「ん…っ、」

目を覚ますと、そこには星一つ見えない空が広がっていた。
辺りは既に暗く、9月ということもあって肌寒い。

(クソいてぇ)

固いコンクリートに長時間触れていた後頭部と背中はジンジンと痛む。

上半身を起こそうと腕に力を込めるが頭がクラクラしていて上手く起き上がれず、バタンと倒れてしまった。

本当に今日はついてない。

家族が心配するから帰らなければならない。しかし、なんだか帰るのもめんどうになってきた。

(てゆーかオレ、)

「起きたんだね」

カツカツという足音が、コンクリートに押し当てられた右耳に響く。そして、その音が徐々に近付いてくるのが分かった。

見なくとも、誰だか分かる。

足音が顔の横で止まった。
そしてソイツはゆっくりとしゃがみ込むと、オレの顔を覗き込んだ。

辺りが暗いせいで表情が分からないが、きっといつもみたいに笑ってる。たぶん。

「イ…ャ…」
「気分はどう?」
「だい、…ぶ」

喉が痛くて声が出ない。
それを察したのか、イザヤはスッとペットボトルを差し出してきた。

それを無言で受けとって一口だけゴクリと飲めば、スポーツドリンク特有の合成甘味料の甘みが口一杯に広がった。
糖分が一気に脳に伝わってクラクラするのが心地好い。
はぁ、と一息ついて、ペットボトルを身体の横に置いた。

「あのまま死ぬんじゃないかと思ったよ」
「オレも」
「死ねばよかったのに」
「うぜぇ。…助けたのはてめぇだろうが!」
「ははは、顔赤いよ?」

ウソだろ?!と慌てて左手で顔を庇ったら、やはりクスクスと笑われた。

「こんなに暗いとキミの表情なんて全然見えないんだよ。あ、もしかして図星だったのかな?」
「ッテメェ…!!」
「怖いこわ~い!こうさ~ん!はははっ…」

そんなことを言うわりには全然懲りた様子もなく、オレの隣にケツを下ろして胡座をかいた。
きっとこいつは分かってるんだ、今オレがコイツに手を出せないことを。
本当にタチが悪い。性悪っていう言葉はコイツのためにあるんだとさえ思う。

「早く帰れよ」
「ヤダね。弱ってるシズちゃんを見れる機会なんて滅多にないんだから」
「死ね」
「せっかく過呼吸で死にかけたところを助けてあげたのにその言い方はひどいなぁ」

過呼吸持ちなら毎日袋くらい持ち歩きなよとイザヤは呆れて肩を竦めるが、オレからしたら、そんなこと知るかよと言ってやりたい気分だ。

だって過呼吸なんて初めてだ。
というよりオレは過呼吸を含めて、病気とは無縁だと思っていたからビックリした。
それに、嬉しかった。
コイツがいう“化け物”から“人間”へと昇格した気がしたから。

「なにニヤニヤしてんの?」
「なんでもねぇよ」
「してるよ。オレの目、もう暗いとこに慣れたからかなり見えるし。ねぇ、」

そう言ってコイツはオレを跨いで、顔をグッと近付けてきた。
視線がガッチリぶつかる。
今なら蹴り上げることも、殴ることも、フェンスの向こうへ投げ飛ばして殺すこともできる。けど…

(身体が動かない…?)

目の前には形の整った顔が、余裕釈釈と口角を上げてオレを見つめている。
その表情には、いつものような邪気や嘲りなどは含まれていない。

「シズちゃん」
昨日、人を傷付けた。
一昨日も、そのまた前の日も
きっと、今日も明日も…



教室の扉を開けると、オレにクラス中の視線が一気に注がれた。
いつものことだし慣れてはいるが、やはり気分がいいものではない。

(胸糞わりー)

もうあと5分で午後の授業だ。
ギュルギュルと鳴る腹を抑えながら自分の席に座ると、斜め後ろの席の新羅が話しかけてきた。

「また呼び出しかい?」
「昨日ボコした連中の親がわざわざ来やがったんだよ。慰謝料払えって」
「うわー、そりゃ大変だったね。しかも昼食べ損ねたでしょ?」
「まぁな。あ、次の授業サボるから先公には適当に言っといてくれないか?」
「あーはいはい。おやすいごようさ」

ありがとな、とゆるく手を振って教室を出た。

向かったのは屋上。
アスファルトのど真ん中に寝転んで空を眺めるのが、いつの間にかオレの日課になっていた。

こうやってボーッとするのは嫌いじゃない。
流れていく雲を目で追うことも、日が沈むにつれて冷たくなっていく空気を身体で感じることも、夕日のオレンジを見ることも
全部、昔から大好きなことだ。

「ずっとこうしてられたらいいのにな」
「ハハハハッ!喧嘩人形がらしくないねぇ」
「てめぇノミ蟲野郎!」

サッと立ち上がって振り向くと案の定、ソイツは扉の前に立っていた。
ヘラヘラと口元を歪ませて、冷たい眼差しをオレに向けている。

「喧嘩相手の母親に責められたことにイライラしてサボタージュ?シズちゃんにしては賢い選択だと思うよ。だって、物を壊したり人を傷付けることなくして気持ちを落ち着かせているんだからね!」

