私は珈琲が好きです☺️
いつからだろう?
覚えていないけど気がつけば日常に珈琲があるのが当たり前になっていました。
気分で紅茶を選ぶ事もあるけれど、
やっぱり珈琲の味や香りが好き😊
ブラック、
そこにミルクだけプラスしたやつ、
カフェラテ、キャラメルマキアート、、
色んな飲み方をその時その時気分で選んでほぼ毎日飲んでます☕️
けれどまだ過食嘔吐が普通だった頃は
ブラック一択でした。
単純に美味しいと思っていた私もいたけど
何よりカロリーを取らない事を重視していました。
更に何かでカフェインがダイエットに良いと聞いたのもあり
(内容はちゃんと覚えていないのですが)
もはや欲しいかどうかも分からないまま、
自分の体重の為に毎日ブラックコーヒーを飲んでいた時期もありました。
そのくせ過食スイッチが入ると甘ったるいコーヒー牛乳とか飲みたくなったりして。。
吸収するならブラック!
吸収しなくていいなら甘〜い、お砂糖たっぷりの!
いつもこんな選択の仕方をしていました。
こう言う二極(これは良い悪い、白黒、ジャッジ)の考え方が全ての苦しさを生み出してたんだなぁと今になるとしみじみ思うけど、
その時はそこにしがみつくしかなくて。
こうすれば良い自分
(誰かに良いと認められる自分)
になれるはず!
何を選ぶにもいつもそんな基準で決めていました。
•痩せれば認められる、価値のある私になれる
→コーヒーはダイエットに良いらしい
→痩せるたまにカロリーとっちゃダメ!だからブラックで!
↑こう言う選択の仕方をしてる時、
いつも私自身の心が不在でした。
私は今珈琲を飲みたいのか?
どんな珈琲を飲みたいのか??
↑ここに耳を傾ける事ができなかった。
だって私には価値がないから。
はっきりとそう自覚していた訳ではないけれど
(はっきりと自覚していなかったからこそなかなか抜け出せなかったのも事実)
自分の声を信じて採用していく事がなかなかできませんでした。
けれど徐々に、珈琲に限らず色んな食べ物を差別せず食べれるようになり、
その過程で気づけば過食も落ち着き、
体重や体型にもこだわりすぎなくなっていった。
今はその日その日で、
甘い珈琲もブラックも、
甘くないけどミルク入ってて欲しいなぁも、
いつも私の声を聞いて選べるようになった。
そんな本当に些細な事が幸せで嬉しくて、
自分自身の事も少しずつ好きになれた☺️
珈琲も更に好きになった☺️
飲み過ぎには気をつけてます、寝れなくなるの嫌だから(笑)
今だから思うのですが、
色んな食べ物や飲み物をカロリーで良い悪いに分けず、
私の“欲しい”で選ぶこと。
その作業そのものが、
どんな私も許していく一歩一歩だったんだなぁと感じています。
「これ食べたい♡」
「いいよ〜☺️」
「これ飲みたい♡」
「いいよ〜☺️」
私の中で、私の声を認めて受け入れてあげる
そんな小さな会話がたくさん積もってたんだなぁと思います。
そしてすぐに何でも許せるようにならなくても良かったんだなとも思う☺️
最初の方は
「これ食べたい。けど。。」
「怖いよね、やめとく?やっぱりあっちの低カロリーにしとく??」
「うーん、でも。。」
「今日は思い切って食べてみる??」
「うん。。(不安。。)」
ずっとこんな感じだった(笑)
そしてやっぱりやめとこうの選択をする時ももちろんあった!
そして今もこんな感じがゼロになった訳でもなくて。
これはまた別でも書きたい、痩せたい気持ちや太る不安がゼロになることが摂食障害の終わりではない!
けど自分とちゃんと会話して選べる、
食べられる。
やめとくにしても自分と会話した上でやめるを選ぶ。
私の“欲しい”を、
会話もせず最初からなかった事にしない。
そんな積み重ねが、
安心して食べられる
珈琲を楽しめる
価値を埋めるためではなくダイエットをゆるっと楽しめる
そんな今の私を作ってくれたんだなぁと先日ふと思っていました。
すぐに何でも食べられるようにならなくていいと思う。
けれど、自分の声を聞くことは今日からすぐできる☺️
本当に少しずつでいい☺️
その少しずつがきっと、安心して過ごせる毎日に繋がっていきます☺️