☆自己の輝き発見~カタカムナ☆ -48ページ目

☆自己の輝き発見~カタカムナ☆

自分の潜在意識に内在する無限の光と輝きに気づき、
過去の記憶の波動を、感謝と喜びに書き換える。
そのプロセスを、カタカムナとともに楽しんでいます。

自分が育った家庭の影響もあってか、
普段の自分にはない、少しの贅沢を、ご褒美として自分にプレゼントすることさえ、
まるで悪いことでもしているかのように感じてしまう、という刷り込み
が、結構ありました。

少しばかり前置きですが、
小2の途中まで、千葉県船橋市に住んでいました。
ワケあって、両親は離ればなれになり、家族ごと、広島県福山市に移転。
高校を出るまで、福山で過ごしました。現在でも、帰省先は福山です。

高校を出た後は、大半を、東京か、その近辺で過ごしています。今は船橋に住んでいます。
帰省の時の足は、たいがい、新幹線です。たまに夜行バスも使います。

まだ「のぞみ」がなかった頃の新幹線、今にして思えば、けっこう時間をかけた帰省でした。
直に福山に止まる「ひかり」を選んでばかりいましたが、5時間近く、乗りっぱなしでした。

ある時の帰省で、突然、
止まる駅の少ない「Wひかり」を岡山まで使うことを思いついて
実行したところ、これが、自分へのささやかなご褒美と癒しになっていた
みたいで・・・。
その新幹線の中で、まあ、すいていたからできたんだけど、けっこう号泣!
そういう列車に乗ることを、自分の心に初めて許可した時に、起きたことでした。

その頃、Wひかりの停車駅は、
東京を出たら、名古屋、京都、新大阪、岡山、広島、小倉、博多(終点)。
列車によっては、小郡(今の新山口)にも止まる。
新横浜も新神戸も通過という、今では考えられないパターン(笑)でした。

ただし、Wひかりも、料金は、止まる駅が多い「ひかり」と同じだけど、
Wひかりは、あくまで、止まる駅が少なく、最速パターンだった、ということでした。

初めてアメブロを開始した2010年、ある人の記事で、
ふだんはしない、ちょっと贅沢なこと、たとえば食事や衣類、などを、
自分にプレゼントする、それを「変換」の本で知って・・・というのが目に留まり、
そのことと、上記の「Wひかり」のことがつながり、それがきっかけで「変換」という書籍を
Webで購入。これが、精神世界というか、スピの世界に足を踏み入れるきっかけに。

最近、改めて「変換」の本を久々に通読したんだけど、
「ホ・オポノポノ」とも共通する、
自分の潜在意識の中にいる、本質の自分☆
その存在の、感情の記憶の良化・クリーニング、それで本質の自分を愛し仲良く♪

といった、昨年11月から今年にかけて感じているところが、まさしく盛り込まれて!
いわば、原点回帰です。

今は、朝6時に東京を出る「のぞみ1号」が、福山に帰省する時の最速の列車で、
福山に9時26分に到着、ですが、これまでに、2回乗っています。
東京から新大阪までが2時間22分で、確かに速い!と感じます。
これで十分なのでは?と、個人的には、感じています。

「のぞみ」の一部が福山に止まる今ではもう、普通に「のぞみ」をチョイスしており、

誰?そういうちょっとした贅沢を悪いことのように刷り込みしたのは~?!(笑)
という感じです。

新幹線の話が長くなったけど、他にも、
初めて北海道に行った時、あこがれていた寝台特急「北斗星」に乗った、とか、
福山から東京に戻る時「ドリームスリーパー」という高速バスに乗ったことがある、
とか、時に少しの贅沢を自分にプレゼントしている事例は、いくつか、あります。

ほかに、ふだんの外食は、500円くらいで済ますけど、たまには2000円くらいかける
などは、意図的にやっています。

こうしたことに、悪いことと思う罪悪感など、必要ない(笑) と感じています
ニコニコ
それどころか、こういうことも、本質の自分への癒しや愛の行為だと、思っています。
ありのままの自分を愛し、認めて、仲良くする、ということについて。

今回は、以前なら封印していた幼児期のことも含めて書きます。


幼児期の僕は、
知能の発達が遅いとみなされる子どもでした。

家の中でもそうだし、保育園でも。特殊学級行きもありえたくらいのレベルでした。

小1の終わり頃のある日、担任からの一言。「明日から保育園に戻れ!」と。

この言葉に、どういう思いがこみ上げて来たかは、容易に想像できるでしょう。

腹の底で、思い切り、思いました。


いつか、何らかの形で、その言葉を、見返してやる!!