褒めてあげるよとパチパチ拍手する姿に、額の血管が浮き出たのが分かった。

「ッ…てめぇ殴られてぇのか?!」

「あっれー?喜んでくれてもいいんじゃないの?せっかくシズちゃんが一人ぼっちで暇そうだから会いにきてあげたのにさぁ」

昨日だってオレからのプレゼントすぐにダメにしちゃって、と言ったところで、イザヤはアッと口元を抑えてヒクヒク笑った。

「喧嘩人形にとってはゴミ同様だったのかなぁ?」

(…ああ、そういうことか)

全部全部、全部、コイツの仕向けたことだったというわけだ。

この三年間オレがしてきた喧嘩はすべてコイツが仕掛けた罠で、今までぶっ倒してきたやつ等へ指示したのもコイツ。

「ふざけんじゃねーよ!!」
「やっぱりバレちゃった?でも楽しかったでしょ?自分は傷つくことなく思いっきりストレス発散できるんだからさっ!」

不意に鋭い何かが首を刺した。
カチャン、とオレの足元に落ちたのはナイフで…。

数秒後に気づいた。
コイツがオレに投げたんだ、と。

首筋から生暖かいものが伝っていく感覚がする。

「化け物」

冷たく沈んだ声色。
聞き慣れたその言葉は、何故かオレの耳にやけに鮮明に響いた。

「オレの大好きな人間なら死ねるんだよ、ナイフ一本で!でもキミは死ねなかった。やっぱりキミは、シズちゃんは人間じゃない!オレの大嫌いな化け物だ!」

イザヤは背をそらせて、白い喉を引き攣らせながらゲラゲラ笑った。

もはやオレには何も言い返すことが出来ない。
身体さえ硬直して動かなくて、ただただ、苦しい。

苦しい。苦しい?
苦しいってなんだ?

「はぁ、はぁ、は、」

呼吸が出来ない。

喉を両手で押さえ付けながら膝から崩れ落ちた。
固いコンクリートに額を擦り付けて堪えようとするが、どんどん息は詰まっていく。

「なぁに?降参したふり?オレがそんなのに騙されると思ったの?しんが~い」

違う。そんなんじゃない。
呼吸が出来ない。涙が止まらない。脚も手もガクガクする。

こんなの、オレの身体じゃない。

「は、っあ゛…」
「ちょ、シズちゃん?」
「く、はぁ、あ」
「過呼吸か…?クソッ!呼吸するな!」

呼吸するな?
あいつ、やっぱり最初からオレを本気で殺す気だったのか。
よっぽどオレのことキライだったんだな。

いまさらだけど、なんとなく悲しい気もする。

「はぁ、し、っは…し、ぬ」
「チッ…」

もうダメだと目を閉じた瞬間、唇に柔らかいものが重ねられた。
「ねぇ、シズちゃんは自分の死を想像したことはある?」

そいつはカルボナーラをフォークにくるくると巻き付けながら、まるで“明日の予定は?”とでも聞くような軽い口調でそんなことを言った。

上手く巻き付かなくてスルスルと崩れるパスタにイライラしてると、目の前にそれが綺麗に絡まったフォークが差し出された。

オレはそれをくわえる。
コイツはそれを心底嬉しそうに笑う。そして薄い唇を再び開いた。

「それを想像できる人間なんて世界中にほんの一握りだと思うんだよ。だって今生きてるからさ、自分が死ぬなんて非現実的に捉えてしまうんだ。こんだけニュースで殺人事件や自殺が放送されているにも関わらず“自分は死なない気がする”なんて絶対ありえないことを皆思い込んでいる。それってすごいことだと思わない?」

こんなこと言っておきながら、無垢な子供のように笑うコイツも十分すごいと思う。あえて口には出さないが。

そいつはソファーから音も立てずに立ち上がると、空になった食器をオレの手から取って流しに置いた。
ガチャッといささか耳障りな音が、ドラマのいいシーンと被る。

「幽のセリフが聞こえなかったじゃねーか」
「録画してるから大丈夫だよ。ね、許して」

そう言って差し出されたプリンパフェを受け取る。
自然と顔が綻んだのが自分でも分かった。
我ながらこういうところは単純だと思う。…認めたくないが。

「ねぇねぇシズちゃん」
「んだよ…」
「オレは想像したことあるんだよ」
「へー」
「きっとオレはね、」





「っ…くっ、う、」

オレの腕の中にある臨也の抜け殻に滴が落ちる。端から見たら男二人が泣きながら抱き合ってるように見えて滑稽だろうか。

もともと真っ白い肌は血色を失い青白く沈んでいる。
可笑しいな、昔お前は言っていたじゃないか。
高体温のオレと低体温のお前を合わせると適温になるんだって。

「ウソ、つきやが、って」

付き合うときに二度とウソつかねぇって約束しただろ。
オレがウソや秘密が大嫌いだってこと知ってるだろ。

お前冷てぇじゃねぇか。
オレの体温全部奪いやがって、ふざけんなよ。

「帰ってこいよ…!帰ってきやがれ…」

今だけはウソを許してやるから、帰ってこい。
鼻につく笑い声で“シズちゃん騙されたの?オレが死ぬわけないでしょ?”って。
笑ってくれよ。
無表情なお前なんてお前らしくねぇよ。

『きっとオレはね、オレを恨む人間に撃たれるんだよ。長生きなんて出来ないと思う』
『でもシズちゃんより先に死ねたなら幸せだと思うんだ』
『だってね、後に死んだらずーっと寂しい思いしなきゃならないでしょ?でも先に死んだら天国から見守ることが出来るんだ』
『ずっとシズちゃんラブだからね!ウソじゃないよ!』

臨也の目尻から、また一つ涙が流れた。