35年の歳月が流れた | 愛は限りなく ~DIO, COME TI AMO~

愛は限りなく ~DIO, COME TI AMO~

一粒の雨にさえ心揺れることもある。いつもどんな時も心閉ざさずに…。

今日10月4日は…と言うより、1982年10月4日(月)は矢沢永吉さんの『P.M.9』ツアー最終日でした。

矢沢さんのコンサートをそれほど見た訳ではありませんが、初日と千穐楽の両方見たのは同年のツアーのみ。

いやいや、永ちゃんの『P.M.9』ツアーのみならず、他の人でもそうした経験は多分ないはず。

これは単なる偶然に支配された事実です。


初日は9月17日(金)神戸国際会館だったから見に行けた~見に行ける範囲だった~からに過ぎません。

現在だったら、近畿地方を回るのなら同じ時期に励行するでしょう。

ところが当時は大らかだったのか、たまたまだったのか、神戸は上記の9/17(金)と18(土)の2日間、そして大阪が9/30(木)と10/4(月)の2日間~この間には仙台と名古屋が入る~と変則的な日程だったのです。


ツアーの日程自体は以前にご紹介したはずなので再掲載は致しませんが、とにかくプログラムを開き、公演日程を見て驚きました。

だってまともな会場は神戸と大阪のみで、他は全部体育館でしたから。

その点こちらではきちんと2日間の日程が組まれ、音楽ホールで鑑賞できたことに感謝せずにはいられない。



1982年10月4日(月)大阪厚生年金会館大ホール


1. ROCKIN' MY HEART

2. CAN GO

3. SUGAR DADDY

4. PRETTY WOMAN

5. 抱かれたい、もう一度

6. 50% DREAM

7. TRYIN' TO FIND MY WAY HOME

8. ROCK ME TONIGHT

9. YOKOHAMA FOGGY NIGHT ※

10. YES MY LOVE

11. 黒く塗りつぶせ

12. 世話がやけるぜ ☆

13. 恋の列車はリバプール発

14. チャイナタウン

15. I LOVE YOU, OK

16. YOU

17. HEY BOBBY

18. WITHOUT YOU


ENCORE 1


19. トラベリン・バス

20. NETTAIYA(熱帯夜)


ENCORE 2


21. CAN GO



ジョン・マクフィー…エレクトリック・ギター、アコースティック・ギター※、バッキング・ヴォーカル

リッチー・ジトー…エレクトリック・ギター、アコースティック・ギター※

デニス・ベルフィールド…ベース・ギター

キース・ヌードセン…ドラムス、バッキング・ヴォーカル

マーク・ジョーダン…キーボード、バッキング・ヴォーカル

ボビー・ラカインド(ラッカインド)…パーカッション、バッキング・ヴォーカル


妹尾隆一郎(Weeping Harp Senoh)さん…ハーモニカ☆



今年との大きな違いは、1982年の10月4日は凄く暑かったこと。

アンコールで演奏された“NETTAIYA”のよう。

不思議にも、1982年の真夏は今年ほど暑くはなかったのに、秋になってもなかなか気温が下がらなかったのです。

こういうのって日記を付けているからこその話で、日記なしには空気感を比較などできなかった。


音楽の話に戻すと、改めて私は保守的な人間だと実感しました。

なぜなら、前年1981年の『Rising Sun』ツアーと1人もメンバーが重なっておらず、サウンドがガラッと変わり、なかなか馴染めなかったからです。

81年のツアーも80年『The Rock '80』とはミュージシャンが異なっていましたが、それでも中核的な存在である、ギタリストの相沢行夫さんと木原敏雄さんは健在でした。

