あの時ぼくは、大阪にいた。その日は前日前夜、運命に引き寄せられる如く。
何の縁あってか、妹が入院する羽目になってしまった故。
1月17日、丁度20年前は、未だ小学5年生。妹は、小3…。
あの惨劇で命奪われた人々6,434名。
20年前のぼくはブラウン管越しに観ていた当時の惨状…
今思い出すと涙が込み上げて来ちゃうぼく。
4年が経とうとしている、東日本大震災。20年後も、あの侭だろうか…
東北・関西に縁を持つ人間として、ぼくの知らなかった歌を妹宅で初めまして。
そんな歌があったなんて… ぼくは自分自身を恥じた。
なのに、地震を知らぬ地元ッ子達が歌う。おれだって、おれだって…!!!!!
何時此処も、第2の関東大震災が襲い来ようか、予測すら不能。
備えあれど、憂いは抜けず… 昨今の調査によると、
ぼく達の住まう本州南半分を含め、トラフの構造上、四国も危険だと云う!!
あの日から、20年が過ぎた今現在も、ぼくは決して忘るまじ。
当時の爪跡を、無念、悲劇、瓦礫の残骸、被災者達の血涙…
それでも、地球は自転と公転を続け、自然は生きている…