映画を見なきゃなあ、て。


ユーチューブで予告編をみて、イエスキリストにしてもアッシジの聖フランシスコにしても、荒い波動の社会で、世の中をなんとかしよぅとしてがんばってこられたんだなあと思ったのでした。


そして、そうそう、先日思いだした、私と相手との過去世では、やろうとしていたことは失敗して、私はその時代の古い価値観に縛られて、相手は強い怨恨を抱いて亡くなり、そのカルマを乗り越えるために困難な設定へと進んでいるわけなのですが、


なのですが、なのですが、なのですが、


当時の二人が、なぜそのような選択肢しか選べなかったかというと、それは取りもなおさず、時代がそこまで進んでいたからだ、ということに気づいたのでした。


もっと古い、奔放な時代であれば、もっと奔放に、そのときの欲望としての愛を選んだのかもしれない。でも、それではだめなのだ。そんな無責任なことをしては。それが文明というものだから、そこまで時代が進んできていたから、そういう選択肢になったんだ、決して、間違えたことを選択したわけではなかったんだ、と、の理解に至ったのでした。


カルマの解消ということが、一見すると、行ったりきたり、進んだり後退したりしているように見えても、ちゃんと進んでいるんだ、ということは、今世での相手と私の関係も、ちゃんと、なるように進んでいくだろう、と思えたのでした。


そんな思考のあと、再び眠った夢のなかでは、鳥に糞をぶっかけられたりしたけど、現実でそんなことも昔経験したし、洗えば済むのよ、そんなことは、という気持ちで目覚めることができた。


だいたい思い出せて、記録に残せて、よかった。