今回は、以前なら封印していた幼児期のことも含めて書きます。
幼児期の僕は、知能の発達が遅いとみなされる子どもでした。
家の中でもそうだし、保育園でも。特殊学級行きもありえたくらいのレベルでした。
小1の終わり頃のある日、担任からの一言。「明日から保育園に戻れ!」と。
この言葉に、どういう思いがこみ上げて来たかは、容易に想像できるでしょう。
腹の底で、思い切り、思いました。
いつか、何らかの形で、その言葉を、見返してやる!!
と。
しかも、家の雰囲気から、その悔しい思いを、親にすら、話す気になれなかった。
当時の僕は、そのできごとを、自分の中で忍耐していただけでした。
小2の始め頃のある日、算数の授業中に、ふと感じた。
数字の計算・・めちゃくちゃ自分に合っている!!と。
それから、算数が好きで得意な子ども時代が始まったんだけど、
このことは、当時の僕にとって、唯一の希望の光☆でした。
今思えば、「知能が遅れている」という思い込みの鎖を外す第一歩でもあった。
中学の時には、方程式や証明など、一時は消化不良な思いも経験したけど、
それでもある日のひらめきで解消して、再び自信を取り戻した時もありました。
その、自信を取り戻した感じのままに突入した高校時代は、
まわりから見たら、キチガイに見えたかも?と、今でも感じるくらい、
数学に没頭し、受験に関係ないけど、魔方陣も面白がって楽しんだりしていた。
さらに、高3のある日には、
数式やグラフから感じる調和が美しいとか綺麗とか、そういう感じに感じたことも
大学に行くのも、迷うことなく、数学科に進んだ。
新聞奨学生をしながら一浪する、というプロセスを経て、
私立の第一希望だった、東京理科大学理学部第一部の数学科に合格。
めっちゃ嬉しかったのは、いうまでもないです。
その頃のことは、今の思いで見ても、大いに賛辞を贈りたい思いです。
しかも、小1の時に思った思いを、一つの形にした?みたいな。
その後、今でこそしていないけど、数学の家庭教師は、何年もやっています。
さらに、一昨年の夏には、今の仕事をしつつ、数学検定1級も、取得しました。
1度はあきらめていた時もあっただけに、これも嬉しかった。
誤解のないように補足しておきますが、
小1の時の悔しい思いをした発言をした担任のことを、マジで憎んでいたけど、
今では、そういうプロセスも、内在する光に通じていくためのギフトだった
実は、その当時に家族で住んでいた場所の近くに、自分は今、住んでいます。
先日のこと。当時の通学路を、改めて歩いてみた時に、
「憎しみ」ではなくて、「その時のことが、何かいとおしい」という感じがしました。
憎しみがありながらも、それを行動に出さずに、自分の中で忍耐していた、
当時の自分にも、大いに感謝です
小2の始め頃に、算数を通じで差し込んできた、希望の光。
これがなかったら、どんな人生になっていたのだろう?と感じるくらいです。
今の自分にとっても、数字や数学は、ごく自然に好きなものの一つです。