前奏曲はホルストの『惑星』がヒント? | 愛は限りなく ~DIO, COME TI AMO~

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一粒の雨にさえ心揺れることもある。いつもどんな時も心閉ざさずに…。

1980年7月24日(木)は矢沢永吉さんのコンサートへ行っていました。

会場は和歌山県民会館です。

なぜ日曜日である7月27日(日)の丹後文化会館を選ばなかったかというと、15時開演だったからです。

『日帰りできていいじゃないか?』と思われるでしょうが、お昼に永ちゃんのライヴは見たくない!

それに、学校は既に夏休みに入っており、特に土日を選ぶ必要がなかったです。

 

でも、15時開演と言えば、1979年のクリスマス・コンサートだってそうだったでしょ?

なぜ1979年の千穐楽が、平日なのに昼間の開演になったかはわかりませんが、京都府立体育館で同日夜に何か催しが予定されていたからかもしれません。

いずれにせよ、7月の15時と12月の15時とでは、終演後に会場を出た時の空の色が異なります。

すなわち、日没の時間のことですよ。

もしライヴが終わってまだ空が明るければ興ざめします。

 

 

1980年7月24日(木)和歌山県民会館

 

1. RUN & RUN

2. バイ・バイ・サンキュー・ガール

3. テレフォン

4. 馬鹿もほどほどに

5. 雨のハイウェイ

6. I SAY GOOD-BYE, SO GOOD-BYE

7. Hey Diana

8. 涙のラブレター

9. Good by

10. 天使たちの場所 ☆

11. This Is A Song For Coca- Cola

12. アイ・ラヴ・ユー、OK ☆

13. レイニー・ウェイ

14. トラベリン・バス

15. 黒く塗りつぶせ

16. 鎖を引きちぎれ

 

~ENCORE~

 

17. Rolling Night

18. So Long

 

 

矢沢永吉さん…ヴォーカル

 

相沢行夫さん…エレクトリック・ギター

木原俊雄さん…エレクトリック・ギター

伊藤久之さん…ベース・ギター

大森正治さん…ドラムス

岩崎肇さん…キーボード

下川英雄さん…テナー・サックス、アルト・サックス、ソプラノ・サックス☆

 

 

まず前年までと比べて大きく変化したのは、ピアノを持ち込まなくなったこと。

持ち込むというより、会場のピアノを借りずに複数のキーボードでピアノの音を出し、同じくエレクトリック・ピアノやシンセサイザーの音も出していました。

と言って、さほど大掛かりな機材ではなかったと記憶しています。

1982年の『P.M.9』ツアーに参加したマーク・ジョーダンと比べれば豪華でしたが、1979年と比較するとすっきりした様子に見えました。

 

79年はグランド・ピアノにオルガン、そしてオルガンの上には2~3段のキーボードが積まれていました。

当時の最新作「KAVACH」(1980年)には“Hey Diana”と“So Long”を除きシンセサイザーは殆ど使われず、むしろシンセを排除した音が売り物でしたが、ライヴでは逆に多用されていたのが面白い。

オルガンの音は、“ウィスキー・コーク”の演奏がなかったためか、あまり必要がない(笑)

 

今では考えにくいことに、開演前のBGMは流れていませんでした。

私~あの時は私たち~は元来開演よりもずっと前に会場で待っているのは大嫌いでしたが、それでも何も音楽は掛かっていなかったと思います。

すると突然交響曲が大音量で流れ、同時に客電が落ちて行く…と言えば、先日の平原綾香さんのコンサートみたいに思われる方も多いかもしれませんが、まさにあんな感じでした。

しかも、前奏曲がグスタヴ・ホルストの『惑星』を思わせるものでした。

勿論、「木星、快楽をもたらすもの」ではありませんでしたが、その変奏曲みたいに聴こえた。

一体クラシックの何を基にした曲なのか未だ謎です。

 

しかし、前奏曲が何かを考えるゆとりもなく、相沢さんがコードを弾き、木原さんがスライド・バーを指板に走らせると、白いジャケット姿の永ちゃんが登場しました。

映画『RUN & RUN』とまるっきり同じ始まり方ですが、そこはさすがにライヴです。

スタジオ盤のようなルーズな乗りではなく、テンポを上げたタイトなアレンジに生まれ変わっていました。

終盤にはサックスも参加して、間髪を入れず“バイ・バイ・サンキュー・ガール”へ。

 

“テレフォン”では珍しくハンドマイクに持ち替えての熱唱が愉しめました。

スタンドマイクの時と同じく、レシーバーの部分を左手で持ち、ワイアー(コード)を右手で持って歌う。

しかし、このマイクは非常に頑丈な作りと見えて、永ちゃんが興奮してレシーバーを右手の掌で叩いたり、ワイアーをグッと引っ張ってもびくともしなかったです。

まあ、ロジャー・ダルトリーだって相当無茶をしますが、ロジャーのマイクもいつも問題ありません(笑)

 

久々の“雨のハイウェイ”は、「THE STAR IN HIBIYA」(1976年)のギターの弾き語りとは異なり、エレピの弾き語り~エレピ1本をバックに歌う形~に近かったです。

イントロらしいイントロはなく、エレクトリック・ピアノのアドリブが一息つくと同時に♪果てしなく続くハイウェイ飛ばせば~♪の声が聴こえ、場内から大きな歓声が上がりました。

MCや曲間の時も結構エレピのアドリブが小さな音で鳴っており、これはなかなか良かったです。

夏にはエレピの涼しい響きが一番!

 

そうそう、“アイ・ラヴ・ユー、OK”や“鎖を引きちぎれ”でもイントロがなかったのではありませんか?

もし憶えている方がいらっしゃいましたら、是非お教え頂きたいです。

他にもイントロなしで歌った曲があった可能性がありますから。

しかし、面白いことにレコードではイントロのなかった“Rolling Night”にはイントロが付きました。

本ツアーのライヴ・アルバム「The Rock 6.2 1980 NIPPON BUDOKAN LIVE」(1980年)のそれとは違うのですが、どんな様子だったか思い出せません。

ピアノのアドリブだったか木原さんのスライド奏法を中心としたギター・ソロだったか?

もしかしたら、あちこちの会場でその都度異なる演奏で始めていたかもしれませんよ。

 

ライヴ・アルバムの「The Rock」と言えば、“This Is A Song For Coca- Cola”が完奏されていませんが、私の見たライヴではちゃんと最後まで歌っていました。

同曲のギター・ソロも起承転結が明解な素晴らしいフレージングです。

しかし、ライヴ盤ではそれが全然出ていない…。

もっとも、ライヴ・アルバムに関してはこれまで散々文句を言ったので、これ以上は申し上げません…。

 
ギター・ソロというかインストゥルメンタル・パートがどんどん速くなったのは、“I SAY GOOD-BYE, SO GOOD-BYE”も。
エンディングは前年同様普通にギターで〆るのかと思いきや、延々長くなり、そしてテンポも徐々に上がって、最後は唐突に終わるカッコいい演奏でした。
こういうアレンジって臨時に組んだバンドでは殆ど考えられず、長年活動を共にしているバンドだからこそだと思います。
私にはどこか柳ジョージ&レイニーウッドと近いものを感じました。

 

 

 

 

 

 

 

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Ibaraqui, le 24 juillet 2018