と。

しかも、家の雰囲気から、その悔しい思いを、親にすら、話す気になれなかった。

当時の僕は、そのできごとを、自分の中で忍耐していただけでした。


小2の始め頃のある日、算数の授業中に、ふと感じた。


数字の計算・・めちゃくちゃ自分に合っている!!と。

それから、算数が好きで得意な子ども時代が始まったんだけど、

このことは、
当時の僕にとって、唯一の希望の光☆でした。

今思えば、
「知能が遅れている」という思い込みの鎖を外す第一歩でもあった。


中学の時には、方程式や証明など、一時は消化不良な思いも経験したけど、

それでもある日のひらめきで解消して、再び自信を取り戻した時もありました。


その、自信を取り戻した感じのままに突入した高校時代は、

まわりから見たら、キチガイに見えたかも?と、今でも感じるくらい、

数学に没頭し、受験に関係ないけど、魔方陣も面白がって楽しんだりしていた。

さらに、高3のある日には、

数式やグラフから感じる調和が美しいとか綺麗とか、そういう感じに感じたことも
星空


大学に行くのも、迷うことなく、数学科に進んだ。

新聞奨学生をしながら一浪する、というプロセスを経て、

私立の第一希望だった、東京理科大学理学部第一部の数学科に合格。

めっちゃ嬉しかったのは、いうまでもないです。


その頃のことは、今の思いで見ても、大いに賛辞を贈りたい思いです。

しかも、小1の時に思った思いを、一つの形にした?みたいな。


その後、今でこそしていないけど、数学の家庭教師は、何年もやっています。

さらに、一昨年の夏には、今の仕事をしつつ、数学検定1級も、取得しました。

1度はあきらめていた時もあっただけに、これも嬉しかった。


誤解のないように補足しておきますが、

小1の時の悔しい思いをした発言をした担任のことを、マジで憎んでいたけど、

今では、
そういうプロセスも、内在する光に通じていくためのギフトだったプレゼント


実は、その当時に家族で住んでいた場所の近くに、自分は今、住んでいます。

先日のこと。当時の通学路を、改めて歩いてみた時に、

「憎しみ」ではなくて、
「その時のことが、何かいとおしい」という感じがしました。


憎しみがありながらも、それを行動に出さずに、自分の中で忍耐していた、

当時の自分にも、大いに感謝
ですニコニコ


小2の始め頃に、算数を通じで差し込んできた、希望の光。

これがなかったら、どんな人生になっていたのだろう?と感じるくらいです。

今の自分にとっても、数字や数学は、ごく自然に好きなものの一つです。
自分を愛する、ということ → 今まさに、自分の重大なテーマになっています。
Facebookで最近、そのような波動の方々とのご縁が増えてきており、
自分としても、感謝と喜びと希望を感じているところです。

「自分を愛する」 子どもの頃からそれができていたら、苦労しませんけどね(笑)
実際の所、
両親の仲が悪い・兄弟の仲が悪いという状況であった上に、
・自己愛を優先させることは、良くないこと
・男性なのに女の子みたいなのは、良くないこと
などなど、悪いように思い込まされた縛りは、色々とあり・・・。

否定的なイメージを植え付けられる方が圧倒的に多い!
としか思えない状況で、育ってきました。
家や学校で、僕の身に何が起きていたかは、簡単に想像がつくと思います(笑)

ふだん、自分のことを指して言う時は、大体、「俺」ですが、
一応、このブログでは、「僕」で通すことにします。

僕は、男性だけど、女の子っぽい、と見られる面が、色々とあり。
それ自体は、自然なことだけど、
子どもの頃は、結構気にしていました。
持たされた水筒は、兄の水筒と区別できるよう、赤い水筒だったのですが、
遠足の時など、とても恥ずかしかった(笑) 今でもリアルに思い出します。

ただ・・不思議なことに、小学生の時のある日、
鏡に映る自分の顔を見て、
目が輝いている、と感じて、心の中で、そうつぶやくことがありました。

誰からも教わってはいませんけど、ふとインスピレーションで来て、やった気がします。
まあ、さすがに声に出しては言えなかった(笑)
これ、自分を輝かせるワークの1つみたいですが、
それをその当時、自然にやっていた、という、当時の自分に、感謝です♪
ただ、こういうことをしていた、というのを、人前で言ったことは、まだないです。
前のIDでも書いたことはなくて、この記事で初めて書いています。

高校の時など、男性でありながら女子の人に「かわいい」と言われることが時々あり、
当時は、自分にそういう言葉が向けられることなど、想像もしていなかったから、
どう対応するのが適切なのか、実は、それが当時の悩みでした(笑)

今なら素直にオールOK!で受けてよかったんだと分かるけど、当時はね・・・。
そのギフトを受けられるだけの器が、まだ十分になかった?のでした。


ただ、必ずしも悪いようにとらえてばかりではなかった所も、あります。
自分の呼び名が「○○ちゃん」(○○は自分の苗字)だった時も、
そのまま、流していました。

一方、どう対応するのが適切か悩んでいた影響で、高校の時のことだけど、
「かわいい」という言葉をスルーしてしまったという、苦い思い出もあります。
今でもこれを思うたびに、「ごめんなさい」以外の言葉が出ませんm(__)m

そう、僕が自分を愛し切っていたわけではなかったために、起きたことでした。
思い込まされた縛りのため、何か罪悪感みたいなものもあった感じがします。

最近、改めて「変換」「ホ・オポノポノ」などでやっているワークとは・・・

悪いように言われて悔しかった思いや罪悪感などをクリーニングして、
「自分の中の、キラキラした輝きの表れとして、『かわいい』という言葉があり、
自分は男性ではあるが、自分の意識の本質は、実はそのようなものである☆」
というイメージへの書き換えワーク
です。

「乙男な自分を愛して仲良くする」
というテーマで、正直な思いを、綴ってみました。
このテーマを、これだけカミングアウトしたのは、初めてです(笑)

前のIDの時なら、アメンバー限定記事にしようか、と思うような内容ですが、
あえて、限定しないことにします。