昨日、自分の体を否定してた課題に取り組むことについて書いた。
ツインフレイムの相手に最初に身体をみてもらったときに、なんでこんなにしちゃったのかなあ、と、半ば呆れたような、非難するようなまなざしを向けられて、すごく悔しかったのを思い出す。
こんな若造に、私の苦しみや、身体がこんなになっても諦めてはいけない事情があることなんてわかるもんかと思った。
〈追記ですが、「若造」とは、いやなことばですね。今は相手のことを決してそんなふうには思わないのですが、この人に出会う前の間に起こった出来事によって心の底で誰のことも信用することができない状態にあったので、そのころはそんなふうに思ってしまったのでした。追記終わり〉
な私が身体をぞんざいにしてしまったのは、自堕落とか我欲のためではなく、身体を大事にする方法を知らなかったからだ。なので、悔しいけれど、悔しいからこそ、それにいよいよ身体を何とかしないと今世で果たすはずの使命が果たせなくなるとむちゃくちゃ困るので、この自信まんまんの若造が、なんでも聞いてくださいというのでほんとうになんでも聞いて教えていただいた。ほんとうにありがたかった。
何が言いたいのかというと、私の身体の問題は、私が正しくなかったから課せられた罰則とかペナルティとか、責めを負うべきことではなかった。そして、今、ツインの相手が取り組んでいるはずの3次元の問題も同様で、間違えた判断をしたとか、選択を間違えた、とかではなくて、この人自身の3次元を生きている中で、この道を通らなければならない理由があったのだと思います。それで、その必然的な過程として、私から痛いところをズバリ指摘されて向き合えなかった、というよりも、向き合って、判断して、取り組むというプロセスを踏むのに時間を要しており、かつ、そのプロセスは私の見えないところで展開されるべき、ということだったのかなと思いました。
私が身体のケアの基本を教えていただいたように、私からも何らかの形で伝えたかったことは伝えたと思ったので、チェイサーにならずにそのステップは省きましたが、ツインフレイムの相手の人の選択に対しては、なんで?どうして?と、責める気持ちはたくさん湧いてきたので、わが身に照らし合わせれば、責めちゃいけないよね、となんだか納得できました