教科書は'多く'なんて要らん | 取り敢えず与太話 FTMアスペルガー児のぼくがホザくんだし…

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日々感じた事や、兎に角伝えるべきセリフを文字にして発信。皆を傷つける事は極力避けながら、周囲と幅広く関わりを持って行こうと望むぼくの記録。イマジネイション有り余る限り性を出します!

語学習得には、教科書なんて多過ぎずが丁度良い。各自が好む1冊に集中すれば問題無い。

ぼくは、NHKで20歳の4月から8年間学んだ。然もTV放送だから字幕との睨めっこが常だった。

先一昨日の春、方向転換を心に決め、フレーズを鼓膜へ垂れ流す…のが今出来ていない。

たった8年で? 何の為に学んで来たのか解らなくもなるよ。レベルの低下が…、否定出来ひん。

其れでも、極簡単なフレーズは今も尚ですがね…。10月の連休、大阪にて奇跡はおきた。

あべのハルカス内で、とあるイタリアンレストランの入り口にて、本場のイタリア人が立っており、その方と目が合うと…、片言乍らのコミュニケーション成立。昔取った杵柄なのだろう、自分でも奇跡としか言い様が無かった。妹や母の前で、良い格好した等思っていない…。

只の趣味に留まらず、何かしらの準備になっていた。耳で聞いた事、脳味噌は覚えていた。

ぼくの教科書は、耳にお誂えだった。スピードラーニングの如し。聞き続けて覚える類。

折角買った物だからと、御袋は手放さぬ様促すも、今のぼくに、テキスト集はお荷物なのだろう。

たった1冊でも、其れを極めたら独学するには十分。或いは、紙自体が不要なのかもしれない。

現地では片言だろうが通じれば全て良し! 今日から何語でも良い、頑張り直して見せましょう。

これから又、本腰を入れ捲るぜ!!