スタンダードとは?
ジャズをやっていると「スタンダード」を避けて通ることはできません。それらの多くは古くはミュージカルの挿入歌で大ヒットしたもの、少し時代が下がると映画で流行ったものに分けられると思います。古いものだと1920年代くらいからあるわけですが、これ、日本だと大正時代辺りの歌になります。つまり、古賀政男とか古関裕而の時代の流行歌をどれだけ知ってる?みたいな話です。アメリカではミュージカルが何度も再演されたりすることで割と世代を超えて歌われそうですが、それでも100年前の歌ってどれくらいがスタンダードとして残っているんでしょうか?日本だとジャズの現場で演奏されるスタンダードって案外限られている感じがしますが、アメリカでも東海岸と西海岸では取り上げられるスタンダードには違いがあるように思えます。
海外のヴォーカリストさんをサポートすると、見たことも聞いたこともない曲が出てきたり、しかもそれが案外良い曲だったりします。まだまだ勉強しないといけない曲はたくさんありそうです。
歌伴の楽しみ
ヴォーカリストのサポートは楽しいのです。特に外国の方のサポートは楽しいのです。理由は「全然知らなかった曲もしくは過去に演奏したことがない曲に出会えることが多い」からです。そして私の場合、そうしたスタンダードの多くは一度聴いて構成を掴めてしまえば譜面がなくてもオブリガートをつけることにほぼ何の問題もないのです。音を聴けば曲のキーも分かるし、そもそもコードネームを読むのはさほど得意でないし、記号にしなくても音を聴けば困らないので。ずいぶん昔にピンキー.ウィンターズさんとやった時もそんな感じでした。知らない曲の方が多かったというか、日本でお馴染みのスタンダードの比率がめっちゃ低いです。この10年くらい、サンフランシスコのバーバラ.ハデンフェルドさんのライブにお付き合いさせてもらっていますが、一昨年くらいからmeaning of the bluesが歌われることが増え、今年はI've grown accustomed to see her faceが加わりました。前者はコードは難しくないですが、難曲です。マイルスやロイなどラッパでの名演が結構あってそれらとは違うものにしないといけないですし。I've grown…はマーティ.ペイチ版を良く聴きますが、実際に吹いてみるとコードの流れの中で色々気付きがあるのが実に楽しいのです。そうした曲を演奏しながら
「いわゆるスタンダードは本国アメリカでどれくらいスタンダードなんだろうか?」
と考えたりもしますし、何よりもスタンダードの数の多さ(それは1001という数で明らかなんだけど)に改めて驚きます。とはいえそれは「古賀メロディ全部知ってるか?」とか「古関裕而どれだけ知ってる?」みたいなものかもしれないのですが。
いずれにしても「知らないスタンダード」に触れる機会があるのは楽しいものです。聴いて漠然と覚えているものが演奏したら違う魅力が見つけられる、みたいなところが大きいのかもしれません。
オールド.ジャズの効用
先月くらいからオールド.ジャズというかビバップ以前のジャズを多めに聴いています。きっかけはいわゆる中間派の世代の音楽でした。こうした昔の世代のジャズって、いわゆるモダンジャズ以降の音楽に比べると音楽に「寛ぎ」があるように思えるのです。翻って自分が演奏の時に考えてることというと、「ここでどういうフレーズを組み込もうか」みたいなことが多いのですが、昔の人たちの演奏っていい意味で「鼻歌」なんですよね(モダンジャスではスタン.ゲッツが生涯鼻歌唄いだったように思う)。小賢しいフレーズをあれこれ考えるよりも音楽にゆったり向かえる感じがするんです。このあたりのバランスを自在にコントロールできると表現の幅がもっと広がるのではないかなぁ、と。1960年代以降のジャズ、公民権運動やコルトレーン的なものというか感情というか激情みたいなものをアドリブで表現するみたいなのが一世を風靡したことで失われたものっていうのが結構あるのではないか、と。おちゃらけるというわけではないけど、音楽にはエンターテインメントな部分も多いわけで、複雑で難解な演説を早口でまくしたてる必要はないのではないかと。そんなことを考えさせられています。