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英文法をbe動詞から始めるのはなんでだろうと考えてみた。

英語と日本語の決定的な違いの一つに「述語になる品詞」の問題があります。日本語では述語になれる品詞は「用言」即ち動詞、形容詞、形容動詞、名詞+助動詞です。他方、英語(インド.ヨーロッパ語族?)では述語は必ず「動詞」です。だから日本語で述語が動詞以外の文は欧米人には不完全な文に見えるはずです。我々日本人的にはそうした文ではbe動詞をセットにしないといけなくなるわけです。つまりbe動詞は日本語にないシステムといえます。なので、案外難しかったりします。

個人的な感覚からすると「英語は言いたいことを先に言う言語」なのです。なので主語述語が先に来る、と。だから、日本語で述語が動詞の文章、すなわち英文法でいうところの「一般動詞」の文から入った方が馴染みやすいはずなのに、なぜかbe動詞から学び始めます。合理的ではありません。
なぜそうなのかを推測すると、イギリスの文法書がbe動詞から始まるからではないか、という考えに突き当たりました。今日本で使われている文法書の原典は120年くらい前の本だそうです。明治時代です。その頃にイギリスの大学に英語を学びに来る人は恐らくは非英語圏のヨーロッパ人でしょう。どう考えても日本人ではないです。そしてヨーロッパ人の言語は述語は動詞だから、be動詞的なものは必ずあるからです。ドイツ語であればIch bin、スペイン語であればYo soyがI amに振り替わることがすぐに理解できるはずです。でも明治の人は翻訳が手一杯で、構造の違いとかまで考えられないから現行の文法上のスタイルになったのではないかと思えてならないのです。日本人が英語を学ぶなら一般動詞の文から入った方がラクなのにそうなってないのはおそらくそういうことではないかと推察するのです。

学び直しをしてみると、現行の日本語で書かれた英文法の参考書は40年前に私が10代の頃に使ったものと何も変わっておらず、昭和10年の谷崎潤一郎の文章読本を見るに、戦前から変わっていないことが伺えます。粗探しをするとキリがなくて、例えば英文法で言われる形容詞は国文法では「連体詞」です。こうした不整合が随所にあります。こうしたことを放置で文科省が「英語を使える人材を増やそう」なんて無理です。100年前と同じマニュアルを使い、国文法と英文法の用語の齟齬も放ったらかしでやれると考えてる方がポンコツです。
日本人が英文法を学ぶなら、まずは一般動詞から入るべきではないか、というのが個人的な見解です。但し、疑問文や否定文で使う"do"が助動詞であることすら文法の本には書かれていませんが。

節電のためにしてる事

東関東大震災以来、マンションの廊下のクリプトン電球を間引きしています。それから幸いにもマンションの角部屋で3方向に窓があるのでエアコンは極力使わないで過ごしています。もちろん程度の問題はありますが、エアコンの効いたところとそうでないところを出入りして温度差でやられるのと体をある程度慣らしてエアコン使わないで過ごすのであれば後者の方がよいのかな、と。節電のためにしてる事

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昨日のマリアシュナイダーが呈示したもの

昨日池袋でマリア.シュナイダーが東京のミュージシャンとクラシックとジャズの両方を演奏するコンサートがありました。私は行きませんでしたが、SNSに上がった会場の写真を見てああやっぱり、と思いました。東京芸術劇場というかなり大きなホールでPAを使わずに、最少限度のモニターで必要最小限な音をミュージシャンに返すというセッティングで何の問題もなくコンサートを行ったということです。日本ではクラシック以外のジャンルの音楽では、コンサートやライブといえばPAが入るのが当たり前という前提で大音量にしちゃうのが一般的ですが、マリアはそうしなかった。というかこれがアメリカのビッグバンドのサウンド作りのデフォルトなんですよね。ベイシーもメル.ルイスも基本的に生音で全体のバランスを作っていました。90年代にvisionesでよく見たマリアのバンドもせいぜいソリスト用にマイク立てるだけで生音でした。彼女のJazz Standardでのライブアルバムの収録現場もたまたま初日に見ることができたんだけど、普通に収録用のマイク立ててるだけでした。生音でアンサンブルを構築するってのは別にウィントン.マルサリスの特権ではなくて実は誰でもできるんですよね。実は私が主催するアンサンブルやビッグバンドでもギター以外(ギターはボディが小さいのでアンプ使わないと管楽器とバランスできないし、マリアみたいなサウンドであればエフェクト必須なのでアンプは必要)生音、すなわちベースを生で演奏するというスタイルを取ってそろそろ8年くらいになります。それを日本の若手ミュージシャンが体験できたのは彼らに取って大きな経験だったのではないかと思います(ちなみ昨日のメンバーで私のアンサンブルに参加してくれたことのある人も数名いました)。これから彼らが演奏していく現場でのサウンドのバランス作りのデフォルトが変わってくるのではないかと。それともう一つ。日本ではどうしても日本のミュージシャンを海外のミュージシャンより一段下にみたがる傾向がメディアなどの中にはっきり残っているんだけど、昨日のコンサートを見た人はそれが幻想に過ぎないことに気がつけたのではないかと。現場に行ってない奴が何を偉そうに言っておるのだ、と思われるかもしれないのですが、マリアのサウンドは想定できるというか、アメリカに住んだことのない日本人の中ではおそらくは最も沢山彼女の演奏を見ているという自負があること、この10年くらいジャズは可能な限り生音であるべきという考えを持っていたのを昨日のコンサートで彼女が呈示したこと、自分の音楽経験の中で日本人と外国人みたいな壁はとっくの昔になくなっているのです。会場の写真を見てそんなことを思いました。

実は2年くらい前にマリアに単身できてもらってディレクションしてもらうことについて彼女本人とメールでやりとりしたことがあったんです。状況的に時期尚早かな、ってこととこっちも資金的に無理だったのでたられば話で終わっちゃったのですが、ちゃんとした組織が後ろにつくとできるんだよなぁ、と思うとともに、あー、ようやくこういう時代が来たのか、という気にもなりました。