こんばんは。
お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
退職しているので、3連休でもなんにもなくて、
そりゃあ、1人旅にでも出ればいいんでしょうけど、
1人で出てもつまらないし、
それに、引き受けてしまった翻訳の仕事が1年半遅れていますし、
なのにさらに書評まで引き受けてしまって(前にお話ししましたように、今は無理ですとお断りしたら、18ヶ月から24ヶ月あとでもいいですからというので、結局引き受けてしまって、これでやっていない宿題が二つになりました。やめとけばいいのにと、自分でも思いますが、あてにしてもらっているうちが華かもと思ったりして、こんなことになっています)。
宿題があっても元気な方はいっぱいおられると思いますが、私の場合だめなんです。
でも、現状がそうなので、気持ちの切り替えしかありません。
* * *
体調が少し変なので(前にもお話ししましたけど、見た目にどうもないのに、ときどき皮膚に痛みがあります)、連休明けに近くのクリニックに行ってみようと思います。
そう結論を出したら、少し気持ちが楽になりました。
それはともかく、全然気持ちが乗らないのに、ただやらないとなあという気持ちだけで、
今日は午後2時半までに、翻訳の推敲、1日のノルマの1日A4で2枚分、終わりました。え、なななんと。
訳は、全部で659枚。そのうちの498枚まで、今日終わりました。
なので、1日2枚は進めるとして・・・
あはは。まだ先は長いですね。
それに、これは1回目の推敲ですので、少なくとももう1回、全体をしっかり見直さないといけません。
なので・・・・・・・・・・・・・・
あ、考えないことにしましょう。
つまらないことばかり申しました。すみません。
* * *
朝ごはんは、鰹のたたきにしました。
魚を食べないといけないと言われていますので、これでよかったかなと。
でもって、お昼は昨日作った八宝菜の残りです。
今日は、2時半にノルマが終わりましたので、
少し「外歩き」にと思っていたのですが、
ちょっと横になったら、気がついたらうとうとしてしまって、4時半でした。ありゃりゃ。
それで、ありゃりゃのあと、
起きてから、
野菜を準備して、
豚肉を焼いて、
ソースを作って、
いろいろ炒めあわせて、
エリンギたっぷりの酢豚を作りました。
スーパーに行くと、100円で売っている野菜をついつい買ってしまいます。
エリンギもその一つでした。前にはズッキーニがそうでした。こういうの、嬉しいですね。
春になったら、私もふるさとの農業の手伝いを再開します。
ほとんど役に立ちませんけど、まだ力仕事だけは不思議と大丈夫みたいです(二十歳過ぎからほとんどデスクワークばっかりしていたのに自分でも不思議ですし、いろいろあるものの、ともかく、そういうふうに生んでくれた父母に感謝です)。
暗い気持ちでいないで、頑張りませんとね。
いつも気持ちが暗くなったら、仏壇の亡くなった家族たちの遺影に、
「頑張るからね」と声をかけています。
私が死ぬまでには、ちゃんと納骨をするつもりです。
ふるさとのお墓には、暮れに法名碑にみんなの名前を刻んでもらいました。
さあ、今日もこれから、もうしばらく頑張りたいと思います。
いつも同じで恐縮ですが、こういうときに聴きたいのが、こぶしファクトリーの「明日テンキになあれ」です。
なもので、またまた埋め込ませていただきますね。
動画をご提供くださった、道重一筋GDS. さん、ありがとうございます。
無観客の、ラストライブです。
私は解散後のファンですけど、すごいグループだなあと思います。
もう一度、ラストライブが。そう思っているファンは多いんじゃないでしょうか。
私も行けたら、そのときは、東京に行きます。いや、行けたらではなく、必ず行きます。
(京都でもあるかなあ。)
そうそう。小澤征爾さんが亡くなられました。
アメリカにいたとき、研究所のコーディネーターの方が、もし希望があればチケット手配するよと言ってくださって、
ある日の休日、家族みんなで、ボストン交響楽団の練習風景を見にいきました。
ボストンの大きなホールで、
それが小澤さんにお会いした最初で最後でした。
その昔、私が若い頃、小澤さんは日本では評価されなくて、ところが海外で評価されると手のひらを返したように小澤さんのことがいい方向で話題になるようになりました。
そのことをご存じのクラシックファンは、今でも多いと思います(少なくとも高校生まで、私はポップスとともに、クラシックファンでした。フルトベングラー指揮、ベルリンフィルハーモニーのベートーベンの5番は、今でも最初から最後まで、頭の中で再現することができると思います。え、大丈夫? あ、うーん。今はどうかなあ)。
あの頃のことを記憶している人間としては、今はただ亡くなられてご冥福をと思いつつも、あの頃日本でどんな扱いがされたかを思うと、ただご冥福をとも言っていられなくて、ひとこと余計なことを書かせていただきました。恐縮です。
アメリカは、私自身も、基本、感謝しているところがいっぱいあります。
チョムスキーさんとの関係とか、言い出せばきりがありませんが、私と私の家族を温かく迎えてくれたハーバードの研究所(家族のことも大切にしてくれました。先ほどのボストン交響楽団のイベントも、その一環でした)のことがなければ、もしかしたら、今みたいにまだ研究を続けているということはなかったかもしれません。
当時親しくしてくれたベトナムからの研究員のナムさんのことも含めて、当時のアメリカは、悪い意味での「アメリカファースト」ではありませんでした。
だから何?
そう。とりあえず、今日はそれだけ、書かせていただきました。
ありがとうございました。
今日もお付き合いくださって、ありがとうございました。
どうぞよい夕べと、よい明日を。
【追伸】
一昨年の9月にオープンアクセス(図書館でなくてもどなたにでも無料でネットで読んでいただける)公開された論文が、知らないうちにアクセス数が 7,100 を超えていました。
関心をもってくださった世界中のみなさまに、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。