とは言え、あの時も戸惑ったのは事実。

特に、キーボードの佐藤準さんがシンセサイザー中心のプレイをする一方、前任者岩崎はじめさんはピアノが主でした。


とにかく、『P.M.9』ツアーが私にとって8回目(初日の神戸)と9回目(千秋楽の大阪)のコンサートにあたります。

過去4回をほぼ同じメンバーでライヴを見ていると、どうしてもその時の音に耳が慣れてしまいます。

当時私は学生でしたが、学生であろうがなかろうが、それはあまり関係ないでしょう。


でも一緒に行った友人は、変化を素直に受け入れて愉しんでいました。

神戸に同行してくれた友人と、大阪に同行してくれた友人は別であり、前者の友人は前年も一昨年も一緒です。

『だって、バンドのほぼ全員が歌えるなんてこれまでなかったじゃん。しかも皆上手い!』。

確かにその通りで、1曲目の“ROCKIN' MY HEART”はバンド・メンバーが歌えないと成立し得ない楽曲です。


他に私が感銘を受けたのは、ベース・ギタリストのデニス・ベルフィールドです。

カーティス・メイフィールドのアルバムにも参加していますが、それよりもずっと派手な演奏ぶりでした。

永ちゃんのスタジオ・アルバムの殆どは後藤次利さんが演奏しており、後藤さんのプレイを凌駕するほど。

例えば、“チャイナタウン”のベース・ラインが見事に再現された時は私もさすがに感動しました。

同曲のイントロだって、シンセサイザーながら初めてストリングスのパートが登場したし…。

あれっ、『戸惑った』云々と述べた前半と話の辻褄が合わない?


本当を言えば、戸惑ったのは最初に見た方の神戸国際会館でした。

心理的な問題かもしれませんが、前回1981年8月17日(月)に見たのも同じ会場だったため、どうしても同じサウンドを期待してしまったのかもしれません。

他に違いは?

81年の神戸公演の来場者は大人しかったのに、82年ではファン層が変わったのか騒々しかった(笑)

多分“YES MY LOVE”のシングル・ヒットで新しくファンになった人も居られたのでしょう。

ただ、それだったら81年だって“抱かれたい、もう一度”が大ヒットした訳で、新規のファンがどっと流れてきてもおかしくないはず。


“50% DREAM”はミディアム・テンポのロマンティックな曲で、ピアノとギターと管楽器が上手く調和した名曲です。

ライヴで再現しにくい曲にもかかわらず、よくぞ取り上げてくれたと喜んだ記憶があります。

でも同曲は、できればレコード通りにNOBODYの演奏で聴きたかった気持ちもあります。

ただ、今にして思えば「RISING SUN」(1981年)で弾いていたのは、パラシュート組だと思いませんか?

すなわち今剛さんと松原正樹さんのこと。

このお2人が相沢さん木原さんと共に「RISING SUN」に参加していましたが、残念ながら曲ごとの記載がないため、“50% DREAM”のギター奏者がわかりません。

しかし、トーンから判断してパラシュート組だと感じます。


ライヴでは当然、ジョン・マクフィーとリッチー・ジトーの2人がスタイリッシュなプレイを決めていました。

ジョンのフライングVやリッチーのフロイド・ローズ・トレモロ付きギターからは派手な演奏を想像しがちですが、そんなことは全くなかったです。

管楽器がないのは仕方がない。

不思議とそれに対する不満はなく、“I LOVE YOU, OK”~管楽器なしで聴くの初めて~などは却って新鮮でした。

フライングVって意外にも幅広い音が出せるのです。

“抱かれたい、もう一度”は特に名演でした。


また、1曲だけの参加でしたが、妹尾隆一郎さんの演奏も素晴らしかったです。

完璧にスタジオ・ヴァージョンを理解した上での演奏だとわかるフレージングでした。

目を瞑って聴いていると、トランペットと間違ったかもしれませんよ。

ハーモニカを『歌わせる』『泣かせる』などと表現すると月並みになってしまいますが、ここでは2人のギタリストを圧倒していました。

とりわけ、終盤のソロで徐々に速くなってゆくところは最高の一言です。

『大阪在住で、僕の友人を紹介します。妹尾隆一郎!』(^^)v


最後にまたまた奇妙な話をしますと、実はジョン、キース、ボビーの3人は81年のドゥービー・ブラザーズの日本公演で見ていました。

それと前述のように、デニスはカーティス・メイフィールドのアルバムで名前を知っていました。

そういった要素もあってか、新しメンバーにもすぐに親しめたのかもしれません。

本当に知らない、知っていても名前くらいのミュージシャンが来るのと全然違うでしょ?

友人の意見に同意し、繰り返しになりますが、ドゥービーの3人とマーク・ジョーダンはいずれも歌が上手い!

キース・ヌードセンはドゥービーのライヴ時は気付かなかったものの、キックが人並み外れて強いです。

“CAN GO”のバス・ドラムのプレイは皮が破れるほどでした。